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GoogleがGoogle BuzzでSocial Network Serviceに参入した。
Generating Buzz
【Economist: February 11, 2010】
上のEconomistの記事が上手くまとめているように、基本的にはFacebookやTwitterの対抗としての参入だ。ただ、既に様々なところで指摘されているように、Google BuzzはG-mailでのやりとりの履歴から自動的にネットワークを構築してしまうようで、それがあまりにPrivacyへの配慮に欠ける行為だとして、開始早々非難を浴びることになった。既に、そのための手当もなされ始めている。
Google to Revamp Buzz Amid Privacy Concerns
【Wall Street Journal: February 11, 2010】
G-mailの利用者が膨大な数に上ることを考えると、今後もしばらくはこのような修正行為が続くことだろう。ウェブの世界ではとりあえずベータ版からスタートというのが常識といえば常識だが、今回については拙速が過ぎたようだ。
裏返すと、そういう拙速な所作が必要なくらい、GoogleとしてはSNSの世界への足がかりを早期に確立したい、ということだったのだろう。
GoogleはちょうどサイバーセキュリティについてNSA(National Security Agency)と協力してあたるという発表もしたところ。今回のBuzzによって、期せずして、プライバシーの保護の問題に自ら触れてしまったことになる。
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前のエントリーでも触れたけれど、Googleの動きは、もはや単なる一企業の動きとは思えないところがある。
ここのところの動きは、あまりにも、政府とか法とか外交とか、とにかく政治的で公共的なことに絡む話が目立ちすぎる。このあたりのGoogleの全方位の野心について、たとえば、次のSalonのように「Googleに囲まれた世界」を語る論考も目立つようになってきた。
It's Google's world, we just live in it
【Salon: February 10, 2010】
Appleとともに、ウェブの世界を構築していく存在として注目を集めている。
それこそ、Lessig, Zittrain, Tim Wu, Benkler、・・・、など、ウェブと関わる法・秩序(≒アーキテクチャ)について研究している碩学たちが、過去10数年にわたって指摘してきた「論点・争点」についてGoogleは一つの解決策をデフォルトとして作ろうとしているように思える。それも、連邦政府公認のルールとして。Googleは、そのルールメイキングに躍起になっているように思える。
裏返すと、それくらい旧来秩序体系の根底にメスを入れていかない限り、ウェブの世界も先に進めないくらい煮詰まった状況に陥っている(あるいは早晩陥る)状況にあると認識している。一連の性急に見える動きは、Googleのそうした認識の表れなのかもしれない。
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Googleは今、Social Engineeringの夢に取り憑かれている。
文字どおり、社会を工学的に設計し最適化する夢。そして、そのSocial Engineeringの夢から翻って彼らが行ってきたことを振り返ると、Googleは今までウェブでCivil Engineeringを行ってきたのではないだろうか。
Civil Engineeringというのは、日本語では通常「土木工学」と訳される。橋や道路、あるいはダムや鉄道を造る分野。都市機能の外輪をつくりだす工学分野。治水やエネルギー調達、交通路の確保など、人間にとって過酷な自然環境に手を加え、自然空間を人が住める場所、街や都市に変えていく技術。それがCivil Engineering。
GoogleがSearchを導入して以降行ってきたことは、基本的にウェブ版のCivil Engineeringであった。そう考えてみる。
SearchのためにBotによるCrawlingを行い、ウェブの世界の測量を行う。その測量結果に基づいて区画整理をし、人目につく一等地を見つけていく。いわば、土地の開墾と不動産開発をしているようなもの。
その土地にAdSenseやAdWordのような、貨幣の流れを作り、ともかくも、彼らが開墾した都市に形はどうあれお金が流れるようにする。
その都市に様々な人びとが持参金を携えてビジネスやコミュニティをつくりにやってくる。
FacebookやTwitterは、いわば自発的な集団、Associationとしてスタートした。ちょっとリアルワールドと異なるのは、仲間になるプロセスの部分。初発の関係性はリアルワールドの関係を投影する形でスタートするものの、事態が進む内に、むしろウェブ内部での出会いや繋がりが飛躍的に増大していく。Facebookが登録ユーザー数であれば既に日本の人口を越えていたり、Twitterが急速に普及を果たしてきているのも、ウェブの特性があればこそ。
Google Buzzで行おうとしたのは、だから、こうしたリアルワールドの投影=射影としてスタートしたSNSサービスを、関係性の構築というところで、もっと大規模に、かつ、もっとラディカルにしようとする試みなのだろう。それがGoogleの創始者の一人であるBrinがS/N比の向上、という言葉でGoogle Buzzを説明していることの表れではないか。
いわば、いまある「人との関係性=社交性=社会性」をG-mailというアプリの利用実績に基づき、強制的にウェブの上に上げてしまう。「世界の全ての情報をネットに上げ、検索可能とする」ことを目指すGoogleらしい動き。この場合、「社会的関係=Social Graph」が全て大規模に可視的にウェブに上げられてしまう。
