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junichi ikeda

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デジタルとパブリックの後のアートの困惑

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July 16, 2025 12:24 jst
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久しぶりに、名和晃平作品を扱ったギャラリーに行ってきた。

個展のタイトルは“Sentient”。

もともと銭湯だった建物を改装してつくったギャラリーで、引き戸の入口から入ってすぐの台に、名和晃平の代名詞である、プラスチックの球で覆われたラクーンドッグの剥製が置かれていて、おおー相変わらずと思った。

ただ、その他のものは、今ひとつピンと来ないところがあって、楽しみにして行ったわりにはちょっと残念だった。

もっとも、そう感じる理由の多くは、アート作品を支えるコンテキストが、ゼロ年代の「デジタル」、テン年代の「パブリック」を経て、2020年代になってちょっと掴みどころがなくなっているからなのかもしれない。

ざっくりいうと

2000年代は、デジタル・エステティクスの探求、
2010年代は、政治メッセージの媒体としてのパブリック・アート、

ということだった。

ゼロ年代の「デジタル」のように、創作の制作の目新しさが注目を集めた時代でもなく、テン年代のようにアートと言えば「パブリック・アート」であって当然、というような、社会的メッセージありきの時代でもなくなったのが2020年代のように思えるから。

方法論の可能性があれこれ追究されたのがゼロ年代。

対して、ソーシャルメディアによって政治的な運動がカジュアルに可能になったところで、アート、というか造形や表象全般が、ムーブメントの動員に活用されるようになったのがテン年代だった。

なので、別に名和晃平に限らず、今のアーティストは、どこに作品制作の核を置けばいいのか、難しくなっているのだろうなと感じている。

そもそも、アートはこういうもの、と先導するような中心的なメディアも、ソーシャルメディアとスマフォの普及によって、消失してしまっていることも大きい。

たとえば、件の名和晃平展でも、作品の細部をスマフォで多数接写している人もいて、あんなふうに写真に収められて細部まで鑑賞されたら、制作者はたまらないだろうな、と感じたくらい。

そりゃ、アウラもへったくれもないな、と思ってしまう。

その場でその人好みの複製が写真に収められて、むしろ、その会場を去ったあと、何度も見られるのだから。あるいは、「いつでも見られる」という安心感のもと、ただ写真だけが残るのかもしれないけれど。

スマフォ以前にあった、とりあえず作品を前にして、ぐっと睨んだり、目を細めてみたり、見る位置や高さを変えてみたり・・・みたいな動作をする人はもう会場にはいない。

そういう意味では、スマフォの普及による「撮影」のカジュアル化は、アート作品との接し方を変えたし、たぶん、それは実作者の意識にも少なからず影響を与えているのだろう。

ちなみに、名和晃平も最近は、舞台演出の方にも進出しているようで、TikTok時代の流動性にあわせて、パフォーマンスアート的な世界にコミットしているようだ。

アーティストも大変だ。


ところでちょっと補足しておくと、名和晃平作品に出会ったのは、いわゆるゼロ年代(2001~2010)の中頃のことだった。

当時は、インターネットが登場して10年くらいで、Googleが上場しウェブ2.0のエコシステムが立ち上がり始めたところだった。YouTubeも登場したことで、デジタル表現の可能性が一気に広がったとき。スマフォも登場するタイミングで、そんな「デジタルメディア環境」が整い始めたことで、いわゆる「デジタル・エステティクス」、デジタル特有の美学についてあれこれ議論されたり、実作がなされたりする頃だった。

その中で、名和晃平作品は、そうしたデジタル・エステティクスの可能性を指し示す作品のひとつとして注目を集めていた。有名なビーズで覆われた鹿の剥製の作為品も、確かその剥製をインターネットで入手していたはずで、そんな素材の調達方法も含めて制作環境の変化を取り込みつつ、制作過程にしても表現意図にしても、デジタルを体現したものとしてプレゼンされていた。

つまり、作品の制作過程と制作結果の「デジタルによる目新しさ」がアート作品として注目を集める第一の理由になる頃で、その空気に名和晃平作品はドンピシャで応えていた。

確か当時のアートフェアでもそうしたデジタル的な目新しさを売りにした作品が多かったように記憶している。

時代は移ったということだ。


ギャラリーを見終えてから、その帰り道、芸大を傍らに見ながら上野公園まで散歩した。

上野公園を抜けて上野広小路の方まで歩いて思ったのは、ここがインバウンド向けの開発地帯であるということで、さすがはJR!と納得。

上野公園というやたらと大作りな街並みに戦前の日本の面影を感じながら、そのイメージはきっとインバウンド的にも有効なのだろうなと思いつつ、こんな状態を毎日見ていたら、多分、芸大生の感性もだいぶ変わるのだろうなと思ったり。

アートも大変な時代になった。