American Prism XYZ

FERMAT

452

latest update
September 17, 2009
19:41 jst
author
junichi ikeda

print

contact

452

Webの世界でJournalismの新地平を模索するアメリカ

latest update
September 17, 2009 19:41 jst
author
junichi ikeda

print

contact

先日紹介した、アメリカのBlog Journalism小史をまとめたMichael Massingが、その続編として、アメリカのJournalismの現状について、主に経済的基盤の観点から分析をしている。

A New Horizon for the News
【The New York Review of Books: September 24, 2009】
*アップは9月上旬にされている。

アメリカのJournalismでは、今、不思議なことが起こっている。ニュースや政治に関する関心は最近むしろ高まってきている。とりわけ、若年層で顕著で、先行世代がMTV generationと呼ばれ、政治やニュースに無関心であったのに対して、今の若い世代は、Obama generationと呼ばれるように、政治やニュースへの関心が高まっている。

しかし、このようにニュースへの関心の高さにも関わらず、Journalism機関の収益性はどんどん落ちてきている。

その理由は大きくは二つ。

●ペイの低下
ニュースへの関心は高いが、関心のある人ほど、onlineに向かう。速報性が高く、検索性も高く、その上、無料、ということであれば、有料の新聞紙を買う者は減るのが道理。

●広告の低下
特に新聞の場合、三大広告費源泉である、「自動車」「求人」「不動産」が消えつつある。自動車は、Big 3の経営再建によるディーラー改革が大きい。求人、不動産、については、Craigslistで十分、という状況になっている。

また、オンライン広告については、ウェブ上に広告を掲載できるスペースが拡大の一途をたどるため、価格が安定せず、値崩れをとめることができない。

広告の変化は、構造的な変化であるため、仮に経済状況が好転することがあっても、2008年以前のような広告出稿は期待できないと見られている。

まとめると、Online News Sitesの運営資金は、従来は、オフライン、つまり新聞紙の売上と、広告の売上でまかなわれてきていたのだが、そのいずれもが期待できなくなってきた。そのため、ニュースへの関心の高まりがあるにもかかわらず、十全な収益が得られず、新聞社によっては、支局の閉鎖やレイオフを断行せざるを得なくなっている。

簡単に言うと、商品(=記事)の引き合いと収入(広告、ペイ)の上昇が全くリンクしなくなってしまった。つまり、ビジネスモデルが破綻しているわけだ。

だから、先に報告もしたが、NAA(アメリカ新聞協会)が、ウェブでのペイモデルの導入が喫緊の課題と捉えているわけだ。

なお、実は、新聞社の経営不振の理由については、Massingはもう一つ、新聞社自身の「強欲」を挙げている。過去数十年の間に、新聞社どうしでM&Aが横行し、そのため、たとえば、Tribune Co.のような会社は、買収資金の確保にレバレッジを効かせすぎてしまい、破産に至っている。

これらは、いわば自業自得なのだが、借金をしてでもM&Aを断行しようとしたのも、かつては新聞事業はビジネスとしても魅力的だったからだが、しかし、上で触れたように、その「おいしいビジネスモデル」は既に破綻してしまったわけで、その意味では、Tribune Co.は不運といえば不運だったともいえる。もちろん、先を見通せなかったTribuneの経営陣の「不明さ」が直接の原因ではあるのだが。

しかし、そもそも広告収入というのは、新聞事業からすれば「付帯収入」だったわけで、その事実を忘れて、広告収入そのものをアテにするようになった時点で、まともな経営判断をすることができなくなったといえる。なぜなら、広告収入というのは、商品の利用者とその対価の支払者が異なるため、ある時点で、一体何を売って自分たちが利益を上げているかわからなくなるから。過度の広告依存は、経営判断を非常にさせにくくするところがある。

*

では、こうした新聞経営のジリ貧状態をどう対処すべきか、というのが、その後、Massingが具体例を挙げながら、紹介していることだ。取り上げられている例は、営利事業(for-profit)と非営利事業(non-profit)に大きく分けられるが、Massingとしては、前者よりも後者の方に可能性があるように見ているようだ。

For-profitの紹介は二つに分かれていて、
一つは、アナログ時代からの既存事業者
もう一つは、インターネット誕生以後のオンライン専業事業者。

既存事業者の事例としては、よくあるように、FTとWSJが取り上げられている。いずれも、half-pay half-ad、つまり、広告とペイの「ハイブリッド」形態。FTがQuota方式、つまり、一定数以上の記事を読もうとするなら金を払え、という方式。WSJは、売りであるビジネスとファイナンスについては有料、それ以外の、一般記事(General-interest)については無料≒広告、という路線。

また、NYTは、主に新たなメディアの形式に対処すべく、独自のラボを作り、どのような記事の提供が望ましいか検討をしている。ただ、Massingの目からすると、そうしたR&D活動は迂遠で、いくら他社に比べて余裕があるといっても(といっても、NYT自身、高金利の借り入れに頼らないではいられない状況で決して財務的にも万全ではないのだが)、そのようなR&Dに資金を費やすくらいなら、もっとonlineの編集自体でやれることがあるだろう、という判断のようだ。

