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インターネットは公共の広場であるとヒラリーは言う

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クリントン国務長官が、インターネットの自由についてスピーチを行った。

Hillary Clinton: Internet repression 'will fail'
【BBC: February 15, 2011】

このBBCが一番簡潔に伝えていて、インターネットの自由をアメリカとしては大事にしていきたい、ということ。その一方で、例のWikiLeaksによるアメリカ外交文書の漏洩については「theft=窃盗」と位置づけている。

このジレンマはなかなか根深く、NYT等の報道にそれは見て取れる。

U.S. Policy to Address Internet Freedom
【New York Times: February 14, 2011】

Clinton calls for 'serious conversation' about Internet freedom
【Washington Post: February 15, 2011】

Clinton Calls for Global Standards for Internet Use
【Wall Street Journal: February 15, 2011】

インターネットの自由の確保については、たとえば、具体的には国外へのインターネットのアクセスに制限する国に対して、circumvent program=回避プログラムを開発することの助成を行うとしている。

しかし、そのような具体策が報じられている傍らで、件のWikiLeaksについては、刑事罰の裁判が行われ、検察側からTwitterアカウントについての情報開示が請求されている。Assangeら被告の弁護士たちは、それはFreedom of Expressionの原則にもとる、ということで、情報開示を拒んでいる。

WikiLeaks, free speech and Twitter come together in Va. court case
【Washington Post: February 16, 2011】

つまり、自由と検閲、自由とプライバシー、自由とセキュリティ、等が、一緒くたになって問題化してきている。そのセキュリティも、cyber-crimes(サイバー犯罪)やに関する方針が今年中に取りまとめられるという。

こう見ると、インターネットの自由も、従来何となく語られてきた漠然としたものではなく極めて具体的な権利の束として制定される日はそう遠くないようだ。

クリントン長官は、件のスピーチの中で、インターネットはpublic space(みんなの場所≒公共の広場)になったと指摘した後、具体的に、town square、classroom、marketplace、coffeehouse、nightclubと行ったものを挙げていた。街の広場であり、教室であり、市場であり、コーヒーハウスであり、ナイトクラブであると。これらが、アメリカ人ならイメージできるpublic spaceとして挙げられた。

ただし、これら一つ一つのpublic spaceのイメージは、やはりアメリカのもの、あるいはコーヒーハウスがわざわざ組み込まれているところからすると、アングロサクソン的なものと言っていいのかもしれない。

コーヒーハウスはイギリスでその昔、サロンのように人々が集い、お喋りをし、様々な情報を交換し、そうして新しい情報や物語を作っていった場所だ。街の広場とは、英米人が集う文字通りの広場であり、教室は子供が教育される場であると同時に大学であれば教授と学生が議論を交わす場だ。市場も、フリーマーケットやグリーンマーケットのような人々が三々五々やってきてはモノの交換をしながら意見を交わすところだ。ナイトクラブは、酒を交わしながら時に秘密の情報のやりとりが行われる場としてある。

そのような「情報の交換の場」として経験的に(アメリカ人が)理解できる場を掲げながら、インターネットの自由が具体的に象られていくことになる。

となると、おそらくは、そのイメージをどこまでアメリカ以外、あるいは英米以外の国の人々が無理なく共有できるのか、というのがこれからのポイントになってくるのだと思う。

イメージの共有は、コンセンサスの醸成とは異なり議論を経て実現されるものではない。むしろ、文化的理解の延長線上で、感覚的に、まさに気分として得られていくものだ。

片方にエジプト等の中東で起こった出来事があり、もう片方に先述のコーヒーハウスのような風習がある。今であれば、この二つの間で、具体的に、インターネットの自由がイメージされていくように思える。

抽象的な理念がどう具体化されていくのか。その具体化に、スピーチでも触れられている、Social Mediaと呼ばれるFacebookやTwitter等の一連のサービスがどう関わってくるのか。どうやらこの一年はそうした疑問を抱えながらインターネットの動きをながめていくことになりそうだ。