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エコノミストvsテクノロジスト、「循環」対「無限拡大」の政治対決

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April 14, 2025 15:07 jst
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2025年4月13日のアメリカの報道番組“Meet the Press”を見ていたら、有名なヘッジファンド・マネージャーのレイ・ダリオが出演して、トランプ関税による貿易戦争が長引くようなら、景気後退を超えて更に悪い事態が起こるだろう、と言っていた。

ダリオは、投資会社のブリッジ・ウォーターの創業者で、最近は金融業界での成功の経験からビジネス啓発本の作家にもなっており、"Principles: Life and Work"などの著作でも知られる。今回の出演は、6月に予定されている経済本の“How Countries Go Broke: The Big Cycle”の宣伝も兼ねてのものだった。景気後退局面での、こうしたビジネスサイクル本を出版するところを見ると、ダリオは、一昔間のジョージ・ソロスやジム・ロジャースのような受け止められ方をしているのだろうなと思う。

ただ、ダリオのコメントを見ながら気になったのは、彼の今後の経済の見通し、というよりも、やっぱり金融家、広い意味でエコノミストに分類される人たちのバックラッシュが始まったのかな?ということだった。

4月2日にトランプが発表した関税政策による世界各地で起こった株式市場のセキア的暴落、すなわち「トランプ関税ショック」は、ひとまず90日間の凍結をもって一旦小康状態に落ち着いたわけだが、この動きに貢献したのが財務長官のスコット・ベッセントだったと報道されるのを見るにつけ、やっぱりトランプといえどもウォール街や金融産業の意向には逆らえない、ということを再認させられる。

もっとも、直接のブレーキは、株式市場ではなく債券市場、すなわちアメリカ財務証券=国債の売りが始まった結果、というのだから、本気でマクロ経済がヤバいことになるということだったのだろう。

ヘッジファンドあがりのベッセントらしい提言といえる。

随分前から、国民の間に貯蓄のないアメリカは、貿易では赤字になっても、その取引先の国、すなわち中国や日本によって、ドル建てで得た貿易黒字によってアメリカ国債を買ってもらうことで、ドルをアメリカに戻し経済全体を回しきたと説明されてきた。

その理屈で言えば、アメリカ国債を買う、あるいは保有するための原資となる貿易収支の見通しが暗くなるのだとすれば、アメリカ国債を買っている場合ではない、ということになり、売りが始まるのはやむを得ない。ただそうなると、アメリカは国債を通じたファイナンスが厳しくなる。結局、それでは誰も得しない、だから、関税を使った貿易戦争の演出は控えよう、というのが、多分、ベッセントが代表するウォール街の意向だったのかな、と思う。

それは結局、ダリオも触れていた通り、国際経済は、それ全体でマネーを還流させているから、それを人為的に急停止させると、思わぬところで弊害が出てくる、という話。流れが止まり、一箇所で破綻するとそれが連鎖して良くない事態を引き起こすという点では、コロナ禍のときに起こった国際的なサプライチェーンの停止問題に近いといえば近い。

その「循環」について、個々の産業ユニットでの収支を見ながら投資をしている巨大金融会社の意向は、やはり見えない形でトランプ政権にも圧力をかけるということか。

昔、金融アナリストから、政権が民主党か共和党かどちらになろうが、金融がやることは変わらない、と聞かされたことを思い出した。要するに、金融業界、そこの見識を広める「エコノミスト」の存在感は捨て置けないということ。

一応、トランプ関税の導入の際に言われた、アメリカ国内に製造業を取り戻す、アメリカ国内での工場建設など直接投資を促す、という話は、政治的精神としては理解できるけれども、それこそ、投資してくれる相手ありきのことなので、簡単にはいかない。

それは、ここのところ、トランプ政権で暴れていたイーロン・マスクのようなスタートアップ経営経験を政府経営に活かそうという人たちとはバッティングする考えた方のようだ。

要するに、エコノミストvsテクノロジスト、の戦い。

マスクが典型的だが、テクノロジストたちは、「アバンダンス」のような掛け声とともに、いわば「無限の成長」「無限の拡大」を喧伝して、とにかく成長優先の言説を触れ回る。対して、エコノミストたちは、景気「循環」を前提に、成長だけでなく経済の下降局面も踏まえた世界観を持つ。この違いがだんだん、あらわになってきたように思える。

つまり、トランプ政権は、確かにリベラリズムに対しては猛威を振るうことができたのだが、キャピタリズムに対してはなかなか思うような反撃を加えられないということ。

空売りや先物など、景気の様々な局面を取引対象にして拡大してきた金融産業だから、なのかもしれないが。

その意味では、循環の世界観のエコノミストと、無限成長の世界観のテクノロジストとは、この先、真っ向対立する2つの陣営になるのかもしれない。

面白いのは、片や、市場という神の采配を信じるエコノミスト、片や、AIやシンギュラリティをキリストの再臨のように捉える加速主義なテクノロジスト。どちらの背後にも、それぞれの陣営に都合の良い形でキリスト教の世界観が反映されているように見えるところだ。

エコノミストが冷戦時代から変わらず、市場の采配を信じる「自由経済」の思考様式を継続しているのだとすれば、それに対立するテクノロジストが、どことなく共産主義的な設計主義や建設主義に近づくのも、実は自然なことなのかもしれない。

常々、シンギュラリティの発想は、千年王国っぽいなぁ、と思っていたものからすると、それがマルクス&エンゲルスの言った加速主義という名で受け入れられるのも、なんだ、彼らの革命待望論と同じじゃないか、という気になってくる。

皮肉なのは、マスクにしてもアンドリーセンにしてもティールにしても、丸っと「テックリバタリアン」と見られている人たちの行動原理の背後にあるのが、リバタリアンの仮想敵ともう言うべき共産主義、というかマルクス主義のようになっているところ。むしろ、そのことを隠すために、全体主義とテクノクラシーという呼称が使われるようになってきているようにすら思える。

とまれ、トランプが、さしあたって孤立主義の保護貿易や、製造業の復活を謳う手前、ITから物理的生産への進出に関心を寄せるテクノロジストたちと手を組んだように見えるところからすれば、まだまだこの先、エコノミストとテクノロジストの争いは続きそうだ。トランプ政権内部に不和をもたらすのは、この2つの思想の対立なのかもしれない。

トランプの台頭は、経済の時代から政治の時代に舵が切られたように思われていたけれど、アメリカという国の権力の実体がビジネスの集合体としての経済であることがあらわになるに連れ、この先も何度か舵が切られる局面が生じそうに思える。