具体的には、NYTの強みは、「世界的なネットワーク」と「よく検討されたオリジナルの調査報道」に根ざした「アジェンダ設定力」にあるのだから、そのような「アジェンダ設定力」への期待を生かして、オンライン上のフォーラムなどをもっと頻繁に運営していく方がいいだろう、ということのようだ。

*

有料化の動きに対しては、Murdochが自社のサイトに限らず、共倒れにならないよう、Online News Sitesであればすべからく有料化すべきだと、今年になって強く主張している。

(たとえば以下の記事

The Days of the Internet Free Lunch Are Numbered
【Spiegel Online International: August 21, 2009】

しかし、有料化は、要するに、Online News Sitesにアクセス上の「壁」が設定されることになり、News Sitesへの自由かつ無料のリンクでサイト全体の価値を高めてきたHuffington Postを主宰するArianna Huffingtonが猛反発をしている。

Free LinkはHuffington Postの生命線だからだが、このあたりは、オンライン以前と以後の事業者で対応が大きく異なるところ。オンライン専業者は、どこかで「ウェブはフリーであるべき」という考えをコアに据えているところがあり、ウェブがフリーであることを前提にしたらどうすべきか、というのが、彼らの発想の順序のようだ。

そのオンラインの新参者については、Slate、Foreign Policy、Politico、TPM、Global Postなどが紹介されている。これらについては、このサイトでも幾度か既に触れてきているので、今回紹介した論考の本文に実際に当たって欲しいし、あるいは、Massingの論考に関する前のエントリーや、Politicoについてのエントリーを参照して欲しい。

*

Massingが期待を寄せているnon-profitだが、こちらも実はそう簡単ではない。

興味深いのは、New York TimesとWashington Postをそれぞれnon-profit化するとしたどれくらいの規模の基金が必要か、という試算が紹介されているところ。試算を行ったのは、David Swensen。彼は、Yale UniversityのEndowment(大学の基金)の運用担当者で抜群の運用実績を示して、いくつかポートフォリオに関する本も出している人物(Swensenの師匠が、「トービンのq」を考案したJames Torbin)。

Swensenによれば、NYTで50億ドル、WPで20億ドルの基金があれば現在のクオリティを保ちながら運営できるだろうということ。ただ、その実現は実際には困難で、いずれも社のオーナー一族である、Sulzberger家やGraham家がそれだけの資産価値のあるものをみすみす手放すことはないだろう、という。とはいえ、先述したとおり、NYTもレバレッジに頼り始めているし、WPに至っては企業としての収益は、教育事業のKaplanに全面的に依存するようになっている。この二社とて、単独の新聞事業だけでは事業を支えきれなくなってきている。

Massingは、ここで、現在連邦議会が検討中の、新聞事業のnon-profit化法案についても触れている(この動きについては、このエントリーも参照)。

とはいえ、この法案も冷静に考えるといろいろと困難はあって、そもそも連邦政府が介入すべきことなのか、ということがある。これは、free of speechとも関わる話であるため、アメリカにおいてはデリケートな話題になる。

だから、現実的には、「やむなく」という理由を引き出すために、二つのルートになるのかもしれない。

一つは、マーケットメカニズムにまかせて、Journalism機関の全米での集約を放置して進めた上で、数社になった段階で、彼らに多声性を担保するよう、法律で縛りをかける。

もう一つは、Journalismの集約を禁じる法律を先につくり、形式的に多声性の維持をまず確保する。規模によっては、ジリ貧になる会社も出てくるだろうが、そこは、ジリ貧になるまで放置し、金持ちが救済にでるか、それが起こらなかったら、新聞社のnon-profit化を進めるような法律を導入する。その場合は、不偏不党が求められる。

前者は、報道機関の集約化を進める方向、後者は、(税金に限らないが)公的な資金を報道機関に提供することで、小規模の機関の存続を担保する。

とはいえ、これらもなかなか大変なこと。

ここで、Massingが最も現実のある対処方法として考えているのは、既にnon-profitとして存在しているNPRを中心にして、既存のローカル新聞社との協力関係を構築することで、アメリカ市民が求めている報道ネットワークを担保する策のようだ。

NPRは、公民権運動の成果の一つして制定された公共放送法の結果設立された公共ラジオ。最近では、インターネットにも力を入れており、近年は報道機関として、アメリカ市民から高い支持を得るに至っている(このあたりのNPRの動きについてはこのエントリーを参照)。

NPRを核に据えたネットワークが現実的と考えている背景には、近年とみにinvestigative report(調査報道)に関する関心が高まっていることがある。investigative reportの実施には、人も時間も金もかかるのが相場で、長期にわたる安定的な経済基盤がどうしても必要になる。それにはnon-profitが一番妥当な財源だというのが、Massingの考えのようだ。

*

以上見たように、アメリカのJournalismは現在、再編成のまっただ中にある。どのような解が最適なのかは、もう少し時間をかけてみないことにはわからない。

けれども、一つだけはっきりしていることは、彼らが、Online Journalismへの動きはとめられないもので、そこへの対応を最優先にしていることだ。

いずれにしても、向こう一年が大きな曲がり角になるだろう。ひきつづき、注視していきたいと思う。