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トランプの2回目の大統領就任式:アメリカのジャーナリズムはトランプ時代に生き残れるのか?

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2015年1月20日、ドナルド・トランプが第47代アメリカ大統領に就任式した。

通常、就任式は連邦議会議事堂を背景に屋外で行われるのだが、今回は寒波のため、議事堂内のロタンダ(円形大広間)で行われた。ロタンダで就任式が行われるのは実に40年ぶりだという。

ロタンダというと、国葬が行わることになった要人の棺が置かれ、大統領や議員らが集って代わる代わる弔問が行われる場所でもあることからも想像できるように政治家にとっては思い入れの深い神聖で厳かな場所である。

そのロタンダでトランプは就任式を行った。

周りには、バイデンを含め存命の元大統領・副大統領が並ぶのはもちろん、会場である議会の主役である上院・下院議員、最高裁判事、ホワイトハウスをはじめとした官庁の高官などが参列した。

今回は異例なことに、各国の首脳も参集した。アルゼンチンのミレイ大統領やイタリアのメローニ首相のように「ポピュリスト右派」としてトランプが懇意にしている要人が目立っていた。

もちろん、イーロン・マスクを筆頭に、退任間際のバイデンに警戒するようアメリカ国民に訴えられた「テック・オリガーキー」たるジェフ・ベゾスやマーク・ザッカーバーグらシリコンバレーのCEOたちの姿も見られた。

こうした要人たちが居並ぶ姿を眺めていると、やっぱりトランプは、レーガンにあやかってロタンダで就任式を行いたかったんだけなんだろうな、と感じた。40年ぶりのロタンダでの開催とは、実はレーガンの2回目の就任式以来のことだった。寒波という理由はきっとそのためのいい口実にされたのだろう。

“Make America Great Again”という表現自体、もともとはレーガンが発したものだ。つまり、トランプは可能な限り、レーガンの威光にあやかりたがっている。

感覚的には、ナポレオンの記憶を使いながら、皇帝になったナポレオン3世のようなものだろう。


ともあれ、そうした「レーガン風」の就任式を経てトランプは大統領に返り咲いた。

早速大統領令を発したようだが、それはまた個別に機会があれば。

気になったのは、やはりまだ彼の指名した閣僚の承認が終わっていないこと。もちろん、おいおい承認はされるのだろうが、どの人物も、本当にこの人を閣僚に?という人ばかりだったので(たいていはFoxニュースの出演者)、年末年始のワシントンDCはその話でもちきりだった。

就任式当日の出来事というと、マスクとともにDOGE(政府効率局)の共同リーダーに指名されていたヴィヴェク・ラマスワミがその職を辞して、2026年のオハイオ州知事選に立候補することを発表したことにも地味に驚いた。

マスクとうまく行っていないとは折に触れて伝えられていたことであり、それもあって、トランプには、JDヴァンスが副大統領に就任することで空席になるオハイオ州上院議員になったらどうか?と勧められていたようだが、その指名権は現職のオハイオ州知事であるマイク・デワインにあり、結局、副知事のジョン・ヒューステッドがヴァンスの後釜に選ばれたというニュースが報じられて直後のことだった。

ちなみに、イーロン・マスクは、トランプの就任パーティに出席してその場ではしゃぎまわった挙げ句、あろうかことかナチスの敬礼じみた動きを見せて早速物議を醸しつつバズっていた。そのマスクにはDOGEの透明性問題から、トランプの就任式直後に裁判が起こされている。原告は、在ワシントンDCの公益(the public interest)を専門に扱うNational Security Counselorsという法律事務所。

DOGEで狙っているアメリカ政府のメイクオーバーは、日本的にいえば、90年代に立て続けに起こった、行政改革、省庁再編、金融ビッグバン、持株会社解禁、キャッシュフロー会計導入、小選挙区比例代表制導入、などを一挙行うようなものだ。それまであった社会の基盤をかなり根っこの部分から書き換えるような制度的突貫工事が、これからのアメリカで起きていきそうな情勢だ。

感覚的には、小泉改革に、(日本の民主党が行った)事業仕分け、それにアベノミクスをいっぺんに行おうとしているのが次期トランプ政権のように見える。共和党をぶっ壊して、トランプチルドレンであふれるトランプ党に変え、それだけでは飽き足らずワシントンDCの官僚機構も破壊する。その破壊はイーロン・マスクに任せる一方、経済はドル安に振って輸出を増やしたい、という具合。

こうした動きがトランプの大統領就任によって、単なる噂ではなくなる。

そのあたりの今後の狂騒劇については個別に書きたいとは思っているのだが、こうした様子を見ながら、同時にかなり心配になってきたのが、「ジャーナリズムってどうなるのだろう?」という疑問だ。

