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junichi ikeda

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Twitterの普及ルートから考える「普及の理論」の今日的適用可能性

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Twitterの利用は、従来の「普及の理論」と異なり、若年層からではなく、いきなり大人からが始まったことに対して驚きを示しているNYTの記事。

Who’s Driving Twitter’s Popularity? Not Teenagers
【New York Times: August 26, 2009】

従来の「普及の理論」の想定では、early adopterとして想定されている若者がとびつき、しかる後、メディアなどに取り上げられるようになってから、大々的な普及過程に入るとされる。しかし、Twitterの場合、利用者としての若者はむしろ少数派で、普及を先導したのがいきなり大人だったという。

記事で伝えているのは、若者(ここでは、ハイティーンぐらいまでが想定されているようだが)は、Twitterよりもtext messaging(要するにメール)の方が好まれると伝え、その理由としては、「Twitterのように常時自分の行動がみんなに筒抜けなのは気持ち悪い」とか、「そもそも若者は自分たちの友達世界があれば済む」が、大人は「常に生きのいい情報を得たい」と感じているから、としている。

さらに、記事が伝えるのは、「普及の理論」の過程をたどらないのは驚くべきことだが、そう思って周りを見てみると、若者を出発点をせずに普及しているものは結構あって、そうした例として、Wii、iPhone、Kindle、などを挙げている。

*

気になるのは、こうした事実から、何が学べるのか。

単純に、従来からあった「普及の理論」が通用しなくなった、といってしまえるのか。それとも、「普及の理論」はそもそも仮説でしかなかったのか。あるいは、「普及の理論」はある程度の人びとにはまだ有効だが、それが通用しない人びとも出てきたのか。・・・、等々。

こうした疑問にこの場で答えることはもちろんできないのだが、しかし、こうした問いを持ち続けながら実際の市場動向を観察するのはそれなりに有効ではないかと思っている。

というのも、「普及の理論」というのは、innovatorが云々、early adopterが云々、という具合に、ブームやトレンドを説明するのは便利な言葉であるため、過去20年ぐらいの間に雑誌レベルでもよく聞くようになったロジック。だが、「普及の理論」が、スタンフォード大学のエベレット・M・ロジャース教授によって提唱されたのは1962年で、もはや50年近くも経ってしまっているという事実は、しばしば忘れられがち。

(私は、この理論自体は就職してから知ったのだけど、会社にあった翻訳書でも相当年季の入ったものでちょっと驚いた記憶がある)。

困ったことに、マーケティングの世界では、この理論ぐらいしか、普及の理論を聞かない。ちょっとしたマーケティングの本には、釣り鐘状のベルカーブの図とともに、この理論が記されている。そのため、50年経った今でも、新たな商品の普及キャンペーンには、このロジックが利用されることが多いことになる。

しかし、ロジャースが「普及の理論」を発表した頃のアメリカは、まさに、マスの消費社会が登場しようとしていた頃で、家電製品や自動車などが各家庭に配備される過程にあったし、それこそ、冷戦という枠組みの中で、アメリカ連邦政府自身が、自国の物質的豊かさを対外的に広報することに躍起になっていた時代。だからこその「全ての家庭に向けた」「普及」であった。だから、ロジャースの理論は、家庭向けに消費財を効率よく供給し続けるための「ロジスティックスの計画仕様書」としての意味をもっていた。

日本も、1964年の東京オリンピック以後、所得倍増計画による中産階級の創設(「一億総中流社会」への離陸)によって、アメリカ的な大衆消費社会を目指すことができるようになった。その過程で、ロジャースの「普及の理論」が有効であることを、ある程度の事実として、実感したことになる。

けれども、ある程度の商品が行き渡ってしまった「成熟社会」や、あるいは、中産階級という信念が維持できなくなった今日の社会でも、ロジャースの理論が変わらず当てはまる、というのはもはや自明視できないことではないだろうか。

*

ここで少しばかり、普及学について記しておく。

マーケティングやイノベーションの世界で「普及学」として知られているロジャースの理論では、普及過程は次のように5つのクラスターに分けられている:

Innovator 2.5%
Opinion leader 13.5%
Early majority 34%
Late majority 34%
Laggard 16%

(%は、Laggardまで行き渡ったとしたときの最終市場を100%としたときの%)

「普及の理論」では、全体の分布は、大数の法則に従うベルカーブの分布を想定しており、いわゆるマス商品として普及していくためには、10%の普及を早期に達成することが重要であり、そのため、他の人びとへの普及を促す発言をしたり、常に人びとの注目を集めるという意味で影響力をもつopinion leaderの層に達することが重要だとされる。