その超大規模な関係性を一人一人の個人がプレッシャーで押しつぶされずにやりとりできるようなものにするために、大々的にコンピュータパワーを活用する。つまり、コンピュータの支援を受けた「コミュニケーションパワー」が新たに構築される。そうしてGoogle Buzzの参加者の一人一人を全て聖徳太子のようにしてしまう、そんな複数のコミュニケーションを同時並列的に処理できるような機能の実現をめざしているのではないか。
今ならTwitterの流れはTime Lineと、線形の一次元の流れとして表象されているが、これを、Time Plane(二次元)、Time Cube(三次元)、の流れに変えてでも認識可能なコミュニケーションパワーが設計される。
たとえば、線形一次元のTime Lineですら、既に個人の処理能力を超えているところがあり、その調整をするためには、いまのところはユーザーによる人力でフォロワー数を増減させることで対応されている。このTime Line管理のような部分に、Googleは大々的に情報科学・工学の成果を投入することで、コミュニケーションの様相を一変させようと考えているに違いない。
このことがある意味でトンデモ構想であることは認めた上で、しかし、Brinらは、ウェブによって強化された(Enhanced)された集団≒Societyのあり方をGoogle Buzzで模索しようとする。これが、新たなSocietyを構築する工学=Social Engineeringの開発を促すことになる。
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ここで、二つの補足を行う。
一つはSocietyという言葉。日本では一般に「社会」と訳され、たとえば、具体的イメージとしては地域社会とか企業社会が想定される。人の集団というよりは、人が集まる「鋳型」の方を指す言葉。感覚的には「世間」というニュアンスでもある。
一方、英語のSocietyは、もっと多様で、集団やグループ、あるいは同好会、結社、というニュアンスでも使われる。とにかく人が自発的に集まった集団=クラスターを指す言葉として。
だから、Social Engineeringというのも、日本語で「社会工学」というと、土木工学よりは上層の、けれども、人びとを収める鋳型としての「社会」を管理するものとして、たとえば、都市計画のようなニュアンスで取られがち。
しかし、Societyが自発的にクラスターという英語的ニュアンスで行けば、Social Engineeringはむしろ「人びとの関係性を操作する、あるいは、新たな関係性を創り出す工学」という意味になる。
そして、これが二番目の補足になるが、この「社会集団への操作的介入」というニュアンスがアメリカの場合強く、「自由を抑圧する」技術としてSocial Engineeringという言葉が否定的に取られることになる。とりわけ、JFKやジョンソンの頃の、50年代から60年代にかけての、デモクラット主導の「大きな政府」とのオーバーラップもあってこうしたニュアンスがある。
この二つの補足をした上で、しかし、Googleが今行おうとしているのは、ウェブ上のCivil Engineeringの経験やノウハウを使って、文字どおり人びとの集団化の動きに関わっていこうということだ。だから、プライバシーやセキュリティの問題は当然に浮上する。というか、社会の関係性を操作する、という振る舞いに対して、政治や法律の文脈で介入する視点・手段が、プライバシーやセキュリティぐらいしかない、というのが現状ではないか。
だから、今後は、Google Buzzが提案する様々な「(トンデモ)機能」に対して、それらの法的概念を彫啄するような動きも出てくるだろう。私たちは、工学的に強化された社会関係や、そうした工学的に強化された社会を所与の環境とした「社会把握」の方法を、これから創り上げていくのだと思う。そして、それは、統治の術として、政治学や法学の概念の更新や創造をも必要にしていくのだと思う。
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ウェブ上の「Civil EngineeringからSocial Engineeringへ」。
こう捉えるとき、逆にCivil Engineeringについても考えが浮かんでくる。それは「Civil」という言葉。
上で、さらっと、Civil engineering=土木工学、としたが、しかし、どう考えても「Civil=土木」ではありえない。
Civilという言葉はとても多義的な言葉で、その多義性ゆえ、日本語にするとその痕跡が見えなくなる。
上の、civil engineering=土木工学、に加えて、たとえば、Civil War=南北戦争(内戦)、civil right=公民権、civil law=ローマ法、という具合に。
見事に、日本語訳ではcivilの痕跡は消えている。
Civilは、ラテン語のキビタス(civitas)という言葉から派生して、キビタスは、ローマ帝国時代の市民(権)を表す言葉とされている。だから、人びとが集まって集団を作ったときの土台となる、ぐらいの意味がCivilに込められているのだと思う。
ちなみに、アメリカの場合、Civil Engineeringの評価が高い大学は中西部に多い。たとえば、ウィスコンシン大学など。もともと、中西部の大学は、東海岸の私立大学(アイビーリーグなど)と異なり、州立大学が最初にできたところが多い。それは、街を作るためには、文字どおり荒野を開墾し、治水や道路・橋を整備するのが急務の場所で、そのために実践的な知識を伝える必要があったため。
たぶん、Googleが捉えるウェブの現状は、準州から州に成り立てのころの、アメリカ中西部の地域のようなものなのだろう。街を作り、コミュニティや教会を作る。そこに人の関係性や、公益などの社会経済的関係も生まれてくる。
そう思うと、GoogleのCivilからSocialへの展開は、人の集団の新しい統治方法や統治ルールを生み出す展開だと考えられる。
そう思うと、Twitterになれるかどうか、とか、果たして成功するかどうか、といった話題は随分矮小化されたものであることに気付くと思う。
Googleは、フロンティア時代の中西部の社会の立ち上げにあたることを、いま、21世紀的環境の下で、ウェブの中で行おうとしている。
今流行の「集合知」による統治。
Google Buzzはそうした集合知的統治の前哨戦となる動きなのだ。