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先のエントリーで、News Corp.のJames MurdochがOfcomを批判したことに触れたが、そのことで、タイトルのような動きがアメリカで起こっていることを思い出した。
FTC(Federal Trade Commission:連邦取引委員会)が、newspaper businessの現状調査のためにワークショップを開催するという。
F.T.C. to Assess Business of News
【New York Times: August 24, 2009】
FTCは、「不正競争防止」の一環として、ある商品の販売に当たって、消費者に対して十分な情報の提供が行われているかどうかにも目を光らせている。単に商品の効用を伝えるだけでなく、たとえば、酒類や煙草については潜在的な被害の警告や、薬品については適切な服用の指示、食品については食品成分の表示、なども、そうした「適切な商品情報の提供」にあたる。広告でうたっている内容が誇大表現ではないか、というのもこの範疇に入る。
今回、FTCがnewspaper businessの現状調査に乗り出したのも、そのような「適切な商品情報の提供」あるいは「公正な商品情報の提供」が、広告不況で新聞の経営難が伝えられる中、適切になされているのか、あるいは、ジャーナリズムが不正に手を貸す可能性はあるのか、というあたりについて、気にかけているからだ。
そして、対象とするジャーナリズムには、従来のジャーナリズム機関だけでなくブロガーも含まれる。ネット上での「口コミ(WOM=Word of Mouth)」によって商品の認知度や好感度を挙げていこうとする動きは既に随所で現れており、ブロガーによっては、一見客観的な情報提供、あるいは、中立的な判断をしているようにみせながら、実は、特定の企業からの資金的見返りや援助を受けながらサイトを運営している場合も散見されるようになったためだ。もちろん、逆の動きとして、特定の商品や企業を中傷することで風評被害を生み出す、ということもある。
いずれにしても、こうした事態をよしとしないFTCが、消費者保護の観点から、これら不当な情報提供に対して目を光らせたいと考えるのは、極めて自然な流れである。
ただし、こうした動きは、ジャーナリズム活動に対する連邦政府の介入、というように受け取る人もいるため、今回のFTCの動きを疑問視する声も上がっている。
今のところ、ジャーナリズム機関の側の見方としては、FTCのワークショップ(開催は今年の12月を予定)によって、以上のような「問題点」が公に指摘され、かつ、公の場で議論されること自体は歓迎すべきと捉えているようだ。
望ましいのは、問題提起はpublicやprivateの区別なく行うが、その対処はあくまでも民間の方で自主的な制約・監督を行う、という落としどころ。というのも、ジャーナリズムは政治権力から独立した存在を保つべきという建前があるからだ。そして、この建前は、アメリカの場合、ジャーナリズムの外部の様々なadvocacy groupによって、むしろ声高に主張される。一定の範囲で独立性、中立性を体面上は保とうとするからこそ、働きかけがいがあるわけで、それが特定の企業・団体・政党の意のままになるようならば、PR戦略など意味がなくなるから。それくらいなら、自分たちで情報の充実したサイトを立ち上げたり、そうしたサイトに資金援助をした方がましだからだ(実際、そういう動きも出始めている)。
とはいえ、「ある商品に関する情報」の提供という意味では、記事と広告、記事とPR、の区別を明確にするのが難しいときもある。そして、一旦、「監督する」権限を当局に認めてしまうと、記事と広告/PRの区別の難しさから、監督方法が、表現様式に対する制約や、表現の事前審査(つまりは検閲的行為)、という手段が採用される可能性もでてくる。
いずれにしても、様々な部分で政府が民間活動に介入する余地が生じてしまう(そして、アメリカ人は一般的に連邦政府の介入を嫌いがち)。
(たとえば、最近では、バドワイザーがマーケティングの一環として大学のスポーツチームの色やデザインを使った「大学缶」を出したのに対して、それは、大学内での飲酒が認められていない年齢の子たちに飲酒を促すものだ、という理由で、FTCの法律家が批判的コメントを加えたりしている。
FTC Criticizes College-Themed Cans in Anheuser-Busch Marketing Efforts
【Wall Street Journal: August 25, 2009】
このように、FTCは、商品に関わる作業が多いので、想像以上に視点の位置が細かかったりする)。
新聞社については、経営難を救うため、NPO化を認める、すなわち税制優遇を認めるという動きもある。もちろん、その代わりに、新聞社は特定の政治家の支持表明はできなくなり、まさに「不偏不党」の義務を負うことになる。
こうした動きとどこかで通底しているところが、今回のFTCの動きにもあるように思える。
ということで、個人的にこのFTCの動きで注目していきたいのは、ジャーナリズム業界やメディア業界が中心になって、いかにFTCの介入意欲をかわし、自発的に業界内ルールをつくっていくことになるか、というところ。それができなかったら、事実上、ジャーナリズムは連邦政府の監督下に入ることになるかもしれないからだ。それは、決してアメリカ人の好むところではないので、おそらく、そこまでは行かないものと見込んではいるのだけれど。