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バラク・オバマ元大統領がNetflixで定期的に番組をもつ可能性が出てきた。
Obama in Talks to Provide Shows for Netflix
【New York Times: March 8, 2018】
といっても、番組内容の詳細はまだ不明。
さらにいえば、同種のディールについては、NetflixだけでなくAppleやAmazonからも打診されているのだという。
となると、遠からずいずれかのストリーミングサービスと契約するのは間違いないのだろう。やらないという選択肢があまりないように思えるからだ。
むしろ、オバマがストリーミングサービスを利用することの意義の方を考え始めておいたほうがいいのだろう。なにしろ、彼のTwitterフォロワー数は1億人を超えているからだ。
今では世界中の誰もが知るようにオバマは、稀代のスピーチの名手だ。極めて話し上手。同様に、彼の妻でファーストレディであったミシェル・オバマも愛嬌のある話し手だ。その二人が、世界中のオーディエンスを前に番組を持つことになる。
たとえば彼ら二人が番組に登場して、(おそらくは彼らの母国語である)英語を使ってトークショーを行う。多分彼らはホスト役で、オバマ夫妻の周りに様々なセレブが集まっては語っていく、ということになるのかもしれない。そのセレブたちの相手を、オバマが当意即妙な切り返しを含めて、務めていく。
アメリカ大統領を目指すにあたって、オバマは自らのアイデンティティを、アフリカ系アメリカ人、すなわちいわゆる「黒人」に絞ったわけだが、オバマの出自を踏まえればそもそも彼の存在はアメリカという枠に収まらない。惑星的=プラネタリーな存在といわれもした。なぜなら、ケニア人の父、カンザス生まれの母、インドネシアでの継父たちとの生活、ハワイでの祖父母との生活、コロンビアやハーバードのような東海岸のアイビーリーグで学ぶ前に在籍した西海岸=カリフォルニアのオキシデンタルカレッジ、・・・のように、オバマのアイデンティティの拠り所は、本来なら太平洋(パシフィック)的なもの、あるいはアフリカ的なものを擁している。そうした個人としての存在基盤の上で、アイビーリーグの西洋的(というよりもより限定されて西欧的)な高等教育を身に着けた。そのような、自ら「多様性を体現した」ような人物が、世界に向けて語りかけることになる。
その場合、オバマ自身がスピーチの名手で、コミュニティオーガナイザーという仕事をしていたことを踏まえれば、彼は今日的な意味で世俗的な説教者になるのかもしれない。
そう思うのには、去る2月21日、メガチャーチの教主であったビリー・グラハムが死去したこともある。80年代に、ケーブルテレビという当時の新メディアを活用して、南部バプティスト教会に根ざした福音主義を映像メディアを通じて広く人びとに説いてまわったグラハムは、レーガンに始まる、80年代以降の共和党の政治的躍進を支えた宗教右派の形成に大いに貢献した。今どきでいえば、ハッシュタグを使った呼びかけに似たことを、ケーブルを使って、説教によって成し遂げた。
もしかしたら似たようなことを、オバマは、それこそ国境を越えて成し遂げるのかも知れない。もちろん、直接的には宗教的なメッセージになることはないだろうが、彼が大統領時代に手がけていた、(アメリカならば民主党的な)プログレッシブな課題、たとえば地球温暖化への対処やマイノリティの社会進出といった話題について語ることもあるだろう。オバマの話術を考えたら、アル=ゴアのように地球温暖化というワンイシューに特化するというよりも、文字通り、ホスト役として、様々な話題/イシューについて語っていくスタイルを選ぶように思える。つまり、位置づけ的には、ダボス会議で話題になるようなことを扱うというか。
もちろん、以上は単なる憶測に過ぎないが、とはいえ、オバマは就任後、いきなりノーベル平和賞を受賞するような人物だ(この点で、政界引退後にノーベル平和賞を受賞したゴアとは異なる)。世界中の人びとから、少なくとも北欧や欧州からの期待の高い人物であったことは間違いない。つまり、確実に彼にはファンがいるということだ。
そして、そんなファンの一人がNetflixの創業者のリード・ヘイスティングスでもある。Facebookのボードメンバーでもあるヘイスティングスは熱心な民主党支持者で、同じくFacebookの最初期からのボードメンバーであるピーター・ティールに対して、ティールがトランプを支持した時点で彼をボードメンバーから外すよう主張したような人物だ。冒頭伝えられたオバマとのディールが成立すれば、その彼が自社メディアであるNetflixを使ってオバマの言葉を世界中に届けることになる。
そうなった時、ストリーミングサービス自体も、社会的位置づけを変えることになる。今までは、レンタルビデオに代わるオンデマンドビデオくらいに思われていたが、この先は、テレビ的な「編成権」をもつマスメディアのような存在へと転じるわけだ。その点で、ストリーミングサービスも、FacebookやTwitter、あるいはYouTubeのようなソーシャルメディアの仲間入りを果たす、ということになるのだろう。つまり、ソーシャルメディア自体も、かつての「新聞vsテレビ」、「テキストvs映像」のような内部対立、というか競合する存在になるといえる。それは巷間いわれる「ポストテキスト時代のインターネット」の姿の一つでもある。
オバマがストリーミングに登場することで、ストリーミングの中身たる番組が、現実世界の人びとの価値判断に影響を与えるような「ライブ感」をもつ。となると、メディアとしても新たな一時代を築くことになる。
はたしてオバマはその導き手となるのだろうか。