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Apple vs Google vs Microsoft: アメリカSmartphone市場の布陣が定まる

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October 07, 2009 11:45 jst
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AT&T Wirelessに続き、アメリカの携帯電話市場で二位のVerizon WirelessがGoogleのAndroidを採用すると公表。

Google, Microsoft Battle Over Phones
【Wall Street Journal: October 6, 2009】

Robot invasion: Android and Google Voice coming to Verizon
【Ars Technica: October 6, 2009】

Androidは今までは市場4位のT-Mobileに採用されていただけなので、今回のVerizonとのディールによってSmartphone市場の前線にGoogleが正式に乗り出すことになる。

また、同じタイミングでMicrosoftもWindows Mobile 6.5のリリースを出していて、こちらは、広くAT&T、Verizon、Spring-Nextelでの対応が発表されている。

AT&T Wirelessとの独占契約を結んでいるAppleのiPhoneと合わせて、ITの三強がSmartphone市場で鎬を削る環境が整った、というところだろう。

アメリカ市場での優位性は他の国の市場での優位性にも影響を与える。また、Smartphone市場は、開発力がキャリア(通信会社)でもなくハードメーカーでもなく、“Smart”の心臓部分であるOS+ソフトウェア、の部分になる。

しかし、いくら、アメリカの製造業の競争力が低下したからといって、ここまでソフトウェア開発企業が優位となることにはやはり驚かないではいられない。IBM-PCの登場に類した「水平化」や、DOS/VやWindows 95 登場時のPCの「世界商品化」のようなことが再演されているようだ。

そう思うと、日本の携帯電話は本当にどうなるのだろう?というか、大丈夫なのだろうか。

徒に日本の事業者を危惧するつもりはないし、彼らの利益を直接保護する立場にはないから、一消費者の視点からすれば、世界中でどこでも使える端末は便利だ、と素朴にまずは思うものの、しかし、現在の状況は、それこそ、DOS/VとWindow 95の登場によって、それまで国産パソコンの主流だったNECのPC98シリーズが駆逐されたことを思い出す。あるいは、フランスで、有線のスマートフォン的端末として普及した「ミニテル」が、その存在によって、フランスのインターネット普及を遅らせ、結局、ミニテルも消えていったことを思い出す。

そういう意味では、i-modeに代表される日本仕様の高度携帯電話端末は、いわば「無線版のミニテル」のような存在に思えてくるときがある。

有線のインターネットでは(日本人でも)当たり前の「常時接続」も、Smartphoneでは当然のごとく前提になっている。こういうところは、単純にサービスメニューの問題だけでなく、背後のネットワークの設計思想の違いの反映でもあるので、実は簡単には対応できない。

*

話はいささか飛ぶけれど、いい機会だから書いておく。

先日の民主党政権誕生以来、過去十数年の日本の政策意思決定について見直しが図られるようになってきているが、たとえば、この携帯電話のことや、あるいは、以前のハイビジョンのような、日本独自規格についても、一度見直してみてもいいのではないかと思う。

90年代後半に、技術規格の世界標準化については、「デジュア(合意ベース)」と「デファクト(市場競争ベース)」の二つがあることがビジネスマンの常識としてビジネス誌を中心に広まった。当時は、なんとなく80年代の日本の持ち上げられ方(Japan as No.1の記憶)が自尊心として残っていて、そのため、「デジュア」でも「デファクト」でも、つまり、政府でも民間企業でも、日本市場で先行開発したものを海外市場でも持ち出せることに一定の自信を、官界も財界も持っていたと思う(そうした言説の期待の星がi-modeだった)。けれども、2000年代に入ってから起こったことは、デジュアにしてもデファクトにしても、日本の影響力が思っていたほど大きくない、ということが確認される過程だったと思う。

だから、政権が変わったことをいい機会としてとらえて、こうした現状を踏まえて、日本の技術開発目標の設定の仕方や体制についても考え直してみる、前提をリセットしてみる、ということがあってもいいと思う。

技術開発力というのは、やはり、実際に技術が適用される場面があればこそ維持され蓄積されていく性質の知恵。一種の「臨床の知恵」。だから、技術開発力を維持しようと思うのならば、一定の規模の製造業が実際に稼働していることが必須の条件になる。日本人は忘れがちだが、たとえば、全ての国で自動車が製造されているわけではない。自国の市場が小さすぎて輸入に頼るしかない、という国は多い。そうした国では、自動車の製造技術を学ぶには国を出るしかない、ということになる。

前にNokia関連のエントリーでNordic Modelとして記したが、たとえば、フィンランドやノルウェーのような北欧諸国は、自国の市場が小さいことを逆手にとって最初から輸出志向の製造業を創り出した。過去10年間の韓国や台湾のメーカーの台頭も、同じ理由だからだろう。

Smatphone市場については、こうした技術開発政策という点から取り上げることも有意義だと思う。