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2026年4月28日、アメリカの独立250周年を祝うために訪米していたイギリス国王のチャールズ3世が、連邦議会で講演を行った。母であるエリザベス2世女王も、1991年に冷戦終結を祝して同じ会場でスピーチを行っていた。
チャールズ3世は、独立250周年を言祝ぐことで、アメリカが文化的にイギリスと同根であることを示し、両国の異同について触れながらスピーチを進めることで、普段なら文化戦争による亀裂が著しい共和党と民主党の双方の議員から関心を呼ぶことに成功していた。
スピーチが始まって程なく、不文憲法の国であるイギリスにおいて憲政の出発点に据えられる1215年のマグナ・カルタに触れて「権力のチェック&バランス」が英米の政治文化、法文化の土台にあることを強調した。そうすることで、議会が人民主権の中心であることを讃えると同時に、(暗に)トランプ2.0の行政権力の拡大を諌めた。民主党議員は拍手喝采だった。
17世紀の名誉革命以後、王制の元で議会制民主主義を定着させ、「君臨すれど統治せず」を実践してきたイギリス王室のひとりだからこそ言える、暴君トランプへの遠回しの批判だった。
ただ、チャールズ3世が、というよりも王室のスピーチライターが巧妙だな、と感じたのは、このマグナ・カルタへの言及の後、英米両国がキリスト教の基盤に成り立つ国であることを告げ、今度は、共和党議員に手放しの拍手をさせる機会を用意していたところだ。イギリス国王は、イギリス国教会の首長を兼ねているため、キリスト教が国家の基盤であるというのは、極めて自然な発言であり、なんら違和感がなかった。
こうして民主党、共和党の双方から(心からの)拍手を受け、場が温まったところで、以後、英米のみならず、ヨーロッパとアメリカの関係の重要性や、地球環境問題への言及など、トランプ2.0が反故にしてきた「リベラルな世界秩序」の要となる案件についてその重要性を訴えていた。
チャールズ3世による連邦議会でのスピーチは、総じて、間接的なほのめかしからなるチクチク相手を指すような「イケズな」表現やエピソードが散りばめられていた。そのため、印象としては、チャック・シューマーら民主党の議員がスタンディング・オベーションで拍手喝采していたのに対して、共和党の議員たちは不承不承拍手をしている場面も散見された。
こうした共和党政治家の苦虫を噛み潰したようななんとも言えない様子は、チャールズ3世の背後で傍聴していた、ヴァンス副大統領やジョンソン下院議長の様子に端的に表れており、二人が時折、拍手に躊躇したり、拍手をしなかったりした場面も見られた。
特にチャールズ3世がNATOの重要性や、ウクライナ戦争がヨーロッパ防衛上、重大な意味を持つ、と主張したあたりでは、反対のことを主張してきたヴァンスは拍手を控えていた。
もっともチャールズ3世がそうした内容のスピーチをするのは、彼が即位前の皇太子時代に掲げた価値観や社会的大義が、環境主義、宗教的多元主義、寛容、多文化主義などであったことを思えば、ごく自然のことといえる。これらの大義は、エリザベス女王の頃からイギリス王室も賛同していたことだからだ。トランプ2.0を駆動する(『プロジェクト2025』的な)イデオロギーとは真っ向対立するものだ。慇懃無礼にもなるというもの。
実は、議会スピーチの前に会見したトランプ大統領にも同様の発言を、間接的で遠回しな表現ではあるが、同じように行っていたと伝えられる。もっともトランプはそのニュアンスに気づかず、本物の王の隣に自分が並ぶことでトランプ自身も王であるように思えたからか、終始にこやかに談笑していたという。
イギリス人の文芸評論家のテリー・イーグルトンに、米英の文化的違いを鋭利に指摘した『アメリカ人はどうしてああなのか』という好著があるが、あの中では、文化的には同根であるにもかかわらず、どうして英米でこうも違うのか、についてかゆいところに手が届く感じで書かれていた。今回のスピーチはまさにその実践版だった。
そういえば、チャールズ3世も件のスピーチの冒頭で、オスカー・ワイルドを引き合いにしながら、「私たちは今のアメリカとほとんど共通している。もちろん言語を除いて」というひねった表現を伝え、米英両国の文化的な壁を暗示し、はたして今、イギリス人の私が話していることは、アメリカ人のあなたたちに伝わっているのかどうか、根本的な疑問を投げかけていた。
もちろん、こうとぼけてみせることで、私の言葉はアメリカ人のあなたでもわかる人にはわかるはずです、というメタなメッセージも伝えている。
トランプ以後のアメリカ人が、以前にも増して、あからさまな言葉遣いによるポジショントークに興じていることに、アメリカ人自身もうんざりし耳をふさぐ人が増えてきた時代に、このような含みのあるスピーチを聞くと、イギリスにある、あるいはヨーロッパにある「深み」がアメリカには欠ける、つまりは「浅い」ことを痛感させられる。
改めて、そのアメリカ流のあからさまな表現様式が、アメリカ産のソーシャルメディアを通じて世界中にダダ漏れしていることに気付かされる。オーストラリアが、青少年のソーシャルメディアの利用を禁止したのも、単にソーシャルメディアへの没頭が薬物摂取のような効果を生み出すから、というだけでなく、きっとアメリカの言葉遣いに毎日直接触れてしまうことを危惧したからなのかもしれないと思ってしまった。
そういう意味では、チャールズ3世のスピーチは、イギリス国王のものであると同時に、英語圏の中核であるイギリス連邦(The Commonwealth)の首長としての意味合いもあったのだろう。
チャールズ3世の議会スピーチは、今のアメリカがどこか常軌を逸していることを気づかせるためのアラームでもあった。願わくば、そのイケズな警告を、アメリカ人もある程度(できれば半数以上)気付いてくれればいいのだが。