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グローバルリーチの中で変容するNew York Times

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いつもどおりにNYTのサイトを見に行ったら、トップページにいきなりバナーが現れた。そこで告知されていたのは、長らくNYTが傘下に収めていたInternational Herald Tribuneが、来る10月15日からInternational New York Timesに変わることだった。

IHTというと、今のようにウェブで外国のニュースサイトをブラウズできる時代以前では、日本で手に入る数少ない英語日刊紙の一つで、そういえば、昔、時事英語を学ぶならIHTを毎日読めと言われたな、ということを思い出した。ウェブ登場以後も当初はIHTオリジナルの記事によってサイトが作られていたのだが、NYTがIHTの株式の持ち分を増やす過程で、コンテント面では徐々にNYTとの重複が目立ってきた。2010年に入ったあたりから、NYTにアクセスすると、時折、アメリカ国外からのアクセス者に対してはIHTを推奨されることが見られるようになった。その頃から、IHTはNYTの国際版として位置づけられていたわけで、今回の名称変更はそうした動きが完成したことを意味している。

と同時に、NYTが本格的に、ウェブによるジャーナリズムのグローバル化×デジタル化の趨勢に対して本格的に取り組む姿勢を公表したようにも思える。紙の販売と異なり、ウェブは全米のみならずアメリカ国外にもNYTの記事を届けることができる。読者の側からすれば当たり前の事実も、実際に記事を届ける側からするとなかなか従来の企業慣行・慣性を覆すことはできない。その意味では、NYTもフリーミアム的な有料契約方式に切り替えることで、国内外からの契約者のプロフィールをフィードバックできるようになったことが大きかったのかもしれない。一定の確信を持ちながら、紙面の構成を変えていくことができる。

・・・とこのようなことを考えていたら、次のようなNYTの経営動向に関する記事を見つけた。

No Matter How Hard You Squint At It, the New York Times Can’t Be a TV Company
【All Things D: October 8, 2013】

これによると、ウェブの普及による紙の売上低下などへの対処が好転するのにはまだしばらく時間がかかりそうだが、しかし、今後の方向性は少しずつ明らかになってきたようだ。そのひとつは、この記事の中で指摘されている、「ニュース企業からコンテント企業へ」という方向だ。ウェブの登場でコンテントが王になる、という見方はそれこそ90年代半ばから言われてきたことで20年経ってようやくその段階にNYTも達したといってもいいのかもしれない。

上の記事にもある通り、NYTはしばしばトークショーを開催し、俳優や作家、スポーツ選手やその他著名人と壇上に呼び、読者との距離を近づけている。トークショーといってもただ著名人のパブを行うのではなく、NYTの記者がモデレーターとして参加し、時に厳しい質問を投げかけることもあった。ユーモアとシリアスが混在するトークであり、それが故に、観覧者は著名人のリアルな姿を知ることができる。登壇する著名人にしても、自身が現在関わっていることを人びとに知ってもらうための機会になる。場合によると、ファンドレイジングを呼びかける場合もある。このように一口にトークショーと言っても様々なコンテキストを著名人と観覧者との間に生み出していく。その分、単なる報道の域を越える役割を新聞社が担うことになる。NYTがコンテント企業になるという時は、そのような幅の広いコンテキストの形成力まで含むことを意味すると考えてよいだろう。そして、そのようにして生み出されたコンテキストがデジタルを通じてグローバルに紹介されていく。そのことにNYTが自身が自覚的になったわけだ。

今までにも何回か触れたことがあるが、グローバルリーチの視点から見ると、リベラルな文脈を生み出すものとして、イギリスのGuardianがNYTの後を追っている。リベラルに対するコンサバティブが定義上、総じてより国内のことに目をやる性質があるのに対して、相対的にリベラルなコンテキストは国境を越えた価値を伝える方向に向かう。NYTであれば、長らくコラムを担当しているトーマス・フリードマンが典型だろう。そのような価値を国際的に伝えることに自覚的になったのが、今回のNYTがInternationalを関したこととも関わるのだろう。NYTのトーンが今後どのように転じていくのか、なかなか興味深いテーマだと思える。