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今年の後半に一般への発売が待たれるGoogle Glassだが、ここに来て徐々にプロユース、あるいは特定用途の利用が公表されるようになり、少しずつ利用シーンが具体的に想像できるようになってきた。
たとえば、バージンアトランティックはチェックインカウンターでの利用を行う予定だというし、ニューヨーク市警(NYPD)も警官の装着を検討しているという。他には、スミソニアン博物館で作品解説用の機器として利用される。現在、美術館で使われている解説用の機器(大型のトランシーバーのようなもの)を代替するものとして使うということだ。
Virgin Atlantic Is Using Google Glass for Faster Check-Ins
【Slate: February 11, 2014】
Police Eye Google Glass as Surveillance Tool
【TIME: February 17, 2014】
Smithsonian Brings Google Glass to the Museum
【Hyperallergic: February 11, 2014】
要するに、ハンズフリーを確保しながら場面場面で情報の取得を必要とするような職種やシーンでの利用がまずは具体的に検討されているということだ。
Google Glassについては、ウェブ企業らしく、ベータ版としてモニターを募りながら開発を進めたせいか、もっぱら個人使用の場面があれこれ喧伝され、いきなりバーなどの公共空間でのプライバシーの確保等、想定される社会問題がメディアで取り上げられることが多かった(NYPDでの利用はそのような監視遍在化の良否という議論を抱え込みながらの採用になるのだろうが)。要するにGlassは装着者であるユーザーを「歩く監視カメラ」にする。これはこれで、ユーザーをビッグデータ解析のためのデータ入力装置の一つと捉えるGoogle的発想の最たるものといえる。しかし、上記の動きは、そういった直接的な個人ユースとは予め距離をおくもので、用途が限定的で専門的である分、具体的に利用をイメージすることができる。
実はこうした動き、つまり、具体的な利用シーンとして社会的コンテキストを提示する動きは、Glassのように、新たに導入されるガジェットでは大事なことだ。
どういうことだろうか。
パーソナルガジェットとしてはスマートフォンやタブレットに続いて導入されるため、ともすればGoogle Glassはスマートフォンなどの延長線上にある機器として考えられがちだ。しかし、少し立ち止まって考えれば分かる通り、Glassの使い方はスマートフォンの使い方とは全く異なる。
Glassの場合、導入時においてイントロの役割を果たす先行商品もない。たとえば、iPhoneであれば、その名が示すように、まず携帯電話=Phoneがあり、それをインテリジェント化する=「i」にする、という意図が明確にあった。もちろん、画面上のアイコンをスワイプすることで利用するという、インターフェイスの刷新はあったものの、携帯電話をコンピュータ端末のように使うとどんなことになるのか、については、たとえば、日本のi-modeのような先行事例が既にあった。だから、導入時のイメージを具体化することは、企業にとっても、利用者にとっても、ある程度容易であった。
しかし、Glassのようなウェアラブルについては、そのような先行事例が実はない(この点は、腕時計型のウェアラブルについても同様)。だからこそ、Glassはモニターを募って―しかも一定の金額を払ってモニターになってくれるような奇特な人びとを募って―、ベータ版を試験的に使ってもらうことで、想定される利用シーンを具体化する必要があった。このベータ版のプロジェクトに“Explorer”=探検者という名が付けられたのもそのためだ。
要するに、ゼロベースで利用シーンを作り上げていく。彫刻作品を作るにあたって、まずは四角い木が一つあって、その角を削って、少しずつ面を具体的に削っていくようなものだ。マス化した先行商品がないところで、ゼロから新規製品を作り出す。Google Glassはこの開発工程を一般公開して実践していると思えばよい。この点でも、実は、先行代替商品(しかも多くはイケてない失敗版)が既に存在したところで「革新」的商品を開発するAppleとは着眼点や方法論が異なることになる。AppleがiPhoneを市場に投入した時、どうしてこのような端末を既存携帯キャリアが開発できなかったのか、という疑問の声が多数上がっていたことを思い出して欲しい。その意味でAppleはディスラプターだった。破壊的イノベーションの先に何があるかを既にイメージできていた。
Appleは、先行商品が示していた、(ある製品を構成する)各種パラメータ群の歪な組み合わせを見直し、市場で受け入れられるようなパラメータ値に最適化した上で市場に投入することで成功を収めた。そして、その最適化パラメータの最終決定者としてスティーブ・ジョブズが置かれていた。ジョブズ亡き後はサー・アイブがその役割を引き継いでいるに見えるが、しかし、会社全体の経営まで任されていないため、Apple商品のご神体にはなってもAppleという会社のものにまでは至っていない。革新的経営者と会社を同一視できないため、Appleのブランドイメージはやはりジョブズ存命の頃よりも下がっていると思っていいだろう。
対して、Googleはゼロベースで商品を開発している。忘れられがちであるが、Googleが取っている手法は、通常、「シーズ志向」と呼ばれるものだ。つまり、まず技術的トレンドがあって、その技術をどうやって社会に受け止められる製品に具現化するか、定着させるか、試行錯誤する作業だ。そのため、ソフトウェアにおけるベータ版過程を経て、具体的な利用シーン、つまりニーズの所在を探索しなければならない。この工程は、先述のAppleのものとは異なり、いわゆる「全員参加型」、つまり、Google側の開発者、社外のデベロッパー、ユーザーをも巻き込んだ開発過程になる。集合的で協働的で、その分、特定の個人―ジョブズやアイブ―の作品ではなく、匿名なものになる。場合によると、最初に紹介したように、Glassを導入する、バージンアトランティックやNYPD、スミソニアンのような、企業や機関、団体の方の呼称が流通する。「あのXXXが利用を決定した」というバズが評判になり、人びとの認知(ブランドの初期入力)を獲得していく。したがって、これは一種のティザー広告、いや、ティザーパブリシティと呼べるだろう。つまり、認知獲得(=advertise)の点でも、製品開発同様、Googleは愚直にウェブの方法論を貫いている。
ともあれ、Glassはこれからの製品だ。
だが、その製品の利用イメージは、少しずつだが着々と広がりつつある。こうして潜行モードを持続しながら、製品発売日のXデイに完全浮上する。潜行モードと言っても、深く海に潜るのではなく、船の上から見ると、なんだか水面の下に魚影が見えるような気がする、そのような「潜行」モードだ。最終的にはどうなるかはまだわからないが、しかし、その動きは感知できる、そんな動き方だ。
Google Glassの試みは、もちろん成功してくれたほうが面白いが、しかし、その成否にかかわらず、あるいは、成功の程度によらず、ウェブが普及した社会環境下における、シーズ志向の、技術開発志向の、その意味でイノベーション志向の製品開発の良い事例となってくれるものと期待している。