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FacebookがFriendFeedを獲得した理由について次の分析が参考になる。
Facebook Cornering Market on E-Friends
【Washington Post: August 16, 2009】
巷では、Twitterに出遅れたreal-time searchの拡充のため、とか、もっと直接的にTwitterに対抗するため、とか言われているようだが、それは表面的な捉え方に過ぎない。FacebookがFriedFeedを欲したのは、social aggregatorになるためで、social aggregatorとは、複数のsocial mediaの活動履歴を一カ所に集めて、一覧できるようにする存在のこと。
あるFacebookユーザーが、同時にTwitterを使い、Flickrを使い、Diggを使っている場合、それぞれの活動はばらばらになってしまう。というのも、social mediaの本質は、名前とは裏腹に、walled gardenであるから。social=社会的なのは、あくまでもログインした後のそれぞれのsocial mediaの中のことであって、ログインによって内部と外部の間に壁が設けられてしまう。
この壁によって、オープンだったはずのインターネットの世界で、いくつもの排他的な島をつくってしまったのがsocial mediaということになる。つまり、social mediaの登場によって、インターネットの世界は、fragmented=細分化された世界に様変わりしてしまった。
その細分化された世界を再度統合しようというのが、Facebookが考えていることで、そのために、Facebookは三つのことに取り組んだ、という。
一つは、Facebookという島自体を果てしなく大きくすること。全世界で2億5000万人の登録者数によって、普通の国の人口を遙かに凌駕する存在になった。単純に考えて日本の人口の約2倍なのだが、既に想像が及ばない。
Facebookが取り組んだ二つめは、Facebook Connectという仕掛けによって、FacebookのログインIDをそのまま転用できる外部サイトを増やしていったこと(記事の説明では、現在15,000のサイトが参加しているという)。Facebookを中核都市とすれば、その周辺に配置される衛星都市の数を増やしていることになる。
そして、三番目にFacebookが行ったのが今回のFriendFeedの獲得だ。これによって、種別の異なるsocial mediaの活動も、Facebookのユーザーページに集約させることができる。
こうして、Facebookはsocial aggregatorとしての顔を整えていく。記事中では、ニュースサイトやブログポストやその他諸々のサイトをaggregateしてpublicityを獲得したHuffingtonPostになぞらえている。
以上をまとめると、各種social mediaの登場によって、いったんは細分化されて互いに没交渉の可能性をもってしまったインターネットの世界に、再度、全体性とか透明性とか、見通しの良さを取り戻すことに、Facebookは取り組んでおり、その一環としてFriendFeedを獲得した。
こうしてFacebookは、巨大なユーザー数を誇るsocial aggregatorになる。そして、そうしてまで対抗しようとする相手がGoogleだという。
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Facebookが仮想的として、同業のMySpaceでなく、あるいは、巨大PortalであるYahoo!でもなく、Googleに照準を合わせていることは、次の論考でも示されている。
Great Wall of Facebook: The Social Network's Plan to Dominate the Internet — and Keep Google Out
【WIRED: June 22, 2009】
この記事は、FriendFeedの買収が発表されるよりも2ヶ月近く前に書かれているものなので、Facebook自身が何をしようとしているのか、その企業戦略の方が中心的に扱われている。
Facebookが開発したものとしては、先述したFacebook Connectに加えて、Open StreamというAPIが紹介されている。これによって、Facebook内でアップデイトされたユーザーの活動のストリームを、第三者の開発者が引き出して利用することができる。そうやってFacebookの利便性の向上を、外部の開発者の自発的な知恵を活用して、実現できるようにしている。その意味で、Facebookは、Amazonやi-PhoneやGoogleのように「プラットフォーム」として機能している。
とはいえ、FacebookとGoogleでは、インターネット上のプラットフォームとしては、その開発思想、設計思想は大きく異なる。
簡単に言えば、Googleがアルゴリズム志向、マシン志向であるのに対して、Facebookはコミュニケーション志向、人間志向だ。Facebookは、“a more personalized, humanized Web(今までよりももっと個人用に調整されて、もっと人間っぽいウェブ)”を目指している、という。
これは、創始者が、Googleでは、StanfordのComputer Science のPh.Dの二人であったのに対して、Facebookでは、Harvardの学部生だったことでも何となくわかろうというもの。
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上のWIREDの記事のまとめによれば、過去10年間はGoogleの時代であった。
そこではアルゴリズムが中心の発想で、それゆえ、“rigorous(数理的に厳密で)”と“efficient(効率的な)”が合い言葉だった。そして、数理的な方法で、未踏の地であったオンラインワールドという土地を測量し、地図、海図を作ることが目的にされた。
だから、Googleは測量士であり、地図作成士であった。
そして、大航海の時代に、地図や海図が、新たな想像力や冒険への意思を喚起したように、Googleが作成した地図・海図は、人々のオンラインワールドの開拓意欲に火をつけることになる。
そういう中ででてきたのが、一連のWeb 2.0の動きであり、その中に、Facebookも属するSNSの動きもあった。
Web 2.0の頃に出てきたサービスは、先ほどの地図・海図の例えにならえば、地図によって理解されるオンラインワールドの中のある場所で、人々の集う街や、個人が住まう家や部屋を用意され、加えて、広場や劇場や酒場のような場所も準備された。
Facebookの開発思想は、こうした街並みができたところからスタートしている。