ただし、opinion leaderは、なかなか新しいもの全てに接することはできないので、early adopterとしての、innovator層の振る舞いを観察することで、何を新たに手にするべきかを決定するとされている。要するに、opinion leaderはinnovatorに、玉石混淆の商品の中からcoolなものを選別する役割を委託しているわけだ。

そして、通常、innovatorは、暇をもてあましている若者、あるいは、購買意欲が旺盛な若者、それゆえ、いろいろな商品に目移りすることを厭わない若者、が想定されている。

一方、opinion leaderはその名の通り、leaderなので、ある程度、社会的な成功をおさめて実際に消費するだけの購買力を持つ人びとになる。だから、典型的には、30代半ば以上で、社会的地位もある程度あり、貯蓄もある程度ある人たち、ということになる。

なお、innovatorからopinion leaderへの通路(path)としての典型は、子供の姿を見る親、後輩社員をみる先輩社員、というのが想定されやすい。

*

こうして書いてみると、ロジャースの理論が何となく想定している前提のようなものが見えてくる。

●ある程度確立された階層社会を想定。
●家族、職場における紐帯関係を自明視。
●しかも、父-子、上司-部下、の非対称な関係を想定。
●最終ゴールは、全世帯への普及。
●可処分所得によってベルカーブ状に世帯が分布すると想定。
・・・・

つまりは、1960年代のアメリカ社会、模範的なアメリカ家族を想定している。
そして、ゴールは、国民全体の豊かさの向上、にある。

しかし、さすがに、こうした事実は、2009年のアメリカでも日本でも想定しにくいのではないだろうか。

だから、上に紹介したNYT記事の分析は、そもそもあまり意味があるものではないのでないか。

*

ロジャースの「普及の理論」が復活したのは、端的にいって、パソコンの登場以後、IT系のガジェットを売り出すことが増えたから。しかも、時代が、deregulationの時代に入っていたので、アメリカ市民全体の厚生を増加させると思われる、パソコンやインターネット(今ならブロードバンド)、携帯電話、などは、昔のように、政府主導で普及策を想定することができない。しかし、可能な限り多くの人びとの手に渡らせたい。そして、多くの人に普及した方が「ネットワーク外部性」の効果によって、効能が爆発的に増加する・・・。

そのため、IT系のコンサルタントを中心に、ロジャースの理論をmodify(修正)したものが、90年代後半にはよく出てきた(たとえば、ジェフリー・ムーアの「キャズム」理論などが典型)。

これらのロジックは、パソコンや携帯電話をアメリカ市民全員に一種のインフラサービスとして、ロジャースのいた1960年代のように「普及」させる際には、確かに有意味だったかもしれない。

けれども、一通りの普及を見た後は、上の記事で紹介されたように、そもそも、アメリカ市民全員に普及させる、という発想が、初期の想定ゴールとしては過大なのかもしれない。むしろ、すべからくニッチ商品として、IT商品も登場する段階になった、と捉えれば、記事が取り上げたTwitterも、あるいはWiiについても、iPhoneについても、腑に落ちる話なのではないかと思う。

だから、マーケティングの現場に対する暫定的な教訓としては、今、目の前にある商品は、はたしてロジャースの「普及の理論」を当てはめるような、巨大なプロジェクト(つまり全国民に向けた普及を図る商品)なのかどうか、自問することだと思う(販売担当者からすれば、売れれば売れるに越したことはないから、しばしば、目標数字は誇大なものになりがちなのは、間違いないので、そこは、グッとこらえて、冷静になるのが大切)。

そして、もしも目の前にある商品が、そういう巨大なプロジェクトだとすれば(たとえば、今の時代なら、太陽光発電装置を各家庭に配備する、とか、エコカーを普及させる、とか)、次に問うべきは、ロジャースのようなステップ、つまり、innovator→opinion leader→・・・、という経路(これは、おおむね階層の上から下へ流れていくので「トリクル・ダウン」という)が有効かどうか、ということ。

ロジャースの時代にあったのは、マスメディアだけ。しかも、全米にテレビが普及し始めた頃のことなので、おそらくは、マスメディアによる伝播効果を、期待も含めて過大に評価していた時期だと思われる。しかし、現代は、ネットの存在によって、必ずしもマスメディアを経由せずとも、直接、あるもの・ことについて、提供者と必要者を結びつける回路が存在している。

あるいは、これはむしろ最近よく聞く主張ではあるが、ベルカーブとは異なる確率分布(たとえば、よく聞くのはジフ分布)を想定することも、手がかりとしては有効かもしれない。


いずれにしても、ロジャースの理論は鵜呑みにせずに、その適用可能性や、実行可能性のリアリティについて考えを巡らすことが大切だということだと思う。そして、こういうことを思い出させてくれるものとして、最初のNYTの記事は参考になったといえる。