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September 03, 2009
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junichi ikeda

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政策過程の片鱗としてのOpinionの掲載: FCCルールが覆された後の立法化を促すOp-Edを例として

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前のエントリーで紹介したとおり、FCCのルール(この場合はケーブルの所有制限)が覆されたのだが、それを受けて、次のようなOpinionがWall Street Journalに掲載された。

Another Video Smackdown
【Wall Street Journal: September 2, 2009】

FCCのルールが覆されたのだから、FCCにそうしたルール制定の権限を与えている連邦法(この場合は“1992 Cable Act”)にまで遡り、法の趣旨を反省し、必要ならば新たな立法措置を行うことを促す内容となっている。

ここで指摘しておきたいことは三つある。


●第一に、このような記事が掲載されたという「事実」

こうした反応が大手の新聞社のOp-Edで取り上げられることが事前に予測できればこそ、PR戦略ないしコミュニケーション戦略というのが、アメリカの場合、大統領府でも連邦議会でも、あるいは、大企業でも重要になる。

この場合であれば、アメリカの政治言説の配置としては保守系に分類されるWSJが、皆の期待通り、「自由競争をよしとする」言説を紡いでいる。理由は、前のエントリーにも書いたとおり、もはやケーブルだけが映像配信事業に携わっているわけではないため。

おそらくこのOpinionの掲載を受けて、リベラル系のグループが反応するはず。記事中にあるように、メディア所有規制を維持することで、多様な言論や表現がアメリカ社会に流通することを求めている、Free PressやMedia Access Projectといったadvocacy groupsは、そのような点を争点にして、最高裁への上告をFCCに働きかけようとしている。


●第二に、記事の内容として、ルール(行政命令のようなもの)で対応できないなら、一段上の根拠に遡り、必要なら立法措置に訴える、という「手順」

FCCはあくまでも議会で制定された法律の執行機関でしかない。そして、そうした機関が公布するルールについては、裁判所(司法機関)はその妥当性について、裁判の訴えに基づき判断を下す。つまり、行政措置に対しては、司法は介入しうる。しかし、連邦議会が通過させた法律については、まず、尊重を行う。なぜなら、いきなり裁判所がその立法を無効判断すれば、それは、司法部が立法部に挑戦することになるので。

そういう意味で、最高裁への上告ではなく連邦議会に当該法律の見直しを促すのは、手順としては、あり得る手の一つ。


●第三に、とはいえ、いつまでも「自由競争が正しい」という主張だけをしていていいのか、という「内容」の部分。

WSJのOpinionでは、ビジネス環境は十分競争的だから自然競争に任せた方がいい、だから、1992 Cable Actに遡って、不要な条項を外した方がいい、という主張しかなされていない。つまり、単純に、規制緩和をすべし、というだけ。

(もちろん、アメリカの保守系の考えの背後には、人間の理性など自然が行うことにかなうはずがない、だから、余計なことを人為的に行わない方がいい、結果は最善ではないだろうが次善ではあるだろうから、という、冷徹な断念がある。それはそれで一つの見識なのだが)。

ただ、オバマ政権誕生後の状況では、そうした自由競争を促進した結果(事前に予測されるかどうかはともかく)生じてしまうであろう様々な事態を想定して、必要と見込まれる法的措置を予め行っておこう、という政治的空気がある。

(だから、リベラルの方が、「知力を尽くせる限り」というように、ギリギリまで脳ミソを酷使することを厭わない。それを保守は「下手の考え、休むに似たり」と一蹴してしまうわけだが)。

だから、WSJが保守系だから自由市場礼賛の論調に偏りがち、という情報は重要になる。なぜなら、読み手は書かれてないないこと、触れられていないことを探しうるから(このあたりの新聞ごとに割り当てられてしまったリベラル、保守の「ポジション・トーク」を壊乱させる役割は、最近のアメリカならば、blog Journalismが担っていたりするのだが)。


以上のように、アメリカの場合、opinionに対してopinionで返す、というコミュニケーション回路が、報道メディア全般に備わっているので、opinionを持っている人たち(多くは政治家やそのブレインとしての学者やシンクタンク研究員、まれに企業トップ)は、そうした「意見交換市場」としてメディア機関を利用することになる。

そういう「戦略的コミュニケーション回路」の片鱗を示すものとして、今回の記事の「掲載」を理解するのが、なにはさておき、大事なところだと思う。