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先週からComcastがNBC-Universal(以下NBCU)の獲得に動き出している、という観測記事が流れている。
Comcast, NBC Deal Still Faces Obstacles
【Wall Street Journal: October 5, 2009】
Comcastは加入者数全米一位のケーブル事業者。
NBCUはGE傘下のメディア・エンタテインメント事業者。GEの株式持ち分は80%で、残りの20%はフランスのメディア企業であるVivendiが所有している。
現在噂になっているディールでは、「新NBCU」の株式については、Comcastが51%、GEが49%を所有する計画。このディールの過程で、GEは現在のVivendi所有分の20%の株を買い取る予定という。
要するに、2000年代初頭の国際的なITバブルの時に海外企業の持分も生じてしまった、アメリカ有数のメディア・エンタテインメント企業を再度アメリカの企業に戻した上で、その所有権のマジョリティをケーブル最大手のComcastが握る、というスキーム。
一見すると、メディア産業ではしばしば試みられてきた「垂直統合型」の企業形態をComcastが採ろうとしているように思われる。つまり、NBCUがもつ、映画、テレビ番組などのコンテント資産、と、Comcastのもつ家庭向けディストリビューション資産、との結合、ということとだ。
けれども、この手の垂直統合パタンは、先日、Time Warnerがケーブル事業であるTime Warner Cableをスピンオフしたことからもわかるように、実は期待されたほどには割のいいビジネス形態ではないと、投資関係者が捉えるようにもなっている。それくらい、関係者の経験値も上がっている。
それでは、なぜ「いまさら」ながら、このような形態を模索するのだろうか。
まず、単純に、今が世界的な経済低迷期だから、ということがある。株式市場が盛況ならば、十分収益が上がると見られる事業部門を切り離してその事業だけの株式を発行した方が投資家にとっては魅力的だ。しかし、そうした風潮が、この景気後退期に入って見直されつつある。最近では、むしろ、「巨大な方がいい」という考えすら浮上している。つまり、「成長よりも安定」が好まれ、グループ内金融でビジネスを回せるぐらいの会社規模があった方がよい、とまで思われている。金融の判断は、状況によって容易に反転する。
これは、メディア業界、エンタメ業界そのものの事情とは独立した理由だが、企業合併のほとんどは金融の情勢に依存することから避けられない外部事情だ。
もっとも、NBCUについては、従来からGEがいつまで所有を続けるのか、GEの株主から問われ続けていたのも事実。GE本体が、Ecomaginationというように、環境関連ビジネスに大きく旋回しようとしているときに、つまり、Sustainabilityに舵を切ろうとしているときに、20世紀後半の大量消費社会とともに急速に膨脹したメディア・エンタメビジネスはどうにも据わりが悪い。そのような企業イメージの世界の齟齬だけでなく、実際のビジネスドメインとしてもGEの他の企業群との距離感が定めにくい。だから、今回、株式のマジョリティをケーブル大手のComcastに渡すことで、NBCUをあくまでもひとつの「優良資産」として持つ選択をした、という回答を株主・投資家に対しては示したことになると思う。
では、そうした金融市場的利得(financial interests)を脇に措いて、新NBCUを事業で見たらどうか、ということだが、その分析の視点は、主にComcastにとっての意義が中心になる。
単純に、ハード・ソフトの融合、とか、キラーコンテント、というような、ITバブル期のような理屈はさすがに挙げることはできない。なぜなら、広告市場にしても、ケーブル市場にしても、ともに成熟産業のフェーズに入っていて、急成長が望めるところではないから(広告に至っては縮小傾向すら見られる)。
だから、今回のディールのポイントは、もっとビジネスモデル、というか、収益構造そのものに直結したものにあると思う。つまり、
「本格的なブロードバンド時代を迎えるに当たって、
広告という収入形態と、課金という収入形態の混合・融合形態を模索する」
というところに主眼があるのではないだろうか。その意味で従来よりもシビアだ。
具体的な論点から見れば:
●Huluの扱い
