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文藝春秋2026年5月号に掲載されたエマニュエル・トッドとピーター・ティールの対談記事(「東京極秘対談:世界は終末を迎えているのか」)を読んだ。
ティールの印象が少し変わった。
確かにトッドの言う通り、彼らの母国であるフランス(トッド)でもアメリカ(ティール)でもない、日本の東京だからこそ、制約をこえて言えてしまえたものなのかもしれない。
この対談で面白いと思えたのは、ここのところ、ティールが周囲に語っていた「アンチキリスト」のような終末論にまつわる話が、ティール的にはどうも、単純に終末論を信じている、というよりも、「終末論の人類への効用」を知ったうえであえてそれを説教して回っているように思えたこと。
それはつまり、終末論を、未来に対して真摯な態度で向き合えるような心持ちを抱けるように、つまり「方法論」として使っているように思われた。
というのも、対談のやり取りの中で、ティールが、いわゆるグレタ・トゥーンベリたちの指摘する、気候変動によって地球がまずい状態にある、遠からず大惨事をもたらす、といった自然の今後について、実は案じていることを吐露したうえで、しかし、その対策として、世界政府のような統一政権を生みだしてその統治機構が一律的に世界を管理しようとしていることを懸念していると言っていたため。
つまり、ティールは、気候変動問題のような人類の生存リスクの存在には理解を示しながら、しかしその対処を世界政府で行うことに反対している。
その意味では、グレタたちの主張は、問題の指摘としてはほぼ正しいが、解決策が間違っている、ということになる。
したがって、ティールが最近よく口にする(と伝えられる)「終末論」と「アンチキリスト」でいえば、前者の終末論によって地球の自然的危機について意識を向かわせながら、「アンチキリスト」によって世界統一政府のような一元化された統治機構の導入に反対していることになる。
その意味でも、終末論は方法論的に使われている。つまり「方法論的終末主義」だ。
この姿勢が説得を持つように思えたのは、ティールが、スタンフォードで彼が師事したルネ・ジラールの発言を引きながら、1945年の原爆投下以降、カトリック教会でも終末論を教えることがタブー視されたと話していたからだ。
ジラールによれば、1945年以前には、クリスマスの前のアドヴェント、つまり4回の日曜日の説教では終末論的な説教をすることは普通であったらしい。世界が滅びる終末の日を想定することで、逆算的に今の世界のあり様を信者たちに想像させたり考えさせたりする、そのような機会があったようなのだ。
それが、原爆が投下された1945年以降、カトリックでは終末を説教しなくなったという。理由は、大量破壊兵器である核兵器が実在する、つまり終末装置がすでに存在している状況では、終末について説教することはいたずらに社会的不安を煽るだけになってしまうからという配慮だったかららしい。
結果、人びとは終末論的な「終わり」のことは忘れ、日々を面白おかしく過ごせるような、「穏やかな日常」という結界の中、繭の中で過ごすようになった。そしてその事態に慣れすぎた。終末装置の存在も、それを秘匿する政治権力の存在も、普通の人の心象風景、マインドセットから消えてしまった。
ティールが、少し前にマンガの『ワンピース』に触れる論文を書いたのも、『ワンピ』の中の「世界政府」がまさに、そうした終末兵器の存在を隠蔽して、見せかけの平和の時代を与え続けてきたから、という理由だった。世界政府を主導するイム様がアンチキリストだという見立ては、そういう意味だった。
ティールの目には、ワンピ世界は、原爆投下後のリベラルデモクラシーのコンセンサスが取られた世界として映った。その慣習を破って、現実にきちんと人びとが向き合うことをティールは望んでいる。その点では、真っ当な意味で『マトリックス』のレッドピルの逸話そのものなのだが。
ティールの「方法論的終末主義」は、いわば、メメント・モリの社会版。
「死を思え(メメント・モリ)」を、人間個人だけではなく社会全体にまで引き延ばすことを求める思考方法。そのための「終末論」だ。
人が必ず死を迎えるように、社会も最後には破壊を迎える。
死を確実視することで信仰が成立するのと同じように、社会も、終末を確実視することで、そのために備えようとした生き方=統治のあり方を実践することができる。
ティールはこの考えをルネ・ジラールから学んだらしい。
この考え方は、整理すると要するに、終末=エンドポイントをまずは想定し、そこから逆算して今をきちんと生きる、さらには、終末の到来を決定事項としてリアルな危機として認識したうえでそれを回避するべく行動する、ティールの場合は、人類の抱える諸問題に対して技術開発を通じた解決に励む、という思考様式・行動様式といえる。
興味深いのは、この思考様式・行動様式は、ルネ・ジラールのスタンフォード大学の同僚で、ジラール同様フランス人の哲学者であるジャン=ピエール・デュピュイが提唱する「賢明な破局論」に似ているように思えることだ。
ここまで考えてきて、はたと思ったのは、件の対談の中で、対談者のトッドが、ティールのベースにあるキリスト教はプロテスタントだ、とまずは指摘していたこと。そして、ジラールもデュピュイもフランス人で、最も社会的に身近に感じたであろうキリスト教はカトリックであることだ。だから、ティールが、学生時代、ジラールに魅入ってしまったのは、彼が直感的に感じていたプロテスタント的な不満に対して、カトリック的感覚を持つジラールが解決の糸口を示してくれたからではないか、ということ。
ちなみに、フランスの知識人のカトリックの教えに対する態度は、信仰のみではなく分析的にキリスト教を捉えるメタ的な視線が伴うものなのだといわれる。それはかつてアヴィニヨンにバチカンから教皇庁を移した時期があったことがきっかけで、フランス人には、カトリックを丸ごと信じるのではなく、距離を持ちながら信じたり論じたりする姿勢が身についたかららしい。だから、フランスでは信仰心をもちながらカトリックを含む宗教を哲学が論じることができる。そして、ティールはそうしたフランス的なキリスト教の感性、知的な感性に触発されたのではないか。
以上が、件の対談を読んで漠然と考えたことだった。
もちろん、これはあくまでも私見でしかない。けれども、私見だからこそ、個人的には今後、ティールやスタンフォードについて考えるときの作業仮説として利用できないかと思っている。
そういう意味では、対談の中でトッドも触れていたように、ティールもトッドも、それぞれの母国(アメリカとフランス)から遠く離れた日本の東京で対談したからこそ、周りの目を気にすることなく素直に話せたのかもしれない。少なくともアメリカの報道ではもはや文化戦争的な色のつかない報道はありえないのが実情なので、ティールもトッドを相手にしたような話し方はできないのかもしれない。
トッドとティールの対談は、それほど長くはないけれど、何かと触発されることの多い対話だった。