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来週予定されているWindows 7の発売にあわせて、Google、Microsoft、Appleの最近の動向についてまとめたサーベイ記事。三者の最近の動向については、かなり要領よくまとめられている。
Battle of the clouds
【Economist.com: October 15, 2009】
Clash of the clouds
【Economist.com: October 15, 2009】
基本的には、Cloud computingを中心に据えて、三者の対応を整理している。
前のエントリーで、Smartphoneを巡ってこの三者が競っていることを記したが、上のサーベイ記事を見ると、それらが、Cloud computingへの対応と、ちょうど表と裏の関係になっていることがよくわかる。記事中にもあるとおり、IT産業の歴史を振り返れば、PCによってメインフレームに集約されていたコンピュータパワーが開放されて分散化の端緒についた。この分散化したコンピュータパワーがインターネットの登場によって再度集約することが可能になったので、経済合理的な範囲で再編を試みようとしているのが、昨今のCloud computingの動きということになる。
そして、Smartphoneは、そうしたCloud computingを活用するためのユーザー端末と位置づけられている、ということ。
というのも、現在、PCの中にインストールされているリソースのかなりの部分をデータセンター側で請け負うためには、常時もしくはかなりの頻度でそうしたデータセンターと接続する必要がある。同時に、既にノートパソコンが当たり前になっているように、端末自体も、場所を選ばずに利用できるポータブルなものでなければならない。そうするとワイヤレスの通信機能は必須。しかし、Wi-FiやWi-Maxのインフラが未熟な現状では、どうしても携帯電話会社が専有する無線通信手段を利用しないわけにいかない。そして、携帯電話会社を納得させるためには、その端末は、なにはさておき「phone=電話」でなければならない。
だから、Smartphoneということになる。
(余談だが、逆に携帯電話向けに3GやMediaFLOのようなマルチメディア型無線通信を開発してきたQualcommが発表しているノートPCは、“Smartbook”と呼ばれる。PCやインターネットが本拠地を持つメーカーは、通信事業者に取り入るために商品に“phone”と名づけ、逆に、通信に本拠を持つメーカーが、IT事業者に取り入るために“book”と名づけている。このあたり、ワイヤレス通信市場の可能性とそこを目指す関係者の微妙な力関係が透けて見えてきそうなところ)。
実際、iPhoneを手にすればわかるが、3Gの利用のほかに無線LANの利用もサポートされていて、この端末がいかに過渡期の形態であるかがわかろうというもの。Tablet computerを考えているAppleは、過渡期を抜けた先を既に想像しているわけだ。
それに、未熟とはいえ、Wi-FiやWi-Maxの話も、徐々にリアリティを増している。
というのも、CPUの速度をどれだけ上げても通信回線のスピードがボトルネックになってはもともこうもないIntelや、これ以上の成長には本格的な無線インターネットが不可欠なCiscoなどの会社が、Wi-FiやWi-Maxに力を入れているから。
Ciscoに至っては、先日ジュネーブで開催されたTelecom Worldでプレゼンスを増やしている。過去のTelecom Worldに比べて今ひとつ盛り上がりに欠けたと伝えられるものの、中国企業が協賛し、会場に多くのアフリカ諸国の関係者が集まっていた、ということを聞くと、たとえば、インターネットベースで低コストの通信インフラをいきなりアフリカで導入しよう、という動きになってもおかしくはないし、その開発を通じて、たとえば、Ciscoが無線インターネット用のルーターについてビジビリティを増やす、ということもありえるだろう。
ということで、Smartphoneというのは、Cloud computingの端末としては過渡期のもので、そこで使い慣れた実感が、その次の端末やソフトウェアに引き継がれるのだと考えればいいのだと思う。
そう思ってから上のサーベイ記事を見直すと、GoogleとMicrosoftの間にAppleが割って入っていることの意味もわかってくる。
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記事中にあるとおり、GoogleとMicrosoftはソフトウェア商品について、互いに互いのホームグランドに乗り込む動きが続いている。検索エンジン、OS、ブラウザ、基本ソフト(Office)、という具合。そして、いずれもハードウェアには直接コミットしていない。それは、PCがデフォルトの標準端末として想定されているから。
しかし、Cloud computingが本格化した暁に、直接的に利用者の利用意向を決定するのは、ハードとソフトをまとめたトータルとしてのインターフェース経験。その点で、端末によって具体的にCloud computingの利用イメージを描いてみせるAppleは、潜在的に、常に台風の目のような存在だ。
これも、実際にiPhoneを手に取ればわかることだが、端末としては、PCとも(日本の)携帯電話とも全く異なるインターフェースになっている。そして、サービスとしてもインターネットで既に実績のあるものはそのままPCに類似したブラウザ体験ができるし、それに加えてApp Storeが用意されている。『インターネットが消える日』のZittrainからは、Appleはクローズド=非オープンの、proprietary systemであることを非難されているが、今のところは、ユーザーに今までになかった利用経験を与えることで、その非難をかわしている。むしろ、この利用経験の「新しさ」が、Cloud computingの具体的なイメージ、コンシューマー向けの通俗化したイメージとして流通することになる。
