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2月26日深夜に放送された『朝まで生テレビ(朝生)』は、若手起業家を招いて、日本経済の未来を考えるというものだった。
この『朝生』は、堀江貴文、東浩紀、の両氏が出演するから、ということで見始めた。番組中盤から異様な存在感を示した猪子寿之氏(チームラボ社長)によって、IT系の話に焦点が集まり、イノベーションや製造業の未来、という話題につながった。
猪子氏が参入するまでは、日本でイノベーションと言うときに真っ先に想定される製造業の話につながらなかった。パネリストの数人がリクルート出身者であり、彼らの事業領域はある意味でリクルート的な、人材派遣やマッチングという、(ソフトな意味での)「ネットワーク」系ビジネスであった。個人的には面白いと思った井戸実氏は、不況を逆手に取った「居抜き」戦略で飲食事業に新機軸をもたらしていた。
いずれも興味深い話だが、マクロ経済との連関が見えにくい。というのも、マクロ経済で語られるイノベーションは、国家経済(集計量としてのGDP)レベルでの生産関数を変えるもの。そして、日本の場合は上場企業の割合からいっても製造業の生産性に関わる文脈で検討しないと難しい。
だから、パネリストの水野和夫氏が教科書的に「イノベーション」に言及しても、飲食事業や人材マッチングサービス事業が話題では、ビジネスの現状というミクロな個々の動きと、日本経済の今後というマクロな指針、との間のリンクが見えにくかった。
猪子氏の発言自体も、WinnyやYouTubeを例に出した話に過ぎなかったが、とはいえ、ここからようやく、技術革新を育成する(というか、阻害しない)という視点につながった。
興味深かったのは、年配のパネリストの何人かが、ITに関わる産業を、いまだにマネーゲームのような、単に情報を操作するだけのフロー主体のビジネスであると捉えていた点。つまり、実業ではなく虚業であり、それゆえ断罪の対象になる、という考えをいまだに持っていたこと。そして、そんな虚業よりも、実業たる製造業をどうするか、という論点をいまだに提案しようとしていたこと。
これに対して、「いやソフトウェアももの作りだ。Googleも製造業として富を生み出しているのだ」と半ば反射的に反論したのが猪子氏だった。Twitterのハッシュタグ(#asanama)を見る限り、この発言を支持する人は多い。つまり、この「ソフトウェアは製造業か否か」は、世代を分かつ大きな分断線となる論点だったことになる。
もちろん、私も猪子氏に同意する。製造業の中核には間違いなくソフトウェアがあるし、その正否が商品や事業の正否に直接リンクすることも多い。なによりも、SEという存在は一昔前の工場労働者のように製品としてのソフトウェアのパーツ群を扱う存在だからだ。コンピュータに向かって仕事をしている人たちが全てホワイトカラーであるわけではない。むしろ、ホワイトカラーもブルーカラーも区分けができないのが情報産業の労働の現場である。
こうした事態を直感的に理解できていない人びとが50代以上のインテリ層にすらいるというのは今後の情報政策のみならず各種政策(労働、福祉、等)の立案上、不安にさせられる。
猪子氏による「ソフトウェア=もの作り」の発言が、こうした年配者の認識の払拭につながるものとなることを切に願うところだ。
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その上で、だが、事態はさらにもう一段進もうとしている。
製造業≒工業≒産業の今後の変貌について記しているのが、次のChris Andersonの論考。
In the Next Industrial Revolution, Atoms Are the New Bits
【WIRED: January 25, 2010】
もの作りの世界にも、ソフトウェア世界でのルールが適用され始めている。あたかもソフトウェアを作るように、ハードウェアの作り方も変わってきている。上の猪子氏の発言にひきつければ、ソフトウェアももの作りである、ばかりでなく、ソフトウェアの製造様式がそのままハードウェアの製造様式を更新し改変する。
ソフトウェア自体が二重の意味でもの作りの中核になる。
一つには、製造物の制御部分がソフトウェアによる制御に移行する点。これは従来からあるマイコン制御の延長線上にあるが、それがよりオープンなものになる(たとえばAndroid OS)。もう一つは、もの自体の設計・組立がソフトウェアの製造工程のようにモジュール化され、オープン化される。
こういう工程の変容を、Andersonは産業のdemocratize(民主化)が進む、としている。
彼が“Long Tail”や“Free”の作者であることかも想像できるように、情報化やウェブの普及によって情報の生産と消費について起こったことと同様のことがハードウェアの生産と消費にも起こるとしている。
上の論考ではOpen Source流の開発・製造工程を導入している自動車会社などを紹介している。また、理論的背景としては、MIT教授のEric von Hippelを参照している。製造工程に必要な工具類も、そもそもOpen Sourceを活用した、安価だが精密な仕事をできる道具も増えている(このあたりは、以前紹介したhackerspaceとも関係する話)。
こうしてもの作りの工程自体が様変わりする。Andersonは5つの過程を示している。
Invent (発明)
Design (設計)
Prototype (試作)
Manufacture (製造)
Sell (販売)
下流のSellについてはAmazonやWalmartを中心に既に十分にリアリティのある話になっていたわけだが、これが上流から一気通貫することになる。それぞれの工程でソフトウェアが支援ツールとして導入され、コミュニケーションツールによって関係者のやりとりが強化される。最終組立はアウトソースしてもいい(ここでは中国が想定されている)。そして、この工程を実際に支持するために、パーツパーツのモジュール化も進められていく。
モジュール化への適応は、しばしば部品数の多い製造業(自動車以上のもの)では不可能と言われてきた。モジュール化をできるだけ否定しようとする立場をとる識者もいる(これも前のエントリーで少し触れたことがある)。だが、自動車業界でも電気自動車(EV)の動きの中では、部品の製造・調達構造そのものが激変する可能性もある。
Andersonはこうした状況から、今後の生産組織はネットワークを活用したバーチャルカンパニーが中心になると考え、DIY Dronesというコミュニティサイトを立ち上げた、と論考の最後に記している。
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最後のDIY Dronesを読んだあたりで、上のAndersonの論考自体が、DIY Dronesの正当化記事であるように見えなくもない。そうしたポジショントークの可能性も踏まえた上で、しかし、今後の「製造業」の可能性としては、従来の巨大な一企業に対して、小企業群による連繋型の分業生産体制が作られることを頭の片隅においていいだろう。
いや、そもそも「企業」という言葉を使うのも適切ではなくなるのかもしれない。あるいは、「産業≒工業」という言葉を無前提で使うのも事態の正確な理解を阻むのかもしれない。
識者によるが、既に「エコシステム」という言葉を従来の「産業構造」に代わる言葉として利用する人もいる。
産業構造という言葉によって、経済体制が一次から三次までのソリッドな産業構造に峻別され、かつ、個々の産業内で川上から川下までの産業連関が想定され、各種統計データが用意された。しかし、こうした経済体制の見方は20世紀になってから定着したものに過ぎない。当たり前のことだが、産業革命以前には「産業」概念はない。そして、産業革命が基本的に「(熱/電気)エネルギー革命」であったことを踏まえれば、「情報革命」は次元の異なる経済進化といえる。
おそらくはこうした認識を持つ人たちが、「産業構造」に代わって「エコシステム」を選択しているのだと思う。
そうであれば、エコシステムにおける基本単位は、Andersonのいうように産業がdemocratizeされた何か=X、となるのだろう。そして、そのXの核をさしあたっては、従来ある法人や個人が引き受け、それが徐々に変質していく、ということかもしれない。
そう思うと、アメリカはdemocratized industriesの時代には、上述のXを探究するためのベースとなる組織形態が多