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ジュラシック・パークやERの作者で、多分、アメリカでもトップ5に入るベストセラー作家である、マイケル・クライトンがガンで亡くなった。
Michael Crichton dies at 66; bestselling author of 'Jurassic Park' and other thrillers
【LA Times:November 6, 2008】
事実とフィクションと空想の絶妙なブレンドと、ある意味お決まりなのだが最後まで飽きさせないストーリー展開。現実の社会のちょっと先にある「可能な世界」を描く、という点では、きわめてマスメディアと親和性の高い作品を描いていた。ちょっと先にある可能な未来を描いてみせる、という意味で、マイケル・クライトンは紛れもない「ビジョナリ」だったと思う。
今までも何度か触れたけれど、「言葉が現実を作る」、ナラティブが、ノンフィクションとフィクションの境界に置かれるアメリカの様子を典型的に体現していた人だと思う。"NEXT"におけるバイオテクノロジー、"State of Fear"における環境問題、など、現実社会で実際に選択を迫られるような話題を、そうした話題に巣くう人間のエゴや利害を書き込みながら、一つのストーリーとしてつくりあげていた。
瀬名秀明が、新潮文庫版の『パラサイト・イブ』の後書きで、クライトンは、科学の進歩をあくまでもネタにして、物語はそれとは別の次元でアクションものにしている、だから、自分はあまり評価しない、というようなことを書いていたと思う。確かに純粋にSFやホラーというジャンルを意識すれば、瀬名の言うことは正しいのだろう。けれども、メディア、というかコンテントが、既に私たちの生活の様々な選択や意思決定の中に反映されている現実を考えると、瀬名のいうことはいささかナイーブに過ぎると思う。クライトンは、むしろ、テレビや映画などの映像作品とテキストによる作品(小説やノベルス)が、同時代的に共存する状況を踏まえて、ジャンルやメディアの区別を最初から取り払えるようにする、そして、読解の方法は、読者や視聴者によって(例えば知識の有無やアクションの嗜好性の違いなど)選択されればいい、という点では、オープンな者だったのだと思う。というか、大衆作品を運命づけられたアメリカの映画やテレビドラマシリーズでは、様々な読解の糸口を埋め込まないわけにはいかない。
現在、様々な映画やドラマが時にノベライゼーションという形でテキスト作品に変換されるが、クライトンの書くものは、最初からノベライゼーションの雰囲気を漂わせている。クライトンのこうした手法は、シナリオ開発の点で十分検討するに値するものだと思うし、シナリオがエンタメ・コンテントの開発の上で枢要な地位を占めることを考えれば、「コンテント企画=ディベロップメント」の点でも学ぶべき点は多いと思う。そして、作家=書き手の方から考えれば、彼の文章作法は、多メディア展開を円滑に進める(時に重要な読み手である映像作家のインスピレーションを刺激する)という点でも、学べるところは多いと思う。確か、阿部和重が登場したとき、その描写はシネフィル好みの映画風 というような評価があったと思うが、それと同じことだ。
66歳の死はやはり早すぎる。もっと彼の書くものに、それも英語で彼が書くものに触れていたかったのだが、とても残念だ。ご冥福をお祈りします。