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January 08, 2009
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junichi ikeda

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オバマノミクスを支えるSunstein とLibertarian Paternalism?

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WSJの速報で、現ハーバード・ロースクール教授のCass Sunsteinを、ホワイトハウス内にあって政府の各種規制の状況を監督する、Office of Information and Regulatory Affairsのトップに据えると伝えている。

Cass Sunsteinは、昨年ハーバードに移るまではシカゴ大学のロースクールにいた。そこで、講師を務めていたオバマと親交を深めており、大統領選出馬後もブレインの一人としてしばしば名前が挙がっていた。

Sunsteinのもともとの専門は(オバマ同様)アメリカ憲法だが、最近ではもっぱら「法と行動経済学」の主要な提唱者として注目されている。シカゴ大学ロースクールは「法と経済学」に関する研究の中心で、Sunsteinもその系譜に属しているといえる。

「法と経済学」というのは、手短に言うと、法、特に社会経済的行動を律することになる各種規制を定める法律について、その法律の合理性の根拠を近代経済学のそれに求めるものだ。法の根拠は、一般的には慣習や伝統など様々なものがあるが、そうしたものよりも経済的合理性を重視する学派といえる。

Sunsteinの場合は、その経済合理性の根拠を、最近注目を集める「行動経済学」における合理性に照準している。これも、おおまかにいえば、従来の近代経済学が想定する取引主体は、あたかも神のごとく、市場の情報を全て知り得て合理的に行動する、と仮定されているが、それは前提としてはあまりにも非現実的だろう、というのが今のところの通説。人間の合理性は神のような「完璧な合理性」ではなく、「限定的な合理性」だというところにまで現実的な視点を取った上で、そうした人々の「限定合理性」の様を、認知科学・工学などの成果を踏まえて、経験的に妥当なラインから彫啄していく。そして、そうした「行動経済学」の成果を踏まえて、各種規制の制度設計をしていこう、というのが、Sunsteinも提唱する「法と行動経済学」の世界になる。

詳しくは、彼の最新刊である“Nudge”を見て欲しいが、「法と行動経済学」による規制の方向は、Sunsteinの言葉を使うと、“Libertarian Paternalism”ということになる。

これは、アメリカ人の語感からするとかなり珍妙な言葉だ。Libertarianは日本語だと「自由至上主義者」などと訳されているように、個々人の自由こそが一番大事で、そのような自由を妨げるような制約、とりわけ国家政府からの制約を忌避する立場。前半の「自由が一番大事」というところまでなら、ハイエク(=シカゴ学派の創始者の一人)が提唱した「(19世紀初頭という意味での)古典的自由主義」とほぼ一致する。後半の政府の規制を忌避するという部分が政治的態度の表明になっている。Libertarianは数的にはメジャーではないが、前半の自由主義、市場主義を尊ぶ点で、一般的にはGOPに属する立場と見なされる。

一方、Paternalismは「温情主義」といわれるように、他者の父のように介入して、あれこれ指図するタイプの政府の態度を指す。ある意味、典型的なリベラルの立場であり、社民的な立場とも言える。そのため、アメリカでは、デモクラットの一角を占めることになる。

つまり、Libertarian Paternalismというのは、政府の介入という点では両極にある立場を一つにまとめた言葉になる。その立場は、インセンティブや情報デザイン、などを重視する立場(メカニカル・デザインなどと発想は共有する)で、ざっくりいうと、人間の合理性、情報処理能力には限界があるから、あらかじめ選択肢をいくつか用意しておいて(ここがpaternalismのところ)、それを利用者の意思で選んでもらう(ここがlibertarianのところ)という、折衷方式。日本だと、コンシェルジュサービスと言われるもの近い。あるいは、利用者の利用意向を先回りして見切った上で製品ラインナップを揃えるマーケティング戦略(典型がソフトバンクの携帯電話)。すべてここまで単純化できるものではないが、ある意味で東浩紀が言うところの「環境管理型権力」あたりと根底にある発想は共有されている。

とまれ、Libertarian Paternalismというのは言葉としては、かなり珍妙な、語義矛盾とも言える立場であることは間違いない。しかし、それゆえ、左や右、リベラルと保守、というような、従来の対立を清濁併せ呑んで昇華させてしまうような言葉、レトリックとして流通させる魔力もある。というのも、この言葉が「今必要なのはsmart governmentだ」と主張しているオバマの政策思想と、彼が主張する中道の立場、あるいは、プラグマティックな立場、をうまく表現する言葉になるように思われるからだ。従来の、丸抱えの福祉国家志向の、その意味で「ベタなリベラル」の立場をとることをよしとしない、オバマの発想を、具体的に指し示すものとして使われる可能性は高いと思う。

シカゴ学派、あるいは、「法と経済学」の立場は、従来はGOPの立場、それゆえ、保守的な立場、というように取られていたのが、その立場を政策の立案だけでなく実行の部分まで含めて考える立場として、現実主義的=プラグマティックに採用する。そうしたオバマの制度に対する考え方を反映するものとして、今回のSunsteinの指名は捉えることが出来ると思う。そして、その発想から、いろいろとこの先のアメリカの動きも想像することができると思う。

レーガノミクスを支えたのがサプライサイド・エコノミクスといわれるのと同じように、後日、オバマノミクス(?)を支えたのはLibertarian Paternalismに基づくプラグマティズムだった、といわれる日が来るのかもしれない。