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英・米・豪と英語圏を股にかけたMedia Empire(メディア帝国)であるNews Corp.を率いるRupert Murdoch。その息子で、高齢の父が亡くなった後は、帝国の継承者の有力候補の一人と目されている、James Murdoch(以下JM)。
JMはNews Corpのうち、欧州とアジアのオペレーションの統括を任されているのだが、その彼が、公けの席でのスピーチで「BBCは民業を圧迫する存在だ」と非難し、英米圏で注目を集めている。
End BBC rule, says James Murdoch
【Financial Times: August 28, 2009】
James Murdoch: unchecked BBC expansion is 'chilling'
【The Times: August 29, 2009】
News Corp. Faults U.K. Media Policy
【Wall Street Journal: August 29, 2009】
このスピーチは、the Edinburgh International Television FestivalでMacTaggart LectureとしてJMが行ったもの。BBCがラジオ、テレビ、インターネット、海外進出、と事業拡大の一途をたどっている現状を不適切な拡大と位置づけ、そうしたBBCの拡大路線というambitionを“chilling(背筋がぞっとする)”とまで形容している。
単にBBCを民業圧迫の存在として非難するだけでなく、そうしたBBCの存在を容認するイギリスのメディア政策(制度)をも批判している。BBCの存在によって、単に現在の民間の企業活動を制約するだけでなく、将来の飛躍をもたらすinnovationやcreativityをも抑制しているからだという。また、イギリスのメディア・コミュニケーション政策の執行機関であるOfcomに対して、民間放送局に対する、表現規制などの各種規制が自由な企業活動を損ねているとし、Ofcomに対して「規制を中心としたアプローチからのラジカルな方向転換」を求めている。
これらの発言に対して、BBCは「BBCの番組は世界中で良質のものと高い評価を得ている」と応答している。また、Ofcomは「適正な競争とinnovationのためにこそ、消費者や視聴者を保護することが必要だ」と規制の必要性を擁護している。
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JMがBBCの存在やOfcomの規制がinnovationを抑制しているという時に第一に想定しているのはGoogleのイギリスにおける存在感のこと。規制があったが故に、Googleの進出を許してしまったという指摘をしている。
このあたりのロジックは、一般的に保守の立場を取るNews Corp.のexecutiveの一人らしく、規制の存在がむしろ国を危うくする、というように、どこかで聴衆のナショナリスティックな政治的気分に働きかけるような言い方を採用しているところが興味深い。
JMの表現の面白さという点でいえば、彼が今年、生誕200年を迎えたCharles Darwinの進化論を引用しながら、「Ofcomが支えるBBCを中核に据えたイギリスの放送体制」を、進化論以前の「創造説(Creationism)」になぞられているところ。
JMの比喩の意図に則ってここでのCreationismを解釈すれば、それは、創造主としての神が存在し、その意向によって、全ての生物の存在の配置が定められた、とするもの。その意味で、神が生物の世界を創り出したとされる。
つまり、JMがCreationismを引き合いにして言いたかったのは、イギリス政府ないしOfcomが神に相当し、その神の意向によって存在の配置が定められているのが、BBCであり、BskyBを含む民間放送事業者からなるイギリスの放送業界という生態系、ということになる。
そして、今後のイギリスの放送事業の発展のためには、こうしたCreationismのような発想を脱却して、Darwinが提唱した「進化論」に準じた政策こそが採られるべきだという。つまり、神のような存在が全てを決めるという発想ではなく、個々の生物が環境への適応とその結果としての自然淘汰を受け入れる形で自発的に生き残ることを選択できる方が望ましいとする。イギリスの放送業界で言えば、神としてのOfcomが生態系内部の配置を決定することはやめて欲しい、BBCが中心にあるような生態系の維持やBBCによる拡大を容認するのは辞めて欲しい、ということなのだと思う。
要するに、天動説から地動説へ、や、ビックバンで恐竜が死滅する、みたいな話とあまり変わらないのだけど。ただ、イギリスも、今回の金融危機による景気後退が著しいので、サバイバルするための手かせ足かせを外して欲しい、ということなのかもしれない。
もっとも、普通に考えれば、景気後退で広告市場が干上がっている時に、BBCを仮に民間事業者にするという判断がされると、巨大な民間放送事業者が突然登場し、テレビ広告市場にしても、有料放送市場にしても、むしろ、今の放送事業者にしてみれば競争の激化だけを意味することになる。だから、JMの主張自体は、一面でかなり理念的なもののようにも感じる。
裏返すと、BBCが民営化されても、News Corp.なら伍していけるという自負があるのかもしれないし、場合によれば、BBCの資産の一部をNews Corp.が取得してもいいと思っているのかもしれない。
あるいは、BBCにしてもNews Corp.にしても、実は彼らの競争範囲は既にイギリス国内に限らず、英語圏、大陸欧州、アジア、にも及ぶことを考えると、単純に、イギリス国内においては、受信料というなかば税金のような形で毎年のキャッシュフローを確保しながら、その資金でストックとしての番組をつくり国外でそれらを販売して収益を上げているというスキーム自体が、グローバル競争が当たり前の現在、極めてunfairな競争条件としてNews Corp.には見えているのかもしれない。
いずれにしても、JMの目から見れば、BBCの存在は、目の上のたんこぶ的な存在で、単純に何かビジネスを新たに展開するときには鬱陶しい存在ということなのだろう。
そして、そのことを批判することの正統性を、一つには、Darwinの理論に求め、今一つは、そうした進化論的制度の採用がイギリスの「国益」にも叶うという言説を紡ぐことで、一見すると、「女王陛下のBBC」のような存在が歓迎されがちなイギリス人の気分に分断線を生じさせることを企図しているのかもしれない。
Cool Britainと言いながら、2000年代に入ってもっぱら金融業を中心に、製造業ではなくサービス業に経済基盤を求め、サブプライム危機まではそうした施策が大成功と言われてきた(ポンド高がその象徴だったわけだが)イギリスの、複雑な事情(大国なのか小国なのかもはやよくわからない存在)が影響しているのかな、と最近のイギリスの様子を見ていると感じることがある(この点はしばらく気にかけたいと思っている)。
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ところで、Darwinによる進化論は、社会学の分野では、後日、ハーバート・スペンサーによってsocial darwinism(社会進化論)に練り上げられ、20世紀前後の政策思想としてそれなりの影響力を持ち、その反省から、社会や経済について進化論的議論を行うことの難しさ、危なさも様々に語られている。
JMがこのようなことを理解した上でDarwinを引用したのかどうかはわからない。単純に、Darwinの生誕200年とか、DarwinがEdinburgh大学で医学を修めていてEdinburghにゆかりがある人物だから、ということで参照したに過ぎないのかもしれない。
とはいえ、進化論というのは、どこかでholisticな視点、つまり、単に個々の種の変貌という局所的なことではなく、生態系という言葉で「全体的な調和」の視点を持っていることを考えると、いろいろと経済的な破綻、社会的な破綻が言われているときに、自由競争をよしとするには使いやすいロジックなのかもしれない(日本でも最近やたらと「進化」が言われるので)。