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FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグが、インターネットアクセスの整備が行き届いていない国で、モバイルを中心にアクセスコストを手に届く範囲(affordable)にまで下げる“Internet.org”という活動を始めるという。この計画(イニシアチブ)には、サムソンを始め、ノキア、クアルコム、エリクソン、といった、モバイル企業も加わるということだ。
Facebook Leads an Effort to Lower Barriers to Internet Access
【New York Times: August 20, 2013】
Facebookは現在、世界の総人口の7人に1人が利用しており、今回のイニシアチブは残りの6人に向けたものとなる。その中にはインターネットアクセスを持たない40億人も含まれる。そのような人びとがインターネットを利用できるように、インターネット全体の費用を下げようとするのがInternet.orgが考えるところだ。システムやアプリの効率化によって必要となるデータ総量やトラフィック総量を可能な限り減らすというネットワークに関わる効率化を図る一方で、特にモバイル機器で問題となるバッテリーの効率化などを図り、総体としてのインターネット利用のコストを下げることを試みる。それに伴い利用料の低廉化も図れるのではないか、というのがイニシアチブの基本的な考え方のようだ。
もっとも、現段階では目標が設定されただけのことなので、今後、この青図を具体的に推進するための施策が練られるのだろう。
ただ、この計画が興味深いのは、開発国のインターネットアクセスの整備という公共的な課題に、Facebookのような企業が解決のための手をあげているところだ。
もちろん、Facebookからすれば、世界中の人びとが自社のサービスを利用できる環境を整備すること自体が、ゆくゆくは、ユーザー数の拡大につながり、それによって「成長を継続している」という事実を生み出すことになる。突き詰めれば、ユーザーの社会的ネットワークの総体でしかないソーシャルネットワークというサービスからすれば当然のことだ。しかし、そのソーシャルネットワークの「成長」という観点から、ネットワークアクセスの整備が国際的に展開される、という流れが生じるところは、文字通り、とてもウェブ的な出来事だといえる。
「世界中の人びとをネットワークで繋げる」ことを目的にして、そのための「アクセスインフラを整備する」ことに注力する。当然のことながら、インフラ整備の段階になると単に「通信網」だけを整備するだけでは足りず、場合によると、そもそも電源の確保をどうするのか、というような付随的な公共課題も芋づる式に浮上してくることになる。そして、その全てが文字通り、民間企業だけで解決できるものではなくなる。
つまり、ソーシャルネットワークというサービス形態が国際化を目指すと、必然的に様々な業界を巻き込んでしまい、結果的に国際的な普及の障害となる公共的課題を前面に出してしまう。この、あくまでも民間の利益のために始めたことが、まわりまわって、公共的な利益にまでほぼ自動的に至ってしまうところが面白い。
要するに、ソーシャルネットワークというサービスの存在が必然的に公共問題との接点を引き寄せてしまう。そして、その課題に気づいてしまった以上、ソーシャルネットワークの経営者はその課題を無視して過ごすわけにはいかない、というところだ。その結果、ザッカーバーグは、一面でアクティビストのような役割を果すよう求められてしまう。
実際、今回のInternet.orgの前にも、ザッカーバーグは、非アメリカ国籍のエンジニアのビザについて、Fwd.Usというアドボカシーグループを設立し、活動をしている。この活動は、移民法の議論にも繋がり、アメリカ国内の公共的な課題であると同時に、その移民を送り出す側の国々にとってももちろん公共的な意味を持つ。
しばしば指摘されるように、ヒト、モノ、カネ、が国境を越えて移動する、と言われる際に、最も移動が困難なのがヒトだとされる。そのヒトの移動を、ソーシャルネットワークを運営する企業のCEOが公共問題として認識し、実際に関わってしまう、というわけだ。
この点は、ラリー・ペイジがCEOになって以後のGoogleが、ハードウェアの製造も含めた「スーパーハイテクコングロマリット」に向かおうとしていることと比べると、違いが際立つことになる。たとえば、Googleはインターネットアクセスの整備という点で、最近になって、Project Loonという、気球を飛ばして空中で無線を使ったインターネット網を安価に運用しようとする計画を発表している。21世紀のGEのようなハイテクメーカーを目指すGoogleからすると、ソリューションは可能な限り自前の技術を使って、世間があっ!と驚くようなものを提供しようとする。その「思いもよらない解決策の提案」自体が、超スマートなエンジニアの集団としてのGoogleのブランディングにも繋がる。これは、ある意味でGoogleがインターネットというシステムやアーキテクチャの部分にまでがっちり関わろうとするからこそ選択される方向だ。
一方、Facebookはそこまでテクノロジー駆動型の企業を目指すのではなく、むしろ、ソーシャルネットワークの基盤となった自身の特徴に素直に従って、ソリューション自体も協働で提供しようとする。だから、Facebookの周辺からが技術的ブレイクスルーが提供されるのではなく、パートナーを組むことで初めて可能になるような、社会的ソリューションが志向されているように思われる。だから、Googleが一点突破を図ろうとするのに対して、Facebookは、場合によるとNGO等の団体と組みながら所期の目的を達成するように思われる。
従来の企業のイメージで言えば、技術志向のGoogleはプロダクトを開発/生産するメーカーであり、ネットワーク志向のFacebookはユーザーの要望に応える量販店、つまり大手流通の位置を占めているように思えてくる。だから、同じ課題に対して、利用しやすいリソースが異なるため、それらの解決策も当然変わってくることになる。
こう見てくると、ソーシャルネットワークという存在が、そのサービスの性格から、公共的な課題を扱うハブになってしまうように思われる。そして、その中心的役割をザッカーバーグのような経営者がアクティビストやアドボカシーとして引き受けてしまう。まだうまくは言えないのだが、ここには、ソーシャルネットワークという存在によって、インセンティブともモラルともいえない不思議な動機付けが生じているように思われる。その意味で、Internet.orgだけでなくFwd.Usの活動の顛末はもちろんのこと、今後、この他にも、似たような公共的課題を解決するようなイニシアチブなりアドボカシーグループなりが、Facebookに限らずソーシャルネットワーク企業の周辺から、あるいは、ウェブ企業の周辺から、誕生するかもしれないことについて、気にかけてみてもよいのだろう。
意外とそう遠くない将来、ザッカーバーグがケネディスクールで講演をしたり、クリントン元大統領のCGIあたりと組んで、国境を越えたソリューションの提供主体として、企業のまま関わるということになるのかもしれない。COOがサンドバーグであることも、そうした方向を後押しするように思える。フィリップ・コトラーいうところの「ソーシャル・マーケティング」自体が、自社のブランドを含む社会的認知に直結するような存在にFacebookは変わっていくのかもしれない。そうして、ギークのザッカーバーグは、自ずから、アドボカシーやアクティビストの道を歩んでしまう。この構造は構造で、とても興味深いと思われる。