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大統領ってなんだろう? ジミー・カーターから考える。

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アメリカ大統領って何なのだろう?

2025年が明けて早々になんだけど、年末に100歳で亡くなったジミー・カーター元大統領のことを振り返っていたらそんなことを思った。

カーターが大統領を務めたのは1977年から1981年の1期、4年間。

しかも前にニクソン(とフォード)、後にレーガンと、お騒がせばかりの共和党大統領に囲まれて、ただでさえ影が薄い。

ウォーターゲート事件とレーガノミクスに挟まれているのだから、そりゃ記憶の彼方に追いやられても仕方がない。

当時のことといえば、なんとなくカーターが歩いてホワイトハウスに行った?というテレビ報道の記憶があるかないかくらい。

今から大人の目で振り返れば、アメリカの70年代というのは、リベラルな(いまでいう「進歩的」な)60年代と、その反動として大々的に保守化が始まる80年代の過渡期に位置づけられる10年で、しかもその前半は、ウォーターゲート事件で辞任に追いやられるニクソンが、ベトナム戦争撤退、金本位制廃止(変動為替相場制への移行)、環境庁設立、米中国交回復、など、60年代までの常識を覆し、それまでのアメリカン・システムを大々的に破壊した時だった。

民主党政権によるベトナム戦争の失敗が、後日、その反動で共和党政権が「強いアメリカ」を声高に語る契機になったし、金本位制の廃止は、変動為替相場制をもたらす一方、ドルを原油価格とペグさせる体制が作られ、今日のグローバルな金融市場をもたらした。アラブ諸国が国際政治で発言権を持つようになったのもこの頃からだし、その延長線上で、後日、ソ連崩壊後のロシアで石油取引からオリガルヒが生まれる素地ができた。

流動性の高い金融市場の誕生に、先物取引をきっかけにデリバティブ市場が発展し、経済学の中から金融工学が生まれ、金融経済が実体経済を遥かに上回る世界が生まれる。それが文字通り世界各国に伝染し、経済格差を生み出した。「プルートクラシー」の時代を用意し、ダボス会議に集まる経済人が国際政治の主要勢力になった。

80年代以降本格化したこうしたグローバルな社会変化を挙げ始めたらきりがないので、これくらいにするけれど、ここで言いたかったことは、こうした変化の引き金を引いたのがニクソンだった、ということ。

そして、そのニクソンのアメリカン・システムの性急な破壊――その最後がウォーターゲート事件による政治システムの破綻というだから徹底している――に対する、一種の反動として誕生したのが、南部ジョージア州の州知事を務めていたものの、1976年の大統領選に立候補するまでは全米では全く無名だった、ピーナッツ農場の主ジミー・カーターだった。

もちろん、ウォーターゲート事件によって共和党がアメリカ人にそっぽを向かれた、ということも大きいのだが、だからといって、カーターが圧勝というわけでもなかった。

実際、選挙人獲得数は、カーターが296で、対抗馬であった共和党のフォード――ニクソンの辞任で副大統領から昇格した選挙戦のあった1976年の現職大統領――は240だった。2025年時点での常識からすると驚くのは、カリフォルニアがフォードに、テキサスがカーターに選んでいたことだ。簡単にいうと、アメリカの西半分が共和党のフォードを、東半分を民主党のカーターが制した。その東西の境界がテキサスだった。

カーターにおける「反動」というのは、こういうところに見られることだ。

アメリカの大統領選の歴史では、1969年のニクソンによって採られた「南部戦略」によって、それまでアメリカ北部の産業社会を地盤にしていた共和党と、南部の農業社会を地盤にしていた民主党の支持基盤が逆転したと言われている。つまり、ニクソン以降、共和党は南部の「白人権威社会」維持希望者たちの党になり、逆に、民主党は北部の「多様性社会」実現希望者たちの党になったと言われる。今日の「レッド・ステイト」と「ブルー・ステイト」の分断へと至る道の始まりだ。

だが、カーターが立候補した1976年はその動きは始まったばかりで、むしろ、カーターは、ニクソン以前の、南部戦略以前の、在りし日の民主党支持者が彼を支持したように見える(それが反動なのは、カーターの後にレーガンが南部でも圧勝することではっきりする)。

