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2020年アメリカ大統領選、早くも始まる―エリザベス・ウォーレンの立候補

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エリザベス・ウォーレンが、アメリカ時間の2018年12月31日、2020年アメリカ大統領選に立候補することを表明した。

Elizabeth Warren Announces She Is Running for President in 2020
【January 1, 2019: New York Times】

ウォーレンはマサチューセッツ州選出の上院議員であり、2016年大統領選でも立候補が取沙汰されていた、いわゆるプログレッシブ(進歩派)の政治家の一人だ。そのため、彼女の立候補自体は、すでに誰もが予測していたことで、だからニュースとなるところがあるとすれば、新年早々となるこのタイミングで立候補をしたことにある。

新年早々、というのは、昨年11月の中間選挙を経て、この1月から、連邦議会の下院は民主党が多数派となり、トランプに対する反抗の狼煙を本格的に上げるタイミングだからだ。そして、ウォーレンは、以前から、トランプ批判の急先鋒の一人だった。

だから、ウォーレンの立候補は、反トランプのまさに一番槍。

ファンドレイジングの関係上、他の立候補者も追随することは間違いない。

そして、冷静に考えれば、ウォーレンの場合は、バーニー・サンダースへの牽制もある。

結局、サンダースは、民主党から距離をとるインディペンデントの立場を維持しており、彼の下に集まる支持者たち――プログレッシブ(進歩派)と呼ばれているが、むしろ、バーニーが自称しているように「ソーシャル・デモクラット(社会民主主義者)」といったほうがいいだろう――その「ソーシャル・デモクラット」的な傾向をもつ人びとを、民主党の内部にとどめておこう、というのが、さしあたってのウォーレンの意図なのかもしれない。

とはいえ、大統領選は2020年であり、民主党の候補者を決める予備選も、一年後の2020年にならなければ始まらない。

ということは、向こう一年間の間は、民主党の立候補者の間での舌戦が繰り広げられることになる。

立候補する以上、彼らの敵がドナルド・トランプであり、打倒トランプを訴えるために、どの候補者も、トランプを非難し続けることは間違いない。

むしろ、公然とトランプを非難できるのが、立候補者の特権となる。

その一方で、舌戦が民主党の立候補者の間で「のみ」なされるということは、彼らの口論を通じて、民主党が掲げるべき新たなイデオロギーが、名前も中身も同時並行で、鍛え上げられていくことになるのだろう。

たとえば、ウォーレンについて言えば、彼女はいわゆる「コーポラティズム」の推進者だ。現下の巨大企業による利益「のみ」が重視されるキャピタリズムに対して反感を抱いており、シェアホルダー(株主)の利益だけでなく、ステークホルダー(企業存続に関わる関係者一般:社員やユーザー、企業本社周辺のコミュニティ/自治体など)の利害をも加味して企業経営がなされるべきであると考えており、「コーポレート・ガバナンス」に関する法改正を以前から主張し続けている。

これは、バーニー同様、わかりやすいくらいの欧州型の社会民主主義路線であり、この点で、とてもニューイングランダー的な、北東部アメリカ的な政治の伝統に根ざしている。良くも悪くも、ピューリタン的な禁欲主義を辞さないスタイルだし、理念が先に来て、その理念に向かって邁進することが正しいし、それ以上に、その邁進する過程にある意味で精神的高揚を覚えるタイプのものだ。

けれども、もちろん、そんな禁欲的態度がすべてのアメリカ、つまりは、ニューイングランド以外のアメリカでも、何の抵抗もなく受け入れられることがないからこそ、他の地域ではトランプや共和党の台頭を許したことになる。

その意味で、反トランプの急先鋒で一番槍として立候補を表明したウォーレンに続いて立候補する人びとを含めて、いかにして、中西部や南部、西部、南西部、の民主党精神を組み込むことができるか、が鍵になるのだろう。

裏返せば、2019年を通じて、アメリカの民主党は、いまだ得体の知れない「トランピズム」に対抗するだけの、新しいイズム、すなわち新種のイデオロギーを生み出していくことに注力せざるを得なくなるのだろう。

それはまた、長年、蜜月を過ごしてきたシリコンバレーとの間でも、一定の節度ある態度がとられることを意味している。簡単にいえば、FacebookやGoogleを、どう政府の監視下で制御していくのか、ということだ。

この点でウォーレンは、直接的にはシリコンバレーとの関係はないのだが、対して、この1月に再び「マダム・スピーカー」として下院議長に返り咲く予定のナンシー・ペローシは、地元がサンフランシスコという、まさにシリコンバレーが彼女の支持層のようなものだ。このあたりの、駆け引きも繰り広げられることになる。

それが、単純に、バーニー/ウォーレン的社会民主主義路線がデモクラットの拠り所に、単純にはならないと見込まれるところである。何らかの「駆け引き」は必至だ。

ともあれ、ウォーレンの立候補で、2020年に向けたレースはすでにスタートが切られた。このレースは、上で述べたように、単なる候補者選びのプロセスだけではなく、「アンタイ・トランピズム」としてのイデオロギーがおそらくは練り上げられていく過程でもあるはずで、そこに大なり小なり、2016年という政治的変曲点をもたらしたソーシャルメディア、ならびにそれらによって体現された「情報社会」を反映したものとなることだろう。

その意味で、向こう1年間の「プレ予備選」には見るべきところ、耳を傾けれるべきところがきっと出てくることだろう。逆に、そのような変節の機会が見いだせないようなら、引き続き「トランピズム」が席巻することになる。

となると、ウォーレンがアメリカ時間の12月31日に立候補を表明したのは、多くの国で、このニュースが元旦に流れることまで想定したものであったように思える。つまり、オーディエンスは、アメリカ人だけではない、ということだ。ほとんど映画の世界同時公開に近い。

この「世界的広がり」が予め組み込まれたあたりは、ウォーレン自身、あるいは民主党自体が、2020年の大統領選を、ワールドイベントとして仕立てようと考えていることの現れなのかもしれない。そしてこのこと自体がすでに2016年を経てからの世界の変化のひとつなのかもしれない。

ともあれ、この先、1年の動きからは目が話せない。