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韓国の人たちの目に映った、少し異なる『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』

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報告が遅れましたが、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』の韓国語版が、2013年3月に韓国で出版されました。

韓国語版のタイトルは「どうしてすべてアメリカから生まれたのか―ヒッピーの創造力からシリコンバレーまで―」です。

韓国の出版社(medicimedia社)による紹介サイトはここです。

韓国語への翻訳の打診を受けたのが2012年5月だったので、一年掛からずの韓国語版の出版となりました。

ところで、その韓国語版ですが、日本でも翻訳書によくあるような、監訳者による推薦の辞があって、その内容がちょっと振るっています。ある意味で韓国のIT関係者が、国際市場ないし世界市場をどのように見ているか、また、その世界市場とどのように関わろうとしているか、あるいは、関わるべきと考えているか、という「意志の所在」が明らかになるような序文となっています。


簡単にその内容を紹介すると:

▼▼▼

スマートフォンやタブレットの時代に入り、韓国製品が世界市場でプレゼンスを示すようになったにも拘わらず、サムソンはアップルやグーグルのような称賛や期待を世界から受けることはない。世界市場を牽引するリーダーの役割を求めるような声を聞くことはあまりない。どうして、そのようなことは起こるのか。

その理由は、シリコンバレーの企業群は、哲学や思想を持ち、何らかの社会的価値を示しながら技術や製品の開発に取り組み、イノベーションを起こしているからだ。対して、韓国の企業は、ITの製品を通じて、どのような世界にしたいかという価値や思想を世界に示していない。

つまり、韓国社会がITとインターネットがもつ本質的な特性ならびにそれを生み出した哲学についてほとんど知らないからである。韓国の人びとは、ITとインターネットをビジネスや経済活動として捉えることには習熟している。しかし、ITやインターネットの本質はそれだけではなく、社会的広がりを持っている。そのためには、ITやインターネットがどのようにして誕生したのか、その来歴や誕生の際の様々な思惑の交差、つまり文化的な要因が何であったのかまで遡って理解しておく必要がある。

なぜなら、既にITとインターネットは全ての人びとが利用する、基本的権利に属するものであり、些細な政策のひとつひとつが重要な社会的意味を持つからだ。もはやITとインターネットを単純な事業と製品、企業の競争程度でみる断片的な見方は捨てなければいけない。

この本(『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』韓国語版)では、IT業界の産業的な内容はもちろんのこと、冷戦時代の国家的な戦略、東部と西部の地域的な差、アメリカの歴史と哲学、並びに、重要な文化的要因と重要人物たちが、IT事業とインターネット黎明期にどのような影響を与えたかが詳細に述べられている。

韓国企業が世界市場をリードしていくためには、単純な技術と事業、製品を超えて、ITとインターネットがもっている根本的な意味を理解し、全世界の人びとと共有できる哲学と価値を示していかなければならない。

未来の新しい哲学と価値に悩む多くの人びとにこの本を薦める。

▲▲▲

・・・と、このようなことが書かれています。

(私は、韓国語は読めないので、韓国語のわかる知人に簡単に序文の概要を教えてもらいました。ですので、上記の内容はあくまでも概要です。逐語訳ではありません。その点は予めご了解下さい。)


ざっと目を通してもらえればわかると思いますが、韓国の産業人ないし経済人の視点からの、世界市場を先導しようという強い意志が感じられる序文となっています。そして、そのために、インターネット発祥の地であるアメリカで何が起こったのか、そして、インターネットにはどのような期待が込められているのか、あるいは、インターネットにはどのような可能性=ポテンシャルが孕まれているのか、そのことを理解した上で、アメリカ人ではない自分たちは何ができるのか、という問が立てられています。

要するに、どうやら韓国の人たちは、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』を企業や産業の向かう先を見据えるために利用しようとしているわけです。そして、そのストレートな受け止め方に、著者としては感心したとともに、日本と韓国での本書の受け止め方の違いを、興味深いものとして受け止めています。

というのも、もともと、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』は、同書あとがきにも記したとおり、「ウェブと社会」について、ビジネスマン向けの本として企画され、著者としてもその方向で書いたものでした。つまり、これからのビジネスマンにとっての知的武装の一環として書いてみました。