NBCやFoxからすれば、Huluは、ローカル局とばしの全米ネットワークの構築、という方向で少なくとも生き残り策としては意味があるが、しかし、それは、あくまでも「地上波放送」というビジネスの枠組みで意味を持つだけのこと。最初から、全米向けの放送内容を制作してきたケーブルチャンネルとそれを家庭にと届けてきたケーブル事業者からすれば、Huluのような存在は、単純にブロードバンド時代の脅威でしかない。
一方、Huluからすれば、事業として広告収入だけに頼るのは心許ない。他のウェブメディア企業と同様、ウェブ以外の、従来のメディア事業が十分な収益を上げていたからこそ、ウェブ事業は利用者数確保に集中することができたし、そのために広告による無料提供が選択されていた。しかし、本業の方が縮小傾向にあるとすれば、もはやそこからの資金補填は期待できない。自分から収益を上げていく必要がある。そのとき、受益者負担の「視聴収入」を可能とするビジネス資産が必要になる。Comcastのような加入者ベースのビジネスは、顧客数、そのためのインフラ、という点で魅力的になる。
●ディスプレイアドの扱い
本格的なブロードバンド時代を迎えるに当たって、ディスプレイアドをどう扱っていくか、というのは、メディア業界だけでなく、IT業界でも注目を集めるところ。一般的な理解では、ウェブ化によって広告出稿形態には柔軟性が出てきた、といわれるわけだが、しかし、この柔軟性は、もっぱら広告主と消費者にとってプラスでも、その仲介役たる広告業界ならびメディア業界からすると、収益性低下という懸念を抱かされる。
「適切な商品情報≒広告を、適切な顧客に」というのはスローガンとしては正しいのだが、しかし、メディア業界からすると、儲けの仕組みが損なわれる可能性がある。アメリカの場合であれば、広告枠は、upfront=先物市場、で売買してきたものが、適切なタイミングで適切な値段で買えるようになると、価格の下方圧力ばかりが増えるのではないか、という懸念だ(裏返すと、売り手であるメディア企業側からすると、高値で取引されていた、という実感があるということになる)。
だから、ここでの問題は、たとえばCMのように、映像を駆使した広告は人びとの情動に働きかけるという点では、つまり「広告効果」としての「価値」はブロードバンド時代になっても変わらないかもしれないが、しかし、「広告売上」としての「価値」、もっと下世話にいえば、「値段」は市場の実勢を反映して下がってしまうのではないか、ということ。
この「価値(value)」と「値段(price)」の話は、しばしば混同されて語られるので注意しておおいた方がいい。多くの人が目にするのは、たとえばテレビCMを軸にした広告キャンペーンであることから、もっぱら「視覚効果」や「動員効果」としての「価値(value)」の方に照準して、「広告の価値は変わらない」という言説が多数になるのだが、しかし、そうした「価値」を支えているのは(もっといえば、そうした広告の制作費や、そうした広告が挿入される番組の制作費を支えているのは)、市況を反映した「価格(price)」の方にある。
(そして、自らの収益性を損ねることは企業が選択しないのは、どこでも同じこと)。
ディスプレイアドの最適化、というようなテーマは、だから、メディア企業からすればデリケートに扱わざるをえない。つまり、方向としてはやむを得ないものなのだろうが、同じ変わる/変えるにしても、できるだけそのショックが一気に表面化しないように、漸進的に変更させていきたい(そして、できれば、priceの低下を押さえたい)わけで、そのために、ケーブル会社によるnet-DVRの広告差し替えや、Huluのディスプレイアド挿入のような、新しい広告の起こる「現場」を直接観察できる立場に身を置いて、変容の手綱を握っていたい。
このあたりで、NBCUとComcastの意向が重なったのではないかと思う。
この他にも、NBCUとComcastの傘下のケーブルチャンネルを統廃合するとか、制作部門の合理化を行うとか、普通の会社が行うM&A後の経営合理化はもちろん行ってくるだろうが、ポイントとしては、上のように、そもそも従来あった「収益形態」を脅かすかもしれない部分について何とか対処したい、というのが背後の動機ではないかと思う。
もちろん、他のM&A同様、こうした企業資産の離合集散は、常に一過性のものなので、仮に今回のNBCUを巡るGEとComcastのディールが報道されている形で実現したとしても、その後、見直しが図られる可能性は高い。
いずれにしても、まずは、当事者であるGEとComcastがこのディールで合意に達するのかどうか。もうしばらく様子を見ておきたい。
もっとも、このディールは、メディア所有制限や公正競争維持の観点から、政府の考えにより、認められない可能性もあるのだが。