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GoogleやMicrosoftに比べて、ITビジネスという技術開発力が勝負の世界では、あたかも負け組のように語られてしまっているアメリカのYahoo!だが、個別のジャンル毎に見ると、必ずしもそんなことはないという話。
Where Yahoo Leaves Google in the Dust
【New York Time: August 23, 2009】
取り上げられているのは、Yahoo! Finance。サイトへのトラフィックで見るとGoogleに抜かれてしまっているが、Financeサイトで見ると、依然としてYahoo! Financeは誘因力がある(上の記事に添付されているトラフィック図を参照のこと)。
Yahoo!の担当者によれば、Yahoo! Financeの成功要因は“Apple Model”を採用していること。サイトのデザインをシンプルにすることを心がけていて、すっきりした見え方を採用することで、情報の多さに圧倒されないようにするように力を入れている、という。単なる金融情報を提供するのではなく、それを加工・編集して提供する。
一方、Google Financeの方は、Googleらしく、むしろローデータの提供にこそ力を入れている。象徴的なのは、Google FinanceではNYSEとNasdaqの株価情報が無料で利用できるのに対して、Yahoo! Financeではそれが有料だというところ。
Googleという企業が、徹頭徹尾、世界中にあるデータというデータをとことん集めることに力を入れていること。さらに、そうしたデータの利用に対しては、データソースとユーザーの間の仲介者を排除しようとしていること。データの収集についてはとことん貪欲だが、データアクセスについてはほとんど禁欲的なまでに「直接性」を実現しようとしているわけだ。
けれども、それでは、利用者にとっては玄人過ぎて、実際には、Yahoo!のような、インターフェースデザインへの配慮、それも、単なるサイトデザインだけではなく、情報の取捨選択という「編集=editing」や、コンテントの中身にも気を配ることで、はじめて一般のユーザーの支持を得られる、ということだ。
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とはいえ、ウェブサイトにおいては、インターフェースデザインを筆頭に、サイトのユーザビリティを上げる努力は、もはやサイト運営のイロハのイになっていることを考えると、悩ましいのは、そうしたユーザビリティの向上が、サイトの収益性や将来性と直接リンクしないということ。
先日発表されたMicrosoft-Yahoo!の契約によって、Yahoo!は検索エンジン開発競争からは離脱することになり、それを受けて、たいていのIT系サイトは、もうこれでYahoo!はただのメディアサイトになった、と嘆息していた。
もちろん、こう判断されるのは、ウェブサイトの収益がもっぱら広告収入のみに頼ってきたから。広告的ビジネスの難しいところは、サービスの利用者と、サービスの費用負担者が一致しないこと。両者のバランスをとるのは、実際、とても難しい。
今回のアメリカの広告不況の中では、インターネットはマスメディアに比べれば影響は少ないとはいえ、やはり広告収入は下がる。だから、背に腹は代えられない、ということで、たとえば、Murdochがサイトの有料化を提唱していくのもわからなくはない。
実際、MurdochのNews Corp.は相当大がかりなグループ資産の組み替えを考えているようで、たとえば、一昨年買収したDow Jonesにもとうとう手をつけ、ダウ平均の算定事業を売り払う計画まで出している。
Dow Jones Weighs Sale of Stock-Index Operation
【Wall Street Journal: August 22, 2009】
Dow Jones Stock Market Indexes Said to Be for Sale
【New York Time: August 22, 2009】
それくらい、状況は悪いということだ。
だとすれば、ウェブサイト上のコンテントの有料化の動きも真剣に稼働すると思った方がいいだろう。もちろん、価格付けの仕方や料金メニューの開発など、いろいろと手をつけないといけないことは多いだろうが、それにしても、ユーザーが対価を払う、という形で、サイトへの関与のcommitment(提供する側から見ればengagement)を示すことは、たとえば、Yahoo! Financeのようなサイトが、ユーザビリティを含めて商品として購入者の評価に晒されることになるし、それは、同時に、商品としてのウェブサイトというカテゴリーも生じさせることになる。
そのとき期待したいことは、そういう利用者(消費者)からのフィードバックに晒されることで、今まで、一律に「メディア」とか「情報」とか「コンテンツ」と呼ばれていたものが、作り手のある種のエゴから自由になって、可能性の幅を広げること。
いま、「エゴ」と書いたけど、これは全面的に否定的な言い方ではなくて、いろいろなコンテントの制作の現場を考えれば、(プロデューサーやディレクターではなく)作り手が、「エゴ」とか、自己陶酔とか、そういう内発的な動機、というか、衝動がないと、最初の一手がでないことは、よくわかっているから。そして、その結果作られたものが、どんな形であれ、第三者の目にさらされるのは、それなりに神経をすり減らすものであるから。
だから、良くも悪くも、利用者からのフィードバックは、改善や、それこそinnovationのためにも重要なヒントになる。ただ、そういうフィードバック回路は、広告依存型コンテントが主流のジャンルでは、成立しにくい。それは、上述のように、利用者と費用負担者が一致しないから。
そういう意味で、ウェブコンテントの有料化の動き(というか、まだ「空気」だが)については、実現上の障害や、利用者からのバックファイアーも想定されるところだが、注目していきたい。
もちろん、情報財は本来的に価格がゼロになる方向にあるとか、逆に、満足度は人によって異なるから「お布施」として利用者の随意にまかせるしかないとか、様々な議論があるのはわかっている。そういう議論をリアルにしていくためにも注目したい。
Murdochの最近の振る舞いについては、機会を改めて考察してみようと思っている。