(それ以外の意図については、以前受けたインタビューで応えていますので、そちらも御覧ください。 → ここ

ただ、実際に出版されてみると、ビジネス書というよりも、文化史、ないし人文系の本、として位置づけられ、概ね、そのような方向で今までも読まれてきていると思います。

もっとも、そうなった理由もわからないことではありません。インターネットの母胎となったとされるカウンターカルチャーに対して言及し、たまたまではありますが、日本でWiredが再刊されたり、あるいはWhole Earth Catalogの編集長であったスチュアート・ブランドの翻訳書が出版されたり、とインターネットを文化的に捉える文脈が瞬間的に高まっていました。とはいえ、著者としては、そのような文化的背景を理解した上で、開発の照準をどこに定めるべきか、という経営的に次のステップを見越してはいたのですが。

もちろん、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』の出版日が、3・11の一週間後であったため、そもそもターゲットに据えていたビジネスマンが、インターネットのこと、それもアメリカのインターネットのことなど悠長に考えている余裕などなかった、ということも、現実的には大きかったと思っています。ですので、著者としては、当初構想していたビジネス書、つまり、ITビジネスの未来を考えるための材料を提供する本、という位置づけから遠く離れても仕方ないな、と思っていました。

ところが、ここに来て、韓国語版の序文で、むしろ、当初想定していたビジネス書としての位置づけがなされたことで、驚いてしまった、ということです。

繰り返しになりますが、少なくとも2011年の発刊以来の2年ほどの間に、著者として触れてきた感想や書評からは、企業や産業の文脈で関心を持たれたことはほとんどありませんでした(唯一の例外は経営学者の野中郁次郎さんでした)。

そういう経験からすると、日本の場合、歴史や思想、あるいは哲学といった、経営の意志の元になる領域は、企業人や産業人からはどうやら分断されてしまっているといえそうです。簡単に言うと、法・経済・経営系の本と人文系の本の読者が綺麗にと思うくらいまで乖離してしまっている(これはこれで興味深い現象だと思います)。対して、韓国の人たちは、そのような「経営の意志」を支える思考方法についても、経営の問題として捉えているように思われます。端的に、日韓の間に、そのような経営文化の違いがあるということなのかもしれません。

(ただし、個人的な読書経験からすると、こうした違いもせいぜい2000年代に入ってからぐらいにも思えます。たとえば、ソニーの盛田昭夫さんが現役の経営者の頃は、何冊も本を出されていました。渋沢栄一から松下幸之助まで経営者の考え方を伝える本はたくさんありましたし、あるいは樋口廣太郎さんのように経営者から財界人として活躍された方もいらした。ですので、「経営の意志」を知ることは、かつてはビジネスマンの現在進行形の教養だったと思われます。)


ともあれ、先述の韓国版序文に書かれている内容からは、次のような意志が感じられます。

つまり、今後、韓国企業、あるいは韓国IT産業が、世界市場に対していかなるアプローチを行い、どのようにして称賛や期待を得るためのプレゼンスを築くのか、もっと卑近な言葉でいえば世界ブランドとしての地歩を築いていくのか。そのためには単なる商品や技術の開発だけでなく、それを先導する思想や哲学が必要であり、そのような思想や哲学の下で、国際社会で通用する「社会的価値」を提案し実現して行かなければならない、というものです。

これは、とても志の高い考え方だと思います。

もちろん、この視点は、韓国企業を取り囲む競争環境も影響していると思われます。

しばしば指摘されるように、韓国の総人口は5000万人ほどであるため、決して小国とは言えないものの大国と言えるほどの規模でもなく、製造業のスケールメリット(規模の経済)を享受するには、はじめから国内市場だけでなく国外市場も想定しなければならず、そのため、国内市場と国外市場をシームレスに考えるような商品開発が必要になります。

実際、サムソンは2000年代初頭の時点では、後発の家電メーカーであったため、その時点で、商品のデザイン開発に力を入れており、社内に大規模なデザインセンターを設置していました。「デザイン家電」というと北欧諸国の製品が有名ですが(その中にはノキアやエリクソンという携帯電話メーカーもかつては含まれていました)、そのような「デザイン」による商品の差異化の方向に、サムソンは今日の世界的地位を築く前から舵を切っていたわけです。

つまり、輸出先の先進諸国(アメリカ、欧州、日本、等)は既に成熟社会であり、家電事業においては、先行大手が何社も犇めいている。その中で新興企業の商品を手に持ってもらえるには、どこまでもユーザーサイドの要望に応えるようにする。したがって、デザインという最もわかりやすい「外観」に、購買者の嗜好が反映されるよう配慮する。そのような発想と施策が必要でした。こうして、サムソンは、2000年初頭の段階で、デザイン・シンキングを既に実践していたわけです。

