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アメリカのニュースを見ていると、連日連夜、トランプの話で持ちっきりで、最近では、いやー、ホント、トランプ、働き者だなぁ、と感心するくらい。
アメリカで8月といえば、連邦議会もお休みで、議員は皆、地元に戻って選挙区の支持者たちとの交流会をして次の選挙に備えているとき。
むしろ、議員が夏休みしていることをいいことに、好き放題やっているようにも見える。いまなら、議会のことを気にせずに何でもできるから。ワシントンDCに州軍を配備するなんて、本当にそう。
プーチン大統領(ロシア)との会談後、ホワイトハウスにゼレンスキー大統領(ウクライナ)と彼を支援する欧州の大統領や首相を呼びつけて議論の場を持ったの、今なら、議員からの横槍が入ることがないとわかった上で仕込んだものだろう。
そうして、アメリカ大統領のイメージを王や皇帝のそれに変えていく。
ただ、いつも思うのは、そういうトランプ2.0の意図にそのまま素直に乗ってしまう人がどうしてこんなに多いのか?という疑問。
その疑問を解く鍵の一つになるかな、と思ったのが、今日、たまたま見かけた南カリフォルニアの灌漑開発農場地の話。
パオロ・バチガルピの『神の水』でも扱われていた、アメリカ西部の、コロラド川の水利権を巡る話なのだが、気になったのは、そのニュースで取材に応じていた人の所属先の名前。
その名は、Imperial Irrigation District(IID)。
南カリフォルニアのImperial CountyのImperial Valleyにある団体で、名前の通り、広域の灌漑を行い、その土地を農地として農民に利用させるもの。
ただ今回びっくりしたのは地名にある「Imperial」、すなわち「帝国の」という言葉で、そんな言葉を冠した「灌漑を目的とした不動産開発団体」を見ると、この南カリフォルニアの農業地帯が、おそらくはスペイン帝国の植民地経営の文化や習慣を継続してできたものなのだろうな、と想像してしまった。
実際、IIDが灌漑して提供された農地は広大で、きれいに区画された土地で、北米の他の地域では農閑期である冬の間にレタスやブロッコリーなどの「サラダ用野菜」を大量に出荷して大きな利益を上げているのだという。夏の間は代わりに、飼料用のアルファルファを育てて他の州や国に販売しているという。
アメリカで植民地経営の農業というと、南部のプランテーション農業が想起され、綿花を積む黒人奴隷の話が語られることが多いけれど、実は西部にも、メキシコ、というかスペイン由来の植民地経営農場の伝統があるんだな、と思ってしまった。
南カリフォルニアやアリゾナといった、今のメキシコ国境を有する州は、基本的に19世紀なかばの米墨戦争の勝利によってアメリカがメキシコから奪った土地だが、そこではすでにメキシコと、独立前のメキシコを占拠していたスペインの文化が入っていたということ。
そのやり方がどうやら今に続いているのではないか?
このIIDの話を扱ったニュースを見ていると、「灌漑開発」会社や管理会社のように、広大な自然資源を「所有・管理する」事業体が存在し、彼らが、自分たちの裁量でその資源の利用を決めている。その様子は、今でも植民地における一部の管理者、いわゆる総督とその配下による采配を見ているようだった。スペイン領時代の封建制の名残のようだ。
なぜなら、そうした「上層部」が決めた利用可能な土地を使って具体的に野菜を作るのはファーマー、つまり農民たちで、そこもまた事業体化が進んで、季節労働にはこれまでメキシコからやってきた労働者を使っていた。
つまり、土地開発、土地利用の担当、メキシコからの季節労働者、といったシステムそのものが、メキシコースペインの遺制のように見えたから。
火星SFのようだ、と思ったのも、そのあまりにも広大な土地、カネ、水、人、の投入方法を確認できたから。
もちろん、赤茶けた砂漠の地にコロラド川から水を引き灌漑設備を作ったうえでできた人工の農地ということもあるのだけれど。
で、この大味な農業経営の仕方が、ある意味西部のリバタリアンな保守主義の原点なのだろうな、と。
つまり、実は、権威主義的な帝国の統治経営の下で保証された「自由」なのだろうな、と。
そうなると、西部のリバタリアンがしばしば「権威主義的な」方向にスライドするのもわかるし、その延長線上にあるシリコンバレーでの経営経験からカーティス・ヤーヴィンが「CEO=君主制」を推奨するのも理解できる。
なぜなら、カリフォルニアのリバタリアニズム・保守主義の源流に、スペインの植民地経営があるのだから。シリコンバレーが、人種には無頓着な代わりにとにかく優秀な人材を世界中から集めようとするのも、スペインの植民地で人種の混交が勝手に進み、代わりに支配・被支配の関係が固定化されたこととも平行的だ。
てっきりヤーヴィンのいう「CEO=君主制」の君主=王とは、イギリス国王のことだと思っていたけれど、どうやらそれは間違いで、多分、スペイン王のイメージで考えたほうがいいのだろう。
トランプに期待される王のイメージも、だから、大航海時代を最初に切り開いたスペイン王のことだと思わないと行けないらしい。
だがそう考えると、横暴としか思えないトランプの様子を支持する人が絶えないのも理解できる。彼らの頭の中には、西部や南西部での広大な土地を仕切る「ストロングマン」のイメージがあるから。
北部でも南部でも中西部でもなく、西部と南西部のスペインなアメリカ。
その土地接収への飽くなき欲望から生じた植民地経営のイメージは、それこそ火星SFの真骨頂だ。
キム・スタンリー・ロビンスンによる火星三部作(『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』『ブルー・マーズ』)、あるいは、火星ではないけれど、リバタリアンSFの金字塔扱いされるロバート・A・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』にも通じる静観。
そういう意味では先述のバチガルピ『神の水』が、水利権争いミステリーであるにも関わらず近未来小説ということでSF扱いされているのも、こうした火星SFの原点である、広大な土地開発・土地摂取のイメージと重なっているからなのかもしれない。
とまれ、トランプ2.0のアメリカが火星SFのように感じさせる背後には、帝国時代のスペインの影があった。なんだったら、トランプがドイツ系なのだから、スペインまで含めたハプスブルク帝国のイメージでとらえてもいいのかもしれない。意外なことにトランプ2.0のアメリカの根っこには、大陸ヨーロッパの深い伝統が眠っているわけだ。