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WIREDによる電子マネーの特集記事。
The Future of Money: It’s Flexible, Frictionless and (Almost) Free
【WIRED March 2010】
内容はPayPalを中心に以前から言われてきたものをまとめた感じのもの。とはいえ、データセンターに期待が集まる昨今では、電子マネーのあり方そのものも再度考え直す時期にあることを踏まえると、その意味では、こうしたサーベイ記事も頭の整理に役立つ。
電子マネーというと「マネーの電子版」のような字面に沿った素朴な同語反復的理解に終始しがち。しかし、PayPalのような仕組みが登場することで「マネー」の概念そのものから再検討が始まる。
電子マネーはデータとしてはただの数字の列。それに尽きる。だから、電子化されてマネーのあり方が変わるとすれば「マネーに対する操作」の部分のはず。
上のWIREDの記事によれば、そうした「マネーデータの操作」についてのレガシーシステムは、銀行とクレジットカード会社が所有(専有)していることになる。銀行については、セキュリティの高い送金システムや、公共料金などの自動引き落としシステムがそれだし、クレジットカード会社は、文字どおりクレジットカードによる、売買と決算の時差の調整、や、リボルビングのような月賦システムの導入、ということになる。
ちなみにアメリカの場合、クレジットカードは組織的な月賦販売を可能にするという点で、大量消費社会を現出させた影の立役者であった。クレジットカードは「ツケによる購入」を一般化させた点で、誰もが簡易なローンを組めるようにしたことと同じ。そして、クレジット=簡易ローンによって必要なときに必要なお金を調達することができ、消費者の購買可能性を高め、ひいては大量生産・大量消費の実現に大きく貢献した。
(忘れられがちだが、クレジットカード大手のVISはもともとはBank of America(BoA)によって始められた。欧州資本の注入窓口から成長した東海岸の銀行に対してBoAはカリフォルニアの地場産業から上がった資本を蓄積して成長した文字どおりのpeople's bankであった。今で言えば消費者金融に近い所からスタートしたBoAだからこそクレジットカードのような、消費者のための金融サービスを開発することができたわけだ)。
もっとも、クレジットカードシステムは、簡易ローンという性格から、将来の購買・消費可能性を現在に引き寄せるところがあり、広い意味では、今日のサブプライム破綻に繋がる、普通の人々の購買感覚を常態化させてしまったともいえる。つまり、目の前にある今の消費を将来のキャッシュフロー込みで行うことを習慣化させた。その見込みキャッシュフローの源泉がローンの返済が未完の、今済んでいる家だった、というのがサブプライム破綻の背後にあった。
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とまれ、元に戻ると、こうした「マネーに対する操作」を銀行やクレジットカード会社が専有できたのは、そのための情報インフラが高価なため専業者しか行えなかったから。しかし、モバイル端末、中でもSmartphoneの世界的浸透によって、こうした情報インフラ整備はもはや参入障壁ではなくなった。
こうした時流の中で、「マネーデータの操作」に照準した企業が今後様々に出てくるだろう、というのがWIRED記事のポイント。PayPalが取り上げられたのも、PayPalが送金操作の簡易化・安価化で、そこから既存システムへの挑戦を始めているから、という位置づけによる。
銀行が送金業務を担ってきたのは、マネーがコインや紙幣の頃の歴史を背負っているからだし、そうした物理的実体のマネーを実際に運ぼうとすると途中で強盗に襲われる可能性もある、というのが、銀行間の為替決済が始まった背景だと言われる。銀行に預金をして、銀行間決済を一定期間のお金の出し入れを全て見た上でグロスで行えば、そもそも送金業務を実際に行う手間も減るというのが、為替決済が起こる出発点にあった。こうした為替決済の利便性によって、預金という形で銀行にマネーが集中するのを促し、マネーの扱いを一手に引き受ける機関として銀行が社会的に位置づけられるようになった。また、マネーが集中しているので、期限付き決済証書であった小切手や手形の割引業務も引受それにより通常のビジネス活動の流れに銀行業務が組み込まれることになった。