オンラインワールドの地図・海図よりも、オンラインを利用する人々の関係=social graphに照準を当て、それを起点にして何ごとも発想した方が、現実的でうまくいくのではないか。こうういう発想がFacebookの根底にある。それゆえの、より個人的でより人間的なウェブ。
Social graphをオンライン経験の枢要な要素にしようというFacebookの発想は、だから、かつてでいえば、マシン語に対するオブジェクト指向言語、IBM-PCに対するMacintosh、文字列入力画面に対するGUIによるデスクトップメタファー画面、・・・、のように、とにかく、利用する人間の側に立った発想だ。人にとって認知しやすかったり、日頃の社会行動とのメタファーで発想できたり・・・、という具合に、基本的な視点を「地図として指定された土地の上にできた街の中で生活する人々の交流関係」に置いたところがGoogleと異なった。
つまり、Google対Facebookは、「地図・海図」対「social graph」に、その発想の違いを定めることができる。
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ではなぜGoogleと対峙しなければいけないのか。
それは、online brand advertisingという「約束の地」を巡る争いが控えているから。
Facebookは、その利用人口の多さから、“a second Internet”と言っていいほどの規模だ。その規模の大きさから、Facebookは、Facebook+ Connectの参加サイトに対して、GoogleのAdSenseのように振る舞うことができる。
Social aggregatorを目指すのは、この目標があるから。しかもユーザーの行動履歴を、Googleとは違って、顕名の下で把握することができる。
もっとも、ユーザーのデータが多数あったところで、それを活用して、behavioral targeted advertisingを流そうとすると、そのたび、privacy侵害のかどで、ユーザーからバックファイアーされてしまう。catch 22的状況が常に生じてしまう。
それに、privacyのことをクリアしたとしても、behavioral targetingは、ユーザーに対するrelevancy(的確さ)という問題を抱える。これは簡単ではない。
ウェブ上の交流関係が、social graphとして、その個人の交友関係のデフォルトとして受け止められるように、ユーザーの行動も、それが顕名であろうと匿名であろうともはや関係なく、実際の行動履歴の束として、その個人が個人として特定されることになる。
ただし、ここでの問題点は、その行動履歴の束を解釈し、それを「その個人の属性」とするとき、その個人のアイデンティティなるものを形成するのに、嫌になるくらい強烈なフィードバックになることもあり得るということだ。
つまり、実際に個人が「自分自身」を同定するという意味でアイデンティティを使う場合は、自分で意図的に消去したい(要するに忘れたい)行動や振る舞いもあるはずで、それを明らかにしたり、それをあえて意識させてしまうことは心理的負荷をユーザーにかけかねない。
それに、識者によっては、そもそも長い時間を経ても一貫性を保つとされる「アイデンティティ」なる概念は、空想的な想定に過ぎず、本来的に人はアイデンティティなるものを持ち合わせていない、と考える人々もいる(長期にわたる同一性の維持は、主に刑法の要請から社会通念化されている。つまり、責任能力の追求、という点で)。
要するに、人間、知らなくて済むなら知らないでいい、ことがある。しかし、その「知らなくて済む」ことは時代時代に変わるし、ウェブの登場によってそもそも「知り方」の流儀も変わってしまっている。
その上で、relevancyを確保するのだから、そうしたものがアルゴリズム的に成功するのかどうかは難しい(だから、これはFacebookに限らず、Googleにも当てはまる)。
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それもあって、現実的には、Facebookは、原点回帰で、ユーザーのコミュニケーションの支援に力を入れざるをえないようだ。
この点は、上の記事はうまく表現していて、
Facebook
= advanced communications network enabling myriad communications forms
(Facebookとは、高度化されたコミュニケーションネットワークで、ここでは、数多の様式のコミュニケーションが可能になる)
これに従うと、たとえば、オバマの選挙キャンペーンの時に、Facebookが活躍したことを考えると、選挙活動に代表される何らかの政治的・社会的「活動」も、一つの“communications forms”となる。
そうすると、人々が一定規模の集団で行動するような紐帯関係のひな形を、あらかじめテンプレートとして用意することの方こそが、彼らのサービス開発の中心的な目標になるはず。
記事中では、GoogleはFacebookとは異なりトップダウンの発想だ、とあるが、しかし、コミュニケーションのテンプレートを用意するという点では、むしろ、Facebookの方が徹底的にユーザーの行動を先読みしてサイトのデザインをしていくことになるので、むしろ、トップダウンの設計志向が今後はFacebookの方が増していくように思える。
それから、約束の地としてのonline brand advertisingだが、上述のように、behavioral targetingは簡単なことではない。ユーザーの反発を招く可能性はあるし、それをクリアしてもrelevantに関するチューニングの問題は強く残る。
だから、少しばかり違う方向に向かうのではないかと思う。
測量士(Google)、都市開発事業者(Facebook)、と来れば、次に来るのは、より具体的な、個別の社会・経済的な活動が嵌め込まれていくことになるはずで、そう考えると、むしろ、
online brand advertisingを飛び越えて、AmazonやeBayなどの、販売を実際に行っているサイトとの接続の方が先に生じてしまうように思えるし、そして、その「接続」のための「接着剤(glue)」は、日本の例を考えれば、疑似通貨≒ポイント、あたりに落ち着くのではないかと考えている。
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とまれ、GoogleとFacebookで異なるのは、
How to navigate the online worldのコアの部分。
Googleのように、常時正確な地図・海図に頼るのか。
Facebookのように、Online worldにつながる人びとをつなげた「社会図式(social graph)」に頼るのか。
今後も、両者の発想の違いからウェブの状況を見ていくのが面白いと思う。