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といっても、Kindleについてではなく、配送を担ったUPSとのやりとりで感じたこと。宅配がUPSで、思わずアメリカの宅配便のサービス水準を思い出させられて苦笑してしまったこと。
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先日注文したKindleが金曜の日中に届いたようなのだが、受け取りができず、再配達を依頼しようと思ったら、そもそも土日はコールセンターは受け付けず、従って、当然、週末配送はなかった。
想像するに、UPSの東京における顧客は、外資系、しかもアメリカ系の会社が中心で、きっと土日は休みだから、UPSも営業しない、ということなのかもしれない。ちなみに、月曜になってから連絡をしたところ、時間指定も「午後」とか「午後最終便」ぐらいしかなくて、これも苦笑。
東京に戻って、すっかり日本の宅急便、とりわけヤマト運輸の凄さ・丁寧さに慣れてしまっていたところで、久方ぶりにアメリカの無骨な「とりあえず届きゃいいんでしょ」的なサービスに遭遇して、あぁ、アメリカのサービスってこんなだったたなぁ、行った当初は結構腹立ててたなぁ、と、妙に懐かしくなった次第。
結局、サービスという商品はつくづく「顧客の予期や期待の水準に合わせて創作される」ものであること、その意味で「文化」の商品であることを再確認させられた。
最初から期待の水準が低ければ腹も立たない。
急いでつけ加えると、これは別にアメリカのサービスが悪い、ということをいいたいわけではない。単に、期待水準と実際に供される水準の間に大きな乖離がなければ、それ相応に「交換」や「取引」は生じて、それ相応に互いに「ハッピー」であり続けることができる、ということ。
裏返すと、「顧客満足」に照準したマーケティングは、すべからくそうした「予期」のマネジメントが必要になることになる。
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このあたりは、日本の企業、特にスタッフ部門が肥大化し現場と距離ができてしまった大企業では、扱い方がわからなくなってきているのではないか、と感じることが最近しばしばある。低成長経済の定着や、その帰結としての格差社会化という社会の変容に対して、高度経済成長(60代前後)やバブル経済(40代~50代)を経験したビジネスマンがもつ実感がついていかないように見えるからだ。
スタッフ部門の「希望」と、現場の対応の「現実」との間に乖離があって、広告やIR等の機会を通じて発せられたメッセージが、対応不能な「過大な期待」を利用者に対して持たせてしまうことがあるからだ。
具体的には、不用意に「顧客満足No.1を目指す」などといわない方がいいということがある。
この手の「宣言型」のマーケティング・コミュニケーションは、昔ならばそのフィードバックの回路がなかったので、失敗しても黙殺し、皆が忘れ去るまで放置して「なかったことにする」ことができた。けれども、ネットがある現在、そうした不満は具体的な声として挙げられるし、また、蓄積もされていく。実際、販売成績も上がらない。
標語的に言うと、「希望を語るのではなく事実で語れ」ということになる。
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情報化の進展の効果として、「物財の全面的なサービス財化」という動きがある。
商品そのものが商品のライフサイクルからいって既にコモディティになってしまっている。あるいは、輸入によって低価格路線が常態化してしまって、モノそのものでは価値が生まれにくくなる。あるいは、レンタルやリースなど、そもそも「所有」をせず「利用」だけする。
こうした動きによって、商品はサービス財に変容していく。そして、サービス財になるとそれは「文化」の一部になるので、コミュニケーションが不可欠の要素になる(これは、単純に「広告」や「宣伝」が大事になる、ということではない。念のため)。
上で「事実で語れ」というのは、コミュニケーションにおいて、それが一番雄弁な通貨になるから。逆に、語るべき「事実がない」というのは、経営的に猛省を促すことにもなるので。
データマイニングによって行動主義的マーケティングが主張されるようになってから随分日が経つように思うが、同じことが企業の行動に対しても個々のユーザー=消費者側でも行われうることについては、あまり語られない。
企業が対外的に発したメッセージは、利用者の痕跡がネットのそこかしこに残るのと同じように、随所に痕跡として残っていく。
そして、そうして「呆れられた」サービスについては、代替財がない間は渋々ながらもそれにつきあうものの、ある日代替財が生じた時点で、緩やかにそちらにながれていく。「反対」が明確に示されることは実は多くない。端的に「無視」されるだけだ。
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日本の会社のサービスは上質だという幻想はこの5年間ぐらいで急速に下がっていると思う。とりわけ、コールセンターを介する場合、そのように感じることは多い。だから、最近、期待水準を下げるようにしている。
その一方で、ヤマト運輸のような会社もある。企業が組織的に配送を頼む場合、ヤマト運輸が他の宅配便に比べて値段が高い、というのはよく聞く話。ただ、利用する側からすると、その対応の細かさには感心させられることは多い。
アメリカは、サービスの質についてグラデーションのある社会だった。質のいいサービスにはそれなりの対価を払う必要があった。その意味で、日本もだんだんとアメリカのような社会になっていくのかもしれない。