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アメリカとEU、オバマ以後

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オバマの選挙結果に対して、欧州のメディアを中心に、称賛の声が上がっている。ベルリンで熱狂的な歓迎を受けていたことを考えれば、このこと自体は全く予想通りの反応だ。だが、称賛の背後には、欧州とアメリカの関係の深さ(Trans-Atlantic relationship。人によってはEUSといったりしている)が既にあり、今回の金融危機がある。イラクやアフガンでの戦争と、NATOのこと。あるいは、ロシアとグルジアのこと、など、欧州の生活の一番深いところでアメリカの意向が大きく影響することを物語っている。

いってしまえば、1929年の金融恐慌と、1945年の世界大戦処理の両方がいっぺんに生じているようなものか。アメリカ国内の経済状況を好転させるためにニューディールばりの政策が求められている一方で、第二次世界大戦後本土決戦による国土の荒廃から復興するために計画されたマーシャルプランのようなものが、同時に求められているといえるからだ(だからこそ、新ブレトンウッズ体制という呼称が選択されているのだろう)。EUの発端も、、マーシャルプランとそれを側面から支えたNATOがあればこそ、というのがEU研究者の間の見解のようだから、今日のシンクロはそうした初期に組み込まれたプログラムが改めて発動したといえるのかもしれない。

金融のこと、経済のこと、貿易のこと、グローバル化のこと、それらをうまく畳み込んで解決する手段としても期待されている環境関連のこと、こうした点で、アメリカと欧州の間での協議がこれから積極的に進められていくのだろう。こうした動きが増えてくるたびに、コロンビアで学んでいたことの意義や文脈を改めて振り返ってみることが増えた。私自身は、国際関係(International Affairs)、とりわけ、地域研究、に対しては、一線を引いていたのだけれども、それでも、アメリカの動きや、コミュニケーション産業の動きを追いかけている際には、結局、欧州や中国、あるいはそれ以外の国(アメリカにいるとどうしても南米の話が多くなりがちだが)の話が出てくることが多かった。ステイグリッツやバグワティ(←この間ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンの師匠の一人)の講演にはなんだかんだいってでかけていたが、国際経済が専門の彼らでは、当たり前のことながら、グローバリゼーションの話題が中心だった。ビジネススクールに顔を出しても、既にITバブルがはじけた後だったので、そこでの話題は、多国籍企業のグローバル経営が一つの話題になっていて、部分的には世銀やIMFの話もあって、ビジネスも公共政策もあまりディシプリンとしては差異がないような感じになっていた。グローバル経営というとCFOのレベルでは為替リスクをどうヘッジするかは重要な話題だった。(だから、当時流行の話題のもうひとつは、今では悪名高いCDO関係だった。Bond marketはstock marketよりも規模も大きく、その成長に、証券化×デリバティブは思い切り貢献していた。そうした授業は、Wall Streetを目指す学生の間で人気があった)。環境の問題も、もちろん、いろいろと検討されていた。

という具合に、グローバリゼーションという動きが、全世界規模で、政府と多国籍大企業とを巻き込んだ形で、一つの収束先を求めるための布石(それは、政府が動くために必要となる、比較的小規模のレベルでの各種「危機」を含む)を打ってきたのが過去5年間ぐらいの動きだったのだろう、という感じがしてきている。そして、そうしたコンセンサスを比較的短時間で調達するために、インターネットに代表される、毛細血管のごとき、情報網が同時に配備されたことは、やはり大きく貢献しているだろう。

オバマがあたかも世界大統領のごとく、欧州で喧伝されるのも、そうした大衆レベルでのアイコンが世界中で流通しやすくなったことも少なからず影響を与えていると思う。