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Google Voiceを巡る一連の動きに対して、AT&Tの利害だけが保護されようとしていると論じ、インターネットの時代、ブロードバンドの時代、モバイルの時代、・・・、の現代において必要なのは、グラハム・ベルの頃から続く“National Communications Policy(全米通信政策)”ではなく、もっとシンプルな“National Data Policy(全米データ政策)”だ、と説く論考。
Why AT&T Killed Google Voice
【Wall Street Journal: August 18, 2009】
著者であるAndy Kesslerは、記事の最後にあるとおり、ヘッジファンドの元マネージャー。元々は工学を学んだ後、Wall Streetに務め、後に自らヘッジファンドを立ち上げた人。だから、技術も金融も一通りわかった人物。著書には、産業革命と金融業の成長とが並行して生じたことを描いたものもあり(“How We Got Here”)、それゆえinnovationのもつ社会的意義や、innovationを阻害したときの社会的損失に対しても、一家言をもっている。上の論考も、彼のそういう経歴に基づいて書かれている。
Google Voiceを巡る一連の動き、というのは、
●GoogleがGoogle Voiceを、i-PhoneのアプリケーションとしてAppleに申請したところ、許可がおりなかった。
●FCCがAppleにGoogle Voiceを拒絶した理由について回答を求めた。
●Eric SchmidtがAppleのBoardを退いた。
FCCがAppleの動きを問題視したのは、wireless open access(無線のオープンな利用)とhandset exclusivity(端末の囲い込み)の点から、疑問を感じたため。
著者のKesslerは、Appleの振る舞いは、Appleが排他的契約を結んだAT&Tの意向を汲んだため(あるいは、AT&Tが圧力をかけたため)と踏んでいる。
(エッセイ中では、AT&Tの業績推移に触れながら、AT&Tが業績低下の速度を抑えるために、Google Voiceのサービス開始を阻止したような流れで説明されている。真相は、FCCの調査結果を待つしかないが、Kessler自身は、状況証拠からそのように見ているようだ)。
Kesslerによれば、必要なのは、communications policyではなく、data policyだという。デジタル化したインターネットの上では、ただデータが流れているだけなのだから、その事実に注目して、政策を考える上での「視点」そのものを変えることが先決であり、それが“communications”から“data”への視点の転換である。
Kesslerは、四つの提案をしている。
●電話の排他性を終了させる。
どのような機器・端末でも、全てのネットワークに接続し稼働できるようにする。データは自由に流れるものだから。
●特定の事業者による周波数の占有をやめる。
サービス開発の起点は、周波数を占有しているかどうかではなく、よいサービスを提供できるかどうかに置くようにする。
●ケーブルについては、行政単位ごとの排他性(≒フランチャイズ)を終了させる。
複数の映像配信プラットフォームが競い合うことで、事実上のnetwork neutralityとopen accessを実現することができる。
●インターネットの高速化を推し進める。
2年で2倍以上の高速が実現できるようにすべき。
全般的に、network neutralityの考え方が徹底されたものと捉えればいいだろう。
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四つの中では、最初の「電話の排他性をやめる」というのが盲点をついていると感じた。他の三つについては、随分前から実は言われ続けていることで、確かに一カ所にまとめると新規のものに見えるが、個別には90年代半ばからずっと議論され続けている(それゆえ、気持ちをしっかりさせないと、聞き飽きた、という感じに陥ってしまいがちな話題でもある)。
