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〈デイ1〉の大統領令乱発の真意は、最高裁ロバーツコートによる大統領権限の拡大にある?

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2025年1月20日に大統領に就任したトランプは、選挙活動中の公約通り、就任第一目(デイ1)に夥しい数の大統領令にサインをした。

その一つ一つを扱うことなどできないので、ここでは、2つ、トランプ2.0の動向の記録としてメモしておくと、それは移民と恩赦。

移民については、いわゆる「deportation」といわれる不法移民の大量送還の命令。それに伴い、米軍の動員や、出生主義の市民権獲得の停止、などアメリカ憲法を含む法律に抵触すると思われる争点も浮上している。

一方、恩赦については、これも「J6」と呼ばれる、2021年1月6日に起こった議事堂襲撃事件の逮捕者・有罪判決者を「無条件で」恩赦し、刑務所から解放するというもの。事前の見立てでは、さすがにその襲撃の中で警官や警備員を殺害した犯人まで免責されることはないだろうと思われていたのだが、「無条件恩赦」ということで、その見立ても崩れた。

さすがにこれには共和党の議員からも(たとえばMAGA寄りのジョシュ・ホーリー上院議員など)その免責はやり過ぎでアメリカの司法システムを瓦解させるという懸念が表明されているが、しかし、共和党議員を総じて、「でもトランプは選挙に勝ったのだから仕方がない」という理由で、公にトランプを非難することは避けている。

だが、大統領だから好き放題しても構わない、というだけでは、放っておけば強権発動しかねない「4年限りの仮初めの王」に対して苦言を呈すのが、そもそも連邦議員の役割ではなかったのか?と思うと、完全に腰砕けな感じしかしない。議員としての職務放棄といってもいいくらい。

ただ、共和党が、トランプ登場のはるか以前から、具体的には1980年代から、議会を支配する民主党に対抗するために、大統領権限の拡大を目指す「皇帝大統領制」の実現を考えていたことを思えば、むしろ、「トランプ大統領が皇帝のように独善的に振る舞う」のも、長年の夢がかなったことを意味するのかもしれない。裏では安堵したり歓喜したりする人もいるのかもしれない。もっとも、さすがにその強権が自分たちにまで向けられるとは思っていなかったかもしれないけれど。

(皇帝大統領制というアイデアの誕生に背景について知りたければ、手っ取り早い方法としては、ディック・チェイニー元副大統領の伝記的映画である、アダム・マッケイ監督の『バイス』を観ることを勧める。以前にWIREDにレビューも書いている。)

このように、トランプ2.0においては、トランプだけでなく共和党の願望としても「強権発動できる大統領」の実現が賭けられているように思えてくる。

トランプがいきなり行った大統領令の乱発も、そうした意図があるのではないか。

実際、先ほども触れた違法移民の強制送還のための米軍の動員や、出生主義の移民受け入れ体制の停止など、トランプの発した大統領令の中には法律上、有効性や実効性を持たないと判断されるものが少なくない。というか、端的に多い。

そのため、そうした越権(と思しき)大統領令については、早くもそうした大統領令は違法であるという訴えが各地で(といっても主にはブルーステイトでだが)起こされている。

ただ、そのような抵抗としての訴訟にしても、個別に報道されたものを聞いていると、かなり昔の法律、中には19世紀に定められた法律を持ち出しているものもあったりする。つまり、「真っ当なリーガルストラテジー」として存在する法律を、それがたとえ相当ホコリを被ったものであっても持ち出して、とにかく「法律的整合性」で事態を抑えようとしているように見える。

だが、それがトランプ政権においては有効なのか? より正確に言えば、保守系判事が6人を占める現在の最高裁・ロバーツコートで有効なのか、と疑問に感じるのも否めない。

というのも、2024年6月に最高裁から出された「大統領任期中の公務に対する全面的免責」という判決のように、むしろ、最高裁によって、現在の共和党・保守派主導の「レッド・アメリカ」に沿った形で法律が解釈し直されるだけではないか、という疑念が生じるからだ。

むしろ、トランプがいま矢継ぎ早に大統領令を発しているのは、そうすることで、大統領権限の限界をあぶり出し、反対する者たちからの訴訟によってその論点が明瞭化された後に、最終的に最高裁に持ち込まれることで、大統領の権限の限界が見極められる。そうして今まで不明瞭だったところに新たに権限の縁が設定されることになるのだが、しかし、それも含めて総体としては、大統領権限を拡大する方向に向かうのではないかと思ってしまう。

つまり、一連の越権嫌疑の高い大統領令を打ち出すことで、古くからある法律も含めて、複雑に絡み合った法律群を洗い出し「虫干し」して、使えるものと使えないものに分け、それらを最終的にロバーツコートで、皇帝大統領制に即した形で判決として結晶化させる、ということではないか、と。

つまり、民主党系のリベラルな州政府やNPOが、トランプの大統領令に対抗することは、回り回って大統領の権限の拡大につながるのではないか、ということだ。

こんな風にひねくれた見方をしてしまうのも、根拠がないわけではなく、なぜなら、バイデン政権の下でも、ロバーツコートはロー判決を無効化して中絶の権利を巡る文化戦争に対して保守派に有益な結果を導き出し、50年ぶりにアメリカ社会のあり方を書き換えた実績がある。

あるいは、バイデン前大統領が退任直前の「フェアウェル・アドレス」で明らかにした「テクノ・オリガーキー」の台頭にしても、もとを辿ればそれは、オバマ政権下の2010年にロバートコーツで出された「シチズンユナイテッド訴訟」の判決によって、法人にも言論の自由が認められ、その結果、法人が選挙運動に費やすお金が、事実上無制限になったからだった。

つまり、日頃のニュース報道で扱われるホワイトハウスや連邦議会ではなく、普段は顔を見せない最高裁、すなわち司法府によって、アメリカ社会の「法的保守化」はジョン・ロバーツが首席最高裁判事に任命された2005年以来30年に亘り少しずつだが着実に進められてきたものだから。

もちろん、ロバーツコートにおいても同性婚が認められるなど進歩的な判決はあったけれど、それもロバーツ首席判事が、法は漸進的な変化を好むという考えを反映したからだった。

ただそれは、ロバーツ自身がキャスティング・ボートを握ることのできた、リベラル系判事と保守系判事が拮抗する最高裁だから可能なことだった。保守系判事が6名となった現在、ロバーツの意向はそこまで決定的なものとはならない。

ということで、トランプ2.0政権下で最高裁に持ち込まれた裁判は、保守派の思想に即した形でこれまであった「前例」としての判決を覆していくことだろう。その中に、大統領令も含まれるということだ。

もちろん、最高裁で扱うことのできる裁判の数にも限界がある。その意味では、仮にトランプが発した大統領令に関する訴訟があまりにも多く、それらが下級裁では扱いきれず、最高裁にまで複数、あるいは多数、審決を仰ぐような状況に至ってしまったとしたら、ロバートコーツとしては、個別の訴訟を越えて「包括的に大統領令の解釈を決める」一段メタな判決を出すかもしれない。それなら判決一つで、大統領令の限界を見極める一般ルールを作り出せる。

それもこれも2024年6月に「シェブロン法理」を覆す判決が出されたことからの推測だ。シェブロン法理は、連邦政府の行政機関がその監督権限から、議会を介さずに事実上の業界ルールを定めることを認めていたが、しかし、シェブロン法理が覆されることで、多くの行政機関は、専門的見地から担当業界を監督する力を失った。ここでいう専門的見地とは、科学や技術、あるいは法技術など高等教育を受けることで、端的にいえば博士号をもつくらい訓練され習熟した専門的知恵という意味だ。そうした見解は、差し迫った判断の必要な行政の現場で顧みられなくなる。

シェブロン法理の取り下げによって、代わりに、もっぱら人気で選出された、必ずしも専門知識を持ち合わせない(素人の)議員たちが、業界も監督することになった。容易に想像できるように、それなら政治献金を出してくれた企業や業界に甘いルールしか作られないだろう。

そして、そんな利益誘導型の献金を企業に許したのが先述のシチズンユナイテッド訴訟だった。トランプ登場以前から、今の混沌としたアメリカ社会が用意されていたことがわかるだろう。

ということで、話がすっかり最高裁に方に偏ってしまったけれど、いいたかったことは、トランプの大統領令の乱発は、そうしたアメリカ社会の法的保守化のアシストでしかないのではないか、ということだ。

こう見てくると、トランプはアメリカ社会の混乱の病巣ではなく症候なのだ、という見解に、やはり一票を投じたくなってくる。