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junichi ikeda

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The Roberts Court の時代

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June 30, 2010 17:20 jst
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ちょうどElena Kagan が最高裁判事指名に対するヒアリングを連邦議会上院で受けている最中に、現在の最高裁の傾向についてまとめる記事が出ている。

The Roberts Court Comes of Age
【New York Times: June 30, 2010】

Roberts led Supreme Court through assertive term
【Washington Post: June 30, 2010】

いずれも現在の最高裁トップであるJohn G. Roberts判事の影響か強くなってきたこと、また、liberalとconservativeで判事の意見が割れそうな裁判についてRoberts判事の判断がキャスティング・ボートを握る場面が増えてきていることを指摘している。その意味で「Robertsの最高裁」が形成されてきているという。

Roberst Courtでは、選挙資金について企業の献金の上限を設定するのは「表現の自由」にもとるという判断をしたり、銃の所有についてもそれを認める方向の判断をしたりと、どちらかといえばconservativeと取られる方向で判断が定められることが増えてきている。

冒頭に記したようにちょうど今Kaganのヒアリングをしているわけだが、そこではliberarl色を減らしてできるだけmoderateな人物であるという印象を醸成しようとKaganは試みている。

Kagan Follows Precedent by Offering Few Opinions
【New York Times: June 29, 2010】

Kagan makes bipartisan appeal in Supreme Court confirmation hearings
【Washington Post: June 30, 2010】

こうした状況を考えると、むしろRoberts Courtそのもののconservtativeな傾向性を指摘することで、最高裁全体でバランスを取るためにKaganのような人物を認めようではないか、と指し示しているようにも見えてくる。ちなみにマードックに買収されて以後、conservativeへの傾向性が目立つようになったWSJではRoberts Courtのことはとりあげられていないようだ。

多様な価値軸が乱立しているアメリカでは、最高裁の判断は、そうした価値軸の重心がどこにあるのかを指し示す意味で重大な社会的役割を果たしている。Roberts Courtの重心が奈辺にあり、その重心をKaganがどの程度バランスさせるのか。そのような発想で上の記事を読んでみるのは頭の体操になる。