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Innovationの意味の変質: Mobile MoneyとClinton Global Initiative

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Emerging markets(新興市場)におけるmobile moneyの意義を紹介したThe Economist の記事。

The power of mobile money
【The Economist: September 24, 2009】

この記事自体は“Telecoms in emerging markets”という特集のリードに当たる。

Emerging marketsの多くは基本的な社会インフラが整備途上にあるため、Telecomといっても実質的にモバイルが中心になる。むしろ、有線の電話がないことをアドバンテージにして、様々な社会インフラをいきなりモバイルコミュニケーションを土台にして構築してしまおうという方向にあり、その様々な取り組みについて取り上げているのが、今回のThe Economist の特集

そして、リードに当たる上の記事が照準しているのが、Mobile-money。

電話インフラが不十分なだけでなく、金融のインフラたる銀行支店ネットワークも不十分であることを逆手にとって、モバイル通信事業者が銀行業務も担ってしまおうというのがMobile moneyとして紹介されていること。

こう聞くと、たとえばドコモのおサイフケータイのようなものを想像するかもしれないが、日本(といわず先進国)のサービスでは、銀行は確固とした産業として成立している。支店網を中心に社会インフラとして既に根付いているところで、ケータイ端末はそれら銀行の個人用インターフェースとしてあるに過ぎない。銀行業務とカード業務、通信業務は、社会制度として明確に分けられている。

それに対して、上の記事で取り上げているMobile moneyの例では、そうした産業区分がそもそもないため、混沌とした状態でサービスが開発される。ケータイ端末の販売店が一種の銀行の役割をする。もともとは電子送金用にこうしたサービスを始めたようだが、徐々に商品購入などの決済にもアプリケーションの対象を広げているようだ。

以前、Nokiaの動きには驚いてしまっていたのだが、この特集を見ると、Nokiaが開発国向け端末で決済サービスを行うというのも、とても自然な動きだったことがわかる。

記事にあるとおり、先進国にとって、モバイルは有線による電話網の上に追加される、incrementalなものに過ぎないが、ケニアのような新興国のケースでは、モバイルは、コミュニケーション網として、ゼロベースでスタートする、文字どおり、revolutionaryなものと位置づけられる。

19世紀から20世紀にかけて整備されたタイプのインフラが十全には存在しない、ということが、むしろ、21世紀現在のテクノロジーやファイナンス手法によって、現在最も効率的かつ効果的な社会インフラが整備される可能性をもつわけだ。

Mobile moneyも、もともとは「送金用」に用意されていたものが、「決済」にも利用されるようになり、用途が拡大している。と同時に、少ない銀行支店ネットワークに替わり、モバイル販売所が、機能的には、銀行の支店のようになる。日本で言えば、郵便局が、手紙や小包の配送業務の傍らで、郵便貯金や簡易保険を提供したのと似たようなことが起こっているわけだ。

こういう「送金業務」からスタートした銀行類似体は、たとえば、アメリカでもゴールドラッシュ直後の西部やカリフォルニアで起こっていて、幌馬車による配送業務を行っていたWells FargoやAmerican Expressが、配送業務の中で金品に関わるものも請け負ううちに、為替業務や決済業務に業容が拡大し、現在では、知ってのとおり、Wells Fargoはアメリカ有数の銀行となっているし、American Expressは決済業務を拡張したcard businessに進出している。

ゴールドラッシュ当時の19世紀半ばでも、アメリカの金融の中心はNYだったわけだが、国内に資本蓄積がなかったアメリカは、国内産業育成のための投資資金を欧州から調達するしかなかった。だから、金融の中心NYといっても、それは欧州銀行の出先機関、支店のような存在だった(ちなみに、その中で最も成功したのが、ロスチャイルド経由で欧州から資本を調達していたモルガン)。

それに比べて、西部の金融は、そのNYから資本を調達すると同時に、地元の決済業務に関わりながら、徐々に地元のマネーを集約させる場として資本を拡充していった。有名なのが、San Franciscoでイタリア系農民や漁民の銀行としてスタートしたBank of Italia。今のBank of America。