その昔、マルチメディア、という言葉が新鮮に聞こえていた頃は、テレビ、電話、パソコン(それにゲーム機)が、マルチメディアの予備軍だ、と言われていたわけだが、インターネットが登場してから既に15年が経とうとしている2009年現在でも、それらの区別は明確に残っている。もちろん、背後のネットワークのIP化(インターネット化)は進んでいるわけだから、いまだに端末のカテゴリーが残っているという事実自体は、むしろ、エンドユーザーの端末、というか、人が利用するインターフェースの形状は、いままで利用してなじんだものから急には離脱できないということを表しているといっていいのだろう。
アメリカでもsmartphoneという商品カテゴリーが確立され、普及過程に入っているわけだが、それでもいまだに呼称は「phone(電話)」なわけで。
(そういう意味では、日本のワンセグケータイというのは、かなりキメラな感じのするところにまで達している。テレビのデジタル化で「双方向化」が進むと言われたものの、テレビに電話線を繋ぐという単純な行為のハードルが想像以上に高かったのに比べて、ケータイにテレビをつけたらあっという間に「双方向テレビ」が実現してしまったのには、かなり複雑な気分になった覚えがある)。
Google Voiceの話を最初に聞いたときは、Googleもまた随分と意地悪なことをするな、というのが最初の感想。確かにIP電話もIP上のアプリケーションだし、電話として利用するためには、ハンドセットのように、マイクとスピーカーが必要になって、パソコンでの利用が思ったほど進まないのは、そうした周辺機器があればいいと思ったときに周りにないからなのだが、その点、Google Voiceをインストールするマシンが文字通り電話機なら願ったり叶ったり、なわけで。
ただ、これを実際にやられたら、電話のトラフィックと、データ通信のトラフィックを、別々のネットワークで配備する発想でいる従来の電話会社からするとたまらないサービスであることは間違いない。痛いところを衝いてくるな、というのが、AT&TやAppleの担当者の第一声だったのではないかと想像される。
もっとも、専用の「電話機」や「電話」という観念が相当根強く日常生活の隅々にまで浸透しているからそう感じるわけで、もっと物理的に、ただネットワークがあって、ただそこに接続できる端末があるだけ、というところにまで戻ってしまえば、なんてことはないことになる。他のIPサービスがいいのに、どうして電話サービスはだめなんですか?と、しれっと言われかねない。
だから、電話概念を打破する、という点で、実は、Google Voiceの一件は関係者(ユーザーや政策担当者を含む)にとってeye-opener(目から鱗)だったのではないかと感じている。
上でも触れたが、おそらく、smartphoneの進展具合だけでいえば、アメリカよりも日本の方が進んでいる。データ通信(インターネット利用)でもそうだし、ワンセグ(テレビ視聴)でもそうだし、着うた(音楽配信)でもそうで、しかも、日本では、決済機能まで入ってきている。ケータイがケータイとして自律して進化してしまったわけだ。
だから、今回のGoogle Voiceの一件や、それに触発されてWSJに寄せられたKesslerのような論考によって、アメリカの場合は、あらためて「phone概念」を払拭するような向きに、政策論議の方向=産業の方向、が舵を切られるかもしれない。
その場合は、アメリカのsmartphoneは日本のケータイとは異なる進化の途をたどることになるのだろう。i-PhoneやBlackBerryのようなsmartphoneの動きは、たとえば、世界の携帯電話機市場でシェアトップのNokiaにも影響を与え始めている。彼らが相互に影響を与えることで、彼らなりのsmartphoneを実現していくことになる。
もちろん、アメリカの向かう方向が、Kesslerのいう方向に一足飛びに向かうとは思わない。それほど、電話会社も、ケーブル会社も、政治的に柔ではないし、ケーブルについては、連邦と州という管轄問題を含むので、一筋縄ではいかない。
だからだろうか、Kesslerも、論考の最後で、AT&TやVerizonは、CitigroupやGMのように、too-big-to-failという理由で政府が救済する対象には当たらない、と牽制している。
それでも、FCCの新委員長であるJulius Genachowskiが、親シリコンバレーで、親IT、親イノベーション、の立場を取っていることを踏まえれば、Kessler的な言説についても、その声が大きくなれば十分考慮される余地がある。
Google Voiceの一件は、“End phone exclusivity”という考え、電話だけなぜ特殊なのか?という疑問を浮上させてことによって、後から振り返れば大きな転換点になっていたと記憶されるような事件になるのかもしれない。