そう思えるのは、カーターは敬虔なプロテスタント、エヴァンジェリカルであり、いまなら共和党の宗教右派にカウントされてもおかしくない信仰のバックグランドをもっていたから。

実のところ、個人的に、カーターのことを再発見したのも、このエヴァンジェリカルの文脈だった。東京の銀座に教文館というキリスト教専門出版社の書店があるのだが、その3階のキリスト教コーナーのフロアに初めていったとき、ジミー・カーターの著作や彼についての本がいくつもあることに驚いたことがきっかけだった。

実際、年末にカーターの訃報が流れてきたとき、アメリカのニュース番組が取り上げたのは、「大統領のカーター」というよりも、「キリスト者としてのカーター」ということだった。

カーターは1期で大統領を終えたときに57歳で、それ以後、亡くなるまでの40年間をキリスト者としての慈善活動に費やしてきた。大統領を辞してから20年が過ぎた2002年にはそうした活動が認められてノーベル平和賞を受賞している。亡くなったカーターに対する記憶では、この、元大統領の慈善活動家、というほうが個人的にも大きい。

この「大統領後」の人生については、若くして大統領に就任したビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマについても当てはまるものだが、その中でも地道なカーターの活動は注目を集めてきた。

少なくともカーターについては今後も、元大統領としてよりも、キリスト者の慈善活動家として記憶されることになるのでないかという気がしてならない。

それが冒頭で、「アメリカ大統領ってなんだろう?」とふと思った理由だ。

「2期8年」と任期に制限のある大統領は、次元付きの元首、いわば王様として振る舞うわけだが、王様として好き放題できるわけでもない。様々な制約のなかで激務に勤しみ、結果、大統領職を終えるときには、身体的にも目に見えて加齢が進んだように見える。近いところなら、2008年には精悍な顔つきで登場したオバマが退任する2017年には白髪の疲れた黒人の初老の男に豹変したことが記憶に残っている。

激務を終えた後は、政治家としては余生のようなもので、Wブッシュのように完全に隠遁を決め込んで気がつけば画家に転身するケースもある。任期制限のない連邦議員の中に70代どころか80代、90代の老人政治家が続出しているのとは大きな違いだ。

そうした大統領という特殊職務の経験者の中で100歳まで生きたカーターは、ひとつ新しい生き方を示したように思える。

と同時に、繰り返しになるが、大統領って何なのだろう? という気分にもさせられる。

現実のアメリカ社会では、まさに82歳のジョー・バイデン大統領がカーター同様、1期で大統領職を終えようとしている。去年の大統領選でカマラ・ハリスがドナルド・トランプに敗退したのは、「移行のための大統領」と称しながら2期目の再選に固執したバイデンのせいだという評価は絶えない。そのような論調の主流の(リベラルな)ジャーナリズムは、今回のカーターの訃報を受けて、バイデンにはカーターのように「大統領退任後に活躍する」機会は(寿命として)残っていない、と手厳しい評価を加えているものも多い。

1期で終えた大統領は、2期務めた人よりも歴史家に取り上げられる機会が減るのはやむを得ない。その点でカーターは稀有な存在だった。退任後の長い人生で、むしろその人の本質を体現する活動に勤しんだのだから。

ほんと、大統領って何なのだろう?

トランプが2期目を始めようとする現在の状況は、1968年にニクソンが勝利したときの状況に似ているところがある。ニクソンもトランプも、いわば敵方の民主党の自責点で勝利した。ニクソンのときはリンドン・ジョンソンが、トランプのときはバイデンが、大統領選の年にそれまであった再選の意志を取り下げ選挙戦から撤退した。ニクソンのときはベトナム反戦を期に民主党内が荒れていた。トランプのときはガザ反戦で同じく民主党が荒れていた。

そのような状況を振り返るに、それなら、2028年には、トランプが開いた新保守、というよりも「新反動」の道に対して、アメリカ市民が「反動」的に選択する候補者が民主党から現れるのだろうか。それはカーターのような人物になるのだろうか。

ただそれでも、カーターの大統領退任後の40年間の人生を見ると、表舞台の政治家とは違う場所で、それこそ「オルタナティブ」な歴史を、自分の裁量で行っていくのでもよいのではないかという気にさせられる。

大統領ってなんなのだろうね、本当に。