なお、こうした銀行業務の一部は、他産業で資本蓄積が進んだ帰結として、たとえば手形割引のような業務は、今日ではファクタリング業務という形で一般企業も請け負うことが可能になった。ある産業内の一位、二位企業を中心に、商流の多い大企業が一部引き受けるようになってきている。
とはいえ、いまだにマネーを扱う商慣習あるいは決済慣習は、原初の銀行取引のあり方に大きく規定されている。クレジットカード決済もある意味ではそうだ。
そして、こうしたマネーにおけるレガシーシステムに対して一石を投じようとするのがPayPalであり、さらにその波紋を銀行業務そのもののイノベーションにつなげてしまおうというのがWIREDの特集が目論むものだ。
従来の銀行やクレジットカード会社の商慣習を一端忘却して、電子マネーも他のデータ同様、ただのデジタルデータである事実に素直に向き合えば、その「データ操作の可能性」は無数にあるはずで、そこに多大なチャンスがあるのではないか、ということだ。
たとえて言えば、既存の電話システムに対してGoogle Voiceが提起した可能性に近い。Google Voiceが提案したのは、個人がそれぞれ自力で電話番号間の転送設定を行えるようにすること。それは電話用の音声データを、他のデータ同様に自由に扱おうとするもの。電話をe-mailのフォワード設定と同じように個人が扱えるようにすること。
だから、電子マネーについても、その数字データをどうのように処理するのか、その部分に知恵を巡らすことで、様々な可能性が生まれるはずだ。
たとえば、最近の日本のベーシックインカム(BI)論議では、BIを支給しても本人以外の人間が着服したり、生活の基盤として支給したにも関わらずたとえばギャンブルですってしまった、というような事態を未然に防ぐために、BIを使途が限定された電子マネーとして支給すべきだという意見がある。この例では、電子マネーに使途を制限する情報を付加したり、支給の際に本人認証を必要としたり、という具合に、電子マネーに様々な属性情報を付加することで、お金の使い方を一定方向に水路づけることが可能になる。
このBIの例は、政府がそうした使途限定のマネー(地域振興券みたいなものと思えばよい)のスペックを考えることになっているが、なにもマネー情報の処理方法の企画・開発は政府が専有するものではない。たとえば、ポイント制の導入によって、ダイナミックに割引タイミングを設定することは電子マネーだからこそできることで、当のポイント制は民間企業が導入した(もちろん、ポイント制の総量が増えれば、それは金融政策の実行上、政府がカウントすべきマネーとして浮上し、それには相応の規制がかけられる可能性があるが、しかし、その開発は民間の現場発想だった)。
このように、電子マネーをただのデータと考えれば、可能性はいろいろと広がる。
BIの議論がそうであるように、電子マネーによって、富の配分方法にもダイナミックに介入することができる。たとえば、「贈与」や「寄付」にあたるようなマネーの扱い方も可能になる。
今まで、電子マネーはもっぱら利殖のために、つまり資本の自己増殖の方向で錬磨されてきた。広い意味で、有価証券の電子化もデリバティブの開発も、マネーの態様のバリエーションと考えれば、資本の自己増殖に資する開発方向であったといえる。ただ、これは電子マネーをもっぱら金融産業が専有してきたから生じた事態だと捉えることもできるだろう。だから、電子マネーのスペックやそのための開発を非金融産業が行えば異なる可能性を追求することもできるはずだ。たとえば、贈与や寄付、つまり等価交換や瞬時決済を必要としないお金の流れ方について、利用者がソフトウェアの支援を受けて自分で設定可能にすることもできるだろう。
原理的には、任意の支払い方法が、「マネーデータの転送」×「ソフトウェア」という形で多様な形で提供することが可能になる。この方向で知恵を巡らすことが、今後の電子マネーの鍵になる。銀行やクレジットカード会社によるレガシーな情報システムのことは一端カッコに入れて、自由に想像してみること。そうして自由に想像したビジネス可能性は、Smartphoneによる世界的なユビキタス化によって、実現可能性が著しく高まっている。
世界市場を見据えるためにはレガシーを忘れてみる。それが出発点になる。