こうした動きによって、アメリカオリジナルの銀行が育っていった。

おそらくは、それに似たような動きが、モバイルコミュニケーションを中心にして、新興国で起こっているのだと思う。

*

Mobile Moneyのような動きは、先週5回目の年次集会(annual meeting)をNYで開催した、Clinton Global Initiative(CGI)の動きにも呼応しているようにみえる。

Innovation a Top Priority at Clinton Global Initiative
【BusinessWeek: September 23, 2009】

CGIはアメリカ大統領を務めたBill Clintonが2006年にスタートさせた、一種のNGO的活動。新興国の経済活動の支援を目的にした活動を展開している。活動資金は、Bill Clintonが大統領時代に築いた、国際的な、政界、経済界、学界、などのネットワークから集められている。Hilary ClintonがSecretary of State(国務省長官)に就任する際、CGIのネットワークが、アメリカのnational interestと抵触しないかどうか明らかにするため、CGIへの資金提供者リストが公開されたことを覚えている人もいるかもしれない。

そのCGIは、今年の年次集会で、4つのテーマを挙げていた。

Harnessing innovation
Strengthening infrastructure
Building human capital
Financing an equitable future

このうち、上のmobile moneyのケースは、一番目のinnovationと大きく関わっている。

通常、innovationというと、技術革新や組織改革、ならびにそこから生じる斬新な商品の開発、というイメージで捉えられていると思うが、CGIの文脈では、視点がもっと高くなって対象が広がるのと同時に、innovationの意味が、ドラスティックな社会問題の解決策の提示、というような、含みのあるものになっているように思える。興味深いのは、それだけ抽象度の高い意味合いに変わってしまっても、そのレベルで解決しなければならない具体的な問題が、新興国の開発のように、多数あるので、現実世界から遊離した、単なる言説上の話にならないところだ。

もう一つ、innovationという言葉の意味が少し変質しているように感じるのは、これが新興国支援という文脈で利用されているからだと思う。そして、それは、G20という枠組みが当たり前になったこととも関わっていると思う。

多分、今まであれば、新興国援助というのは、国際的な「トリクル・ダウン」を当たり前にしていたと思う。つまり、先進国で開発された技術や商品のうち、型落ちしたもの、out-of-dateになったものを、無償で提供するという形式を取っていたように思う。先進国の経済社会ではほとんど価値がなくなったものでも、開発国ではまだ十分価値がある、という理由で。この文脈では、innovationという言葉は、もっぱら先進国の国内市場、もしくは、先進国どうしの市場で、新たな商品を開発する、ということに使われていたように思う。

それが、上のCGIのような、G20の時代の文脈では、新興国(開発国ではなく)こそが、今後、近代化に向かう余地があるがゆえに、むしろ爆発的な成長可能性をもっていて、そのスピード感、加速度感こそが、innovationを発現させる(まさに“emerging”!)にふさわしい場所だ、と捉えられているように思う。

それは、同時に多分、先進国には、爆発的なまでの「経済成長ののりしろ」がないことを、先進国自身、この十数年でわかってしまったからなのかもしれない。

もちろん、現実的な文脈では、欧米を中心にした多国籍企業の常態化や、経済関係がある方が国際的な緊張に対して弾力的対応を採りやすい、というような、国際関係上の現実的な要請もあるのだろうが。

留学して最初の年に、NYの国連本部を見学する機会があり、その時、Global Compactというプロジェクトを、コロンビア大学の卒業生の国連職員の人から紹介されたのだが、それは、要するに、民間企業を中心に国際的な協力関係を草の根で作っていこう、というものだった。当時は、アメリカ自身がユニラテラリズム(一国主義)の立場を取っていたので、Global Compactは、欧州の企業が中心だったように記憶している。その後、Jeffrey SachsのEarth Instituteや、CGIのような動きが出てきて、アメリカも、デモクラットを中心に民間の動きがでてきた。そして、今年オバマ政権によるユニラテラリズムからの撤退が採用されて、公式的にも、アメリカがGlobal Compact的な世界に加わるようになったといえる。

まだ、あまり上手く表現できないのだが、こうしたCGIやGlobal Compact的な動きと、最初に紹介したmobile money的な動きは相互に呼応したもののように思えるし、そうした動きの中で、innovationという言葉の含意や、その具体的実現物としての、商品、サービス、その総体としての産業、の意味合いも変わってきているように思う。

この疑問は、しばらく温めておきたい。