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October 02, 2009
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junichi ikeda

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Apple Tabletを契機に結束し始めるアメリカ出版業界

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iPodによって音楽ダウンロード市場の制御権をAppleに奪われてしまった音楽業界と同じ轍を踏まぬよう、アメリカの出版業界、特に雑誌出版業界がアンチAppleで結束し始めたと伝えるAd-ageの記事。

Magazine Industry Looks to Create ITunes for Print
【AdAge: October 01, 2009】

雑誌業界が懸念しているのは、Appleが市場投入を計画しているApple Tabletでおそらくは実現される、Digital Magazineの分野。音楽業界がかつてSteve Jobsの甘言に乗せられてiPodならびにiTuneによって、音楽ダウンロードの価格付け、という市場の制御権を実質的に奪われてしまったことを警戒した動きのようだ。

先に補足しておくと、とはいえ、当時の音楽業界は、音楽ダウンロード市場の混乱に一定の収拾をつけるためにiPod/iTuneにやむなく乗ったところもあるので、ある意味、歴史の皮肉としかいえないところもある。もちろん、その実現にはSteve Jobsの存在は大きかったのは事実。というか、Pixarの成功によって、エンタメ業界とIT業界を人脈的に橋渡しできる希有な人物がJobsであったことが、事態の収拾に大きく寄与したことは間違いないから。

ここでいう音楽ダウンロード市場の混乱とは次のようなこと。初期の音楽ダウンロードサービスでは、ハードのレベルではエンコード規格が不統一であり、その規格競争に音楽メジャーも巻き込まれプラットフォーム間競争に突入してしまったのだが、その隙に、ユーザー側でそうした「公式プラットフォーム」をバイパスするかたちで、デジタル音楽流通が始まってしまった。音源は世界中に流布してしまったCD音源、エンコードは音質よりもファイルの軽さが信条のmp3、流通はインターネット。しかも、NapsterのようなP2Pも登場するに至って、文字どおり、収拾がつかなくなっていた。

その、いわば火消し役に登場したのが、iPod/iTuneであり、Steve Jobsだったわけだ。その後は、iPod/iTuneがプラットフォームとして定着し、ユーザー数の増加とともに、Appleの側に音楽ダウンロード市場の制御権が移った次第。

もちろん、その後のエンタメ・コンテント流通については、この音楽業界の顛末をよく研究した上で各エンタメ業界ごとに対応がなされていて、たとえば、Huluのようなテレビ映像プラットフォームのように、当事者が自らプラットフォームを立ち上げてマーケットリーダーのポジションを占める動きも出ている。

だから、上の雑誌出版業界の動きも、極めて自然な動きではある。

実際、上のAd-ageの記事で伝えられていることも、彼ら雑誌出版業界で、まず足並みを揃えよう、ということ。その上でデジタル出版物については“industry storefront”、つまり、業界で統一した販売拠点(としての組織なりサイトなり)を設けることで、Appleの動きに対応しようというもの。そうすることで、購入者の情報を出版業界の方で扱い、値付けなど市場の制御権を自分たちの手にとどめようとしている。

要するに、団体交渉をすることで、Appleや、あるいはその他の候補として名前が挙げられる、AmazonやMicrosoftやGoogleといったIT企業とのやりとりで、主導権をなんとか握ろうとするもの。

ただ、こうした、一方の当事者であるIT企業からすれば、有力と思しき出版社と個別交渉をすることで、その結束を崩しに掛かるのが常套策だから、

実際、Appleは既にそうした個別交渉を開始している。

Apple Tablet To Redefine Newspapers, Textbooks and Magazines
【Gizmodo: September 30, 2009】

Digital Magazineの様式が決まっていない状態では、技術的なサポートは絶対必要なので、そうした技術の部分で取り込まれないようにするには、オープンな技術を利用したり、既にあるDigital Magazine的リソースの転用を検討するのが良策のはず。とすれば、出版社のウェブサイトで今までアップしてきたコンテントとその表現様式をさしあってはそのまま利用する、ということが必要になる。

問題は、そのアップ済みコンテントの質や量が出版社ごとに異なること。また、これは新聞サイトの方で既に問題になっているが、そのサイトをいくらで利用者に販売するのか。あるいは、そもそも販売するのか、ということ。

気になるのは、Steve Jobsが随所で「人びとはもうあまり(文字を)読まない」と言っていることで、そもそも出版業界が、既存の出版の様式にあまりにも固執してくるようなら、そうしたコンテントは必要ない、という判断がされるかもしれないこと。

最終的には、雑誌的な出版物の、相当ラディカルな作り直しが行われるのかもしれない。

書籍の場合は、基本はテキスト・オンリーで、支払いも個人が購入することで成立する。だから、AmazonのKindleのようなe-bookは、テキストを支える土台としての「本」の形態に照準を当てればよい。それは、本好きであれば必ず問題として抱えているスペースコストの問題や、持ち運びの容易さという問題が、それから、テキスト自体の価格が、利用者に対するアピールポイントになる。

(たとえば、日本で2000年代になって急速に進んだ、書籍の小型化、つまり、文庫本化や新書化の動きも、同じ視点で捉えることができる)。

それに比べて、雑誌というのは、極めて存在が流動的。版のサイズが決まっている以外は、誌面構成の自由度は高い。テキストだけでなく、写真を含むグラフィックを組み込めるし、そのレイアウトも自由。また、内容も自由。主に広告出稿の動機付けから、一定のジャンルがあるものの、それらは領域横断可能。さらに、出版方法についても、スクラップアンドビルトが可能で、創刊・休刊のサイクルを繰り返すことが可能。

こうした雑誌の性格故に、ユーザーというか読者に対しては、最も旬で最も適した内容のものを提供する必要に迫られる。インターネット版については、その「見た目無料(=広告がファイナンス)」ということから、既存の雑誌をほぼそのまま転載すればよかったのだが、新聞同様、いよいよ、紙の雑誌の売れ行きが下がってくるとなると、Digital Magazineとしての形態を、改めて真剣に模索しなければならなくなる。

そういう意味で、今回のアンチAppleの結束は、雑誌の様変わりのための第一歩に過ぎないように思えてくる。

書籍とは異なる視点で、雑誌のこの動きについては気にかけていきたい。