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September 13, 2009
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junichi ikeda

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プロ化とメディア資本化が進むBlog Journalism

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現在のアメリカのBlog Journalismは、以前のような、新規参入の目立つ、群雄割拠の状態ではなく、プロ化と産業化が徐々に浸透し、さながら、mass mediaのようになりつつあると記す、Atlantic Monthlyのブログ・エントリー。

The Rise of the Professional Blogger
【Atlantic Monthly: September 11, 2009】

もはや、Blog Journalismは、かつてのような、星雲状のBlogosphereではない。

上のエントリー中で引用しているTechnoratiの調査によれば、2006年に比べて、アクセス数の高いブログtop 50のうち、新たに登場したブログの数は、2008年になって減っている。しかも、そうした新登場のブログのほとんどが、メディア企業が自社のサイトで新たに開設したもの。

こうして、top 50は固定化されてきている。

その結果、書き手もプロ化が進み(有望な書き手は既にメディア企業に引き上げられ、その関係の中で書いている)、全体として、機関化=institutionalizationへの道をたどっている。

このとき、メディアの歴史上で参考になるのは、ラジオの創世記であった20世紀初頭のアメリカ。エントリー中でも言及されているように、当時は、さながら数年前のblog 立ち上がり期のように、アマチュア無線的な「自由ラジオ」が全米各地で立ち上げられていたわけだが、やがて、連邦政府によって、免許制が導入され(いわゆる「電波は公共のものである」というロジック)、RCAやウェスティングハウスといった、ラジオメーカーがもっぱら自社のラジオを売るために、ラジオ局に資本参加し(いくつかは直接自身でラジオ局を設立した)、商業的に成功できるようなラジオ番組フォーマット(いわゆる「番組編成」)を開発した。こうして、ラジオの世界は急速に、プロ化、組織化、企業化、産業化が進んだ。その結果、今日まで続く、CBS、NBC、ABC、というネットワークが誕生した。

(このあたりの事情は、水越伸『メディアの誕生』に詳しい。絶版のようだが、河出文庫あたりで復刊してほしいところ)。

つまり、20世紀初頭のラジオに起こったことが、改めて、Blogosphereで反復されているということ。

*

これは、この間のエントリーでNAAのリクエストに対してGoogleが提案をしているように、新聞業界そのものがオンラインでの生き残りに真剣にとりくみ始めたことの結果でもあると思う。

Blogというアプリケーションの登場によってウェブでの個人による意見表明が容易になったことで、ニュースに関するコメントの回路が登場しただけでなく、従来、主に東部の新聞・テレビメディアによって形成されてきた、アジェンダ設定機能が、Blogの登場によって、東部以外の地域でも提供できるようになってきた。その中心の一つが、Online PublishingのメッカであるSan Franciscoであったりするわけだが(たとえばこのエントリーこのエントリー)、必ずしも西部に限らず、中西部や南部でもそのようなアジェンダ設定は可能になっている。

もちろん、Blogによる、このようなコメンタリー、オリジナル情報発信が可能になったのも、既存の報道機関(新聞やテレビ)がウェブに新聞やテレビと同じ内容をアップしていたことが大きい(このあたりは、日本とは事情が異なる)。

だから、アメリカの場合、Blogのプロ化が進む、というのは、いい意味で、既存メディアとBlogosphereの相互乗り入れ、部分的な融合が進む、ということを表している。なぜなら、既存メディアのもつ「ソフトなジャーナリズム機能」としては、「新たな書き手、新たなオピニオン・リーダーの発見と社会への紹介」ということがあるわけだが(編集者が社会的に評価されるのはそういう機能を果たしていればこそ)、その機能をウェブの上でも果たすことになりそうな状勢にあるからだ。

だから、次に大手のメディアが行うべきことは、そうした「新たな書き手の発掘」をウェブの上で引き続き行えるような仕組みをどうやって構築するか、というところにあると思う。

いずれにしても、アメリカの場合、既存媒体でのジャーナリズムが経営的にはジリ貧ということもあり、今年2009年が、後から見れば、本格的にOnline Journalismへの移行(migration)を始めた年と捉えられるように思う。

そういう意味で、意地悪く取れば、「Blogosphereのメディア資本による飼い慣らし」ともいえそうな事態も、今は、肯定的に捉えてみたいと思っている。

とにかく、書き手の発掘・育成による、書き手の占有の排除、というのが、そうした「飼い慣らしを始めた」アメリカ大手メディアに望みたいことであり、その上で、いい意味でのeditorshipの復権に期待したい。