もちろん、Cloud computingが実際に大量に利用されるのは、法人ユーザーであり、大企業の一人一人の社員ということになり、そのとき、Appleの端末の持つ艶っぽさはほとんど期待できないかもしれない。そこでは、相変わらずnet-bookのようなPCの外観のものが主流になるのかもしれない。そして、その世界では、むしろ、モニターの中の、ソフトウェアが操るサービスやそれを支えるインターフェースが、イメージの中心になるかもしれない。そこでは、Appleの出る幕はあまりなく、GoogleやMicrosoftなどのソフトウェア企業こそが活躍する場になるのかもしれない。
それでも、端末を含めた利用経験の「提案」をGoogleやMicrosoftもしていかないと、つまり、そうすることで利用イメージを一定の方向性に水路づけていかないと、盤石なユーザーベースは維持し続けることは難しくなっていくだろう。
サーベイ記事の最後に、三者に競合する相手として記された、Amazon、Facebook、Nokia、らは、それぞれホームグランドとなるサービス領域を持っていて、そこを梃子にしてCloudの世界に乗り出そうとしている。それぞれのホームグランドが持つイメージが、彼らなりのCloudの方向性を水路づけることになる。
Amazonだったら、Kindleを中心にしたテキスト文化との接触、あるいは、有用な情報の探索、という世界かもしれない。
Facebookであれば、しばしば指摘されるように、GoogleやMicrosoftとは異なる「人力も加味した」ウェブの解決能力や慰撫(?)能力(根本的な解決はできないけど、ネットワークで問題を共有したり議論したりする中で「耐性」を形成することができる、など)に傾斜したCloud、というか集合知の世界になるかもしれない。
Nokiaの場合は、自身が基本的にハードメーカーであることから、物理的な端末の存在がもつ「意義」を強調するようなものになるように思う。
そういう意味では、本当は、DSを要する任天堂あたりがこのラインナップに加えられてもいいのかもしれない。
(昔、SonyのPlay Stationが登場したときは、PSがPCに対抗する家庭向けのコンピュータ端末になる、と論じた記事を、確かEconomist誌で読んだ記憶がある。ウェブ時代の本格化(それはCloud computingを用意したのだが)によって、B2BもB2Cもサービスとしては事実上境界がなく、支払い手段や利用者数の多さで制度的に区別されているものに過ぎなかった(あるいは、人びとの認識上違うものと感知されていたに過ぎなかった)ということが明らかになってしまった現在、PS登場時期にはまだあった「家電」概念はもはや意味のあるカテゴリーではなくなった、ということなのかもしれない)。
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ウェブの世界は、いつでも改訂が可能で、それゆえ、明確な時間区分概念が適用しにくい。その意味で、サーベイ記事が取り上げたように、Windows 7のリリースを持って、本格的なCloud computing時代に突入した、という時間認識、歴史認識が生まれる、というのはそれほど間違っていないのだろう。
ただ、Cloud computingについては、より本質的なことは、これによって、文字どおり、国際的な「分業」体制が低コストで実現可能になることにある。そして、この動きは、先般、ピッツバーグで宣言された、「G20時代の始まり」ともシンクロした動きと考えてよいだろう。
そういう、産業的、あるいは、社会経済的な波及効果を顧みずに、単にIT業界の新たなブームという位置づけ、buzz wordの一つ、としてCloud computingを捉えるのでは(日本の場合、かなりこの傾向が強いと思うが)、大局を見失ってしまうように思う。
国際的な分業体制が変わる、というのは、個々人にしてみれば、労働や消費の有り様が変わる、ということを意味するし、政府にしてみれば、主にビザの関係で制限があった労働力の国際移動を実質的に可能にするものになるだろう。先進国企業からすれば、中堅の準先進国市場が、研究開発費回収のテストベッドとなるという位置づけも可能になる。その意味で、そうした準先進国とのsustainableな協力関係が必然的になってくる。
そして、こう考えれば、Cloud computingの一つの設計思想が、Open Source Movementにあることもわかってくる。また、Free、であることもわかってくる。これは、端的に、通貨の為替や、知財法務の国毎の違い、を強制的に無効化して、基盤となる部分は、どこでも同一のものが利用できる環境を整えることにあるように思う。いわば、部分的な南北問題の強制消去のようなこと。
もちろん、こうすることで、「いつでもどこでも自由で無料」という、「広大無辺な無限感」を醸し出すことができて、そのフロンティア感が、開発や参入に当たってのロマンを増大させる、ということになる。
Cloud computingという言葉は、言葉である以上、Web 2.0同様、急速に消費され時代遅れのものにされるだろう。けれども、Cloud computingが開いたフロンティアは、当分の間は、開発書の心に取り憑いて離れない。
微妙に人びとの欲望に火をつけているところが、Cloud computingのおもしろいところだ。
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(追記)
そういえば、上の記事の出典のEconomist誌だが、とうとうprint editionの無料公開を辞めてしまった。とはいえ、print editionのいくつかの記事はonlineでも読めるようだ。Free-mium(無料と有料の混在、無料部分は有料部分の販促素材)の発想からすれば、全てのアクセスが消えるわけではないから、今までと違ってこまめにアクセスするようにすれば、実質的にはあまり変わらないのかもしれない。ただ、WeeklyのアクセスがDailyになると、やはり、「編集されてまとまった感」はなくなっていくように感じる(これは、先行してそう言う形態をとったNewsweekなどの経験から)。だから、最低限、print editionの目次だけでも掲載しておく方がいいようには思う。でないと、どんどん、NYTやWSJとの差がわからなくなってくるから。