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年初のNexus Oneの発表で、Appleと競合姿勢が明らかになってきたGoogle。そのAppleとGoogleの「競り具合」についてまとめたBWのカバーストーリー。
Apple vs. Google
【BusinessWeek: January 14, 2010】
具体的に「競り合っている」箇所は:
Smartphone: iPhone vs. Nexus One (Android)
Mobile Software: 要するにapp store
Advertising: 特にmobile ad
Personal Computers: Mac と Chrome OSベースのnetbook
Entertainment: iTunes vs. YouTube
M&A: 上記の競合分野で
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“Apple vs Google”という主題は、昨年暮れあたりからしばしば見かけるようになった。この記事もその一つなのだが、とはいえ、二点ほど興味深いところがある。
一つは、両者の企業文化の違いを比較しているところ。
もう一つは、Mobile Adに関わるところ。
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企業文化の違いについては、カバーストーリーに添付された表が上手くまとめている。
その中で一番象徴的なのが、Key To Success(KTS:成功要因)として対照されている、
Elegance vs Algorithms
の部分。もちろん、EleganceがApple、AlgorithmsがGoogle。
このKTSに紐付いた特徴の対比が:
重要な社員: Designer(A) vs Engineer(G)
であり、
モットー: Think Different(A) vs Don’t be evil (G)
ということになる。
また、Eleganceを追求する際の最終決定者=最終審級=審判は、Appleの場合、Steve Jobsに集中していて、その結果、
意思決定の仕方:
「Jobsがそういうから(A)」 vs 「データ、データ、データ(G)」
となる。
この他に、Work Ethics(職場倫理)として、Googleが有名な「20%ルール」、つまり、就業時間の20%を自分が気になる作業(pet project)にさいて構わない、というのに対して、
「120%、Jobsのプロジェクトに奉仕せよ(A)」
ということになる。
つまり、Apple=「Jobs工房」。
親方であるJobsが言うことは絶対で、その下に、職人(アルチザン)が集っている。そして、彼らは、Jobsの「美学」に賛同し、かつ、Jobsの「美学」の実現に奉仕できる人間が集まっている。
それに対して、Googleは、合理的判断ができるエンジニア集団。記号を操る「技芸家」集団。「集合知」的な組織を実現するために、その判断基準は、誰もが共有可能な「データ」に求められる。
そうすると、
Appleが「美」を、
Googleが「技」を
それぞれ体現する集団ということになる。
そして、「美」も「技」も、ともにかつてArtと呼ばれたことを考えれば、両者は、人間の能力の二つの側面をそれぞれ担っている、といっていいのかもしれない。
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この企業文化の相違を理解した上で興味深いと感じるのが、記事の中で触れられている「Mobile Ad」に関する両者の取り組みを紹介したところ。
企業活動としては、両者ともmobile adに可能性があると感じながらも自社資源に限界があったため、GoogleがAdMobを、AppleがQuattro Wirelessを、それぞれ買収した、という話でとりあえずは終わってしまう。
だが、興味深いのは、「Mobile Ad」も一つのアプリケーションだと考える視点が両者にあること。
というのも、モバイルの場合、GoogleのAd Words/Ad Senseのような、検索行為に随伴して表示されるような情報は広告としてほとんど意味をなさない。なぜならば、モバイルから検索を行う場合、今目の前にある事態にダイレクトに役立てるために検索することの方が多いため。検索結果こそにユーザーの注意が集まるから。
記事中では、たとえば、Yelp(飲食ガイドサイト)を例に出しながら、利用者が今いる場所の周辺で訪れることが可能なレストランを推奨することこそが意味があるとしている。そのレストラン検索の横で、たとえば遠距離のレストランを広告として推奨してもほとんど意味をなさない。
要するに、食べログ、を利用しているような状況。そういう状況下で、意味のある行動促進方法は、随伴する広告よりも、たとえば直接的な誘引になるポイントの提示、であったりする。
裏返すと、モバイルにおいては、Ad Sense的なテキストアドでは不十分。
だから、有効な「Mobile Ad」の開発にGoogleは躍起になるわけだし、AppleはMobile Adの市場としての可能性と自社の優位性を信じていることになる。というのも、上述のような「行動の一押し(=nudge)」に必要なのは、結局のところ、「今この状況下で有効な選択肢の提示」であり、そのためには、その選択肢を提示する機器とそのインターフェースによる「操作性」が決定的に重要になるはずだから。つまり、「Ad」と言ってはいるものの、その実態は、ある種の“app”になるはずだから。
この点で、iPhoneを先行普及させているAppleはアドバンテージがあるし、この「操作性を含めたappの開発」が決定的に重要だと思ったからこそ、Googleは自社ブランドのAndroid PhoneであるNexus Oneを直販するに至ったといえる。
つまり、大切なのは、インターフェースと操作性。
そして、この開発でこそ、AppleとGoogleの企業文化の違いがプラスに働くように思っている。
Jobs工房たるAppleであれば、美的観点を重視しながら、快適な操作性とインターフェースを提案することになるだろう。その一方で、Googleは、仮にデザイン的には後塵を拝したとしても、アルゴリズムの鍛錬の部分で、背後にあるシステムのファインチューンで匠の技を示せるはず。
ここで面白いのは、Smartphoneの場合、その利用を促進しているのはapp storeの充実さであること。このappの部分で、AppleとGoogleは、既に直接的にも間接的にも相互に支えあう関係にある。そのため、決定的に異なる、つまり相互に排他的なプラットフォームを創り上げてしまうことは、原理的にはあり得ても現実的には起こりにくい。そんな環境の下で、両者は鎬を削っている。
直接的に、というのは、たとえば、iPhoneでもGoogle Mapを利用したappが多数あり、そのappを開発する側からすれば、Appleの技術資源もGoogleの技術資源もともに必要なため。そして、こうしたapp companiesの存在が間接的にAppleとGoogleを適度な距離にある「競合」にとどめておくように機能するように見える。
だから、Apple vs. Googleという「対立構図」の見かけに反して、実際には、具体的なビジネスの細部を見ていけば、むしろ「共依存」のような部分も多数浮かび上がってくるはずだ。
そして、その「共依存」の状況は、両者の企業文化≒得意分野の違いから、ユーザーにとっていい意味で「補完」的な商品・サービスを提供していくことになるのではないだろうか。
つまり、AppleとGoogleがともにSmartphone市場で鎬を削ることで、PC/Webで既に稼働しているサービスをSmartphone市場に移転させることを促すことになる。そして、気がつけば、Wintel的なPCパラダイムの影響力を弱める方向へと進んでいく。
それに日本との違いでいえば、アメリカの広告業界の状況を踏まえれば、テレビなどの既存のマスメディアと基本的には切り離されたところで、ユーザーの「利用経験の向上」という点から、mobile adの方法や様式が開発されていくように思える。
少し補うと、Huluのようなウェブサービスによって、アメリカの場合、既存の映像メディア事業者は自らWebでの地歩を固めようとしていて、おそらくは、GoogleやAppleを可能な限り遠ざける方向で、当分の間は進むことになりそうな状勢にある。
だから、Mobile Adは、日本でいえばリクルートが扱ってきたような「アド」の分野を、徹底的にSmartphone仕様でその可能性を追求する方向に向かうように思える。そういう流れに、たとえばセカイカメラのようなappも巻き込まれていくのだと思う。
いずれにしても、AppleとGoogleが競合することで、むしろ、競争政策的にも望ましいような
Innovationの加速をもたらすように思える。だとすれば、理想的な「競争」になる。
果たして、AppleとGoogle、両雄は並び立つのだろうか。