また、そうしたユーザーサイドの要請に機動的に対処するためには、基本的にはアプリレイヤーやインターフェイスの部分で、既にある家電/ICT商品群と操作上の違和があっては困ります。そこでユーザーのいるマーケットの技術規格に基本的に準じる方向で対処することになる。

少し脱線しますが、この方向は何も韓国企業だけに限ったわけではなく、後発の新興企業ならどこでも取った施策です。ITの分野で台湾企業が伸長してきたのも、同種の対応がありました。この文脈であえて対比的に捉えれば、日本の企業は、ある意味で独自の技術規格開発を好み、マーケティング用語でいうところの、「ニーズ」よりも「シーズ」に基づいた開発発想からいまだに抜け出ていないといえそうです(もっとも、それも故無きことではなく、確かに日本の技術開発力はパテント数の点で確かに世界有数のものではあるからです)。実際、90年代の国際的なIT市場とは、基本的に日米欧の間での、テレビや携帯電話における技術規格開発競争でした。「ガラパゴス化」という現象にも、技術規格の独自性がもたらした帰結といえます。

個人的経験では、2003年にNYに留学した際、携帯電話を契約しようとすると、日本製の端末は、確か京セラのものしかなかったと記憶しています。モトローラやノキアなどの端末の横に並んでいたのは、サムソンやLGなどの韓国製携帯電話でした。日本市場を構成する、富士通、パナソニック、NEC、三菱電機、などのメーカーの製品を見かけることはありませんでした。技術規格が違ったことが大きかったためです。

もっとも、当時の携帯電話の「高機能」の水準は、もちろん日本のモノのほうが先行していました。そこに変化が生じるのは、アップルがiPhoneを市場投入した2007年以降であり、そのスマートフォンの流れに上手く乗れたのがサムソンだったといえます。もちろん、アメリカのIT企業がファブレスを当然視していたことも、韓国だけでなく東アジアの製造業とのパートナーシップを作る誘因となりました。そして、その多国籍企業的なパートナーシップの在り方に対しては、2013年に入って、税法や雇用の観点から、アメリカ連邦政府からの見直しが始まっています。

このように見てくると、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』韓国語版の序文で示された「志の高さ」は、こうした世界市場に首尾よく参入できた過去十数年の自信から発しているようにも思えてきます。ここからさらに前進し、さらなる成功を収めようとする意志の表明ともとれます。

その一方で、こうした韓国のIT関係者の「世界志向性」を支えるのは、それこそ、彼らが、世界を志向する文化的伝統、文化的環境の下で生活しているからではないか、と思えてきます。

こう考えるのは、小倉紀蔵さんの『韓国は一個の哲学である』(講談社学術文庫)を少し前に読んだからなのですが。要するに朱子学のような、宇宙論(コスモロジー)を伴う儒学の伝統が韓国の人びとの言説空間を根底で支えており(あるいは、根底から条件付けており)、彼らの世界志向はそこから発している、という見立てです。

そうした「世界へ届こうとする意志」が当たり前のところでは、世界に通用するにはどうしたらよいのか、何をしたら世界に手が届くのか、というのが、無意識のうちにある考え方・発想法として韓国の人びとの間にも共有されているのでないか。そして、そうした発想の習慣があるからこそ、競争相手であるアメリカIT企業がいかなる発想の下で商品開発をしているか、についても関心を抱くことになるのではないか。そして、実は、そのような世界(市場)に対する基本的な姿勢の差異が、21世紀に入ってからの、コンシューマー向けエレクトロニクス産業における、個別企業の浮沈を占ってしまうのではないか。

・・・と、こんなことも想像してしまいます。


いずれにしても、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』が韓国語版になることによって、韓国の人たちにも読んでもらえることは著者として単純に嬉しい。もう十数年前になりますが、以前書いた『テクノ図解 デジタル放送』という本もそういえば韓国語に訳されていました。留学時代、その翻訳本を韓国からの留学生に渡したところ、先生扱いでそういえば焼肉とかごちそうしてもらったことも思い出しました。

個人的にも良い機会なので、韓国の目線から世界市場を見たらどうなるのか、彼らの発想を支える考え方とは何なのか、ということにも気にかけて行きたいと思います。まずは、小倉紀蔵著作集を読むことから始まるのかもしれませんが。

ということで、(日本の方々には直接関係ないかもしれませんが)『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』韓国語版、よろしくお願いします。

アメリカ三部作も終結したので、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』の「その後」となるものを考えてもいいタイミングなのかもしれないと思い始めています。