就任式に参加したジェフ・ベゾスが、アマゾンのCEOであると同時に、ワシントン・ポストの社主であることを思うと余計に心配になってくる。


公式には、ジャーナリズムは健全なデモクラシーに必要で、それは政府の行動の監視人であり、政府の言動をウォッチし公表し、時に批判を加えることで、市民が適切な情報判断ができるようサポートし、世論(パブリックオピニオン)の形成を促す。

・・・といったことになるのだが。

だが、ソーシャルメディアが党派的に並び立ち、四六時中、「情報」という名目で無数の「意見」が垂れ流されるのが当たり前になっている。しかもこの混沌とした情報環境を、憲法修正第1条、すなわち「言論の自由」、「表現の自由」でむしろ維持しようとしているのが、今のアメリカだ。

こうした玉石混淆の無数の情報が、著名な報道機関や大学、あるいはシンクタンクを含む研究機関から発信された情報とともにアメリカ市民に対して流され続ける中、そこから自陣に有利な情報を拾い上げ、そこから自陣に有利な「公の」のコンセンサスを、日々生み出そうとすることが極めて普通になされるようになっている。

このような中でジャーナリズムは、従来からの中立性原則を保ちながら、はたして、「大衆」の心を捉えることができるのだろうか?

ニュースと言うよりもオピニオンが当たり前の状況が広まっているときに。

自分の直感を表明し、そうした情動がアルゴリズムの助力で簡単に広まっていく状況が当たり前になったときに。

報道も、こうした情報の渦にひたすら飲み込まれている。

その一方で、プラットフォームが、企業の広告費を集め配分する装置になってきている中、報道機関は報道機関としてエッジの効いた存在感を示し続けることができるのか?

少なくとも、紙のときにあったような「紙面構成」という概念はデジタルでは消えている。特定の紙面に向けて構成されてきた「広告紙面」もない。一流の企業が一流の新聞に広告出稿することで醸成されていた、社会の中心としての安心感や信頼感、すなわち「情報のブランド」という観念も何処かに行ってしまった。

そんな中、真面目な話、ジャーナリズムは生き残れるのか?という疑問を持たずにはいられない。

それは、新聞もテレビニュースショーも問わない疑問だ。

2024年大統領選で言えば、大統領選の雌雄を決するうえで重大だったイベントは、従来のようなテレビディベートではなく、ジョー・ローガンのポッドキャストへの出演だったと言われることにも見て取れる。

要するに、ソーシャルメディアがテレビメディアを影響力で追い抜いた。

ケネディとニクソンのテレビディベートによって、大統領選はテレビ時代に入ったとされる。それ以後、「テレビ映り」の良さが選挙で勝つうえで重要な要素になった。

同様の「時代の変化」「メディアの変化」が2024年大統領選では起こったと考えるべきなのだろう。

そのような「影響力の震源」が、従来メディアからソーシャルメディアに移行する中、平たく言えば、プラットフォーム上ではそうしたソーシャルメディアの個々のコンテンツと、アルゴリズム的には同列に(平等に)扱われる「報道」や「ニュース」はどうなるのだろう?

トランプが復活することで、そんなことを心配せずにはいられなくなった。

折しも、ザッカーバーグはもうMeta傘下のソーシャルメディア(Facebook、Instagram、Threadsなど)では、これまでのようにファクトチェックをしないと宣言した。マスクのXにならった形だが、それがトランプ時代の再来に備えたものであることは間違いない。

アメリカが、ブルーとレッドの2つのアメリカに分断されたことはもはや既定路線。その上で、ブルーアメリカのリアリティと、レッドアメリカのリアリティが競合する。

人々の間で共有される「コモン・リアリティ」も、青と赤の2つが用意される。

その中で、従来メディアはもっぱら「青いコモン・リアリティ」、ソーシャルメディアは「赤いコモン・リアリティ」を日々、紡ぎ出していく。

そんな中、ジャーナリズムもまた、「青いコモン・リアリティ」を生み出すナラティブ創造マシンに転じてしまうのだろうか?

アメリカのジャーナリズムは生き残れるのだろうか?

ベゾスとザッカーバーグが、マスクに押され、トランプの就任式に参加している姿を見ていてとても気になった。

結局、ベゾスもザッカーバーグも、マスクのやり方に巻き込まれているだけではないのか?

もちろん、次に来るのは「ソーシャルメディア時代の言論の自由って何?」ということだけれど。それはまた別の機会にでも。

それしても、アメリカは第2期トランプ時代に本気で大きく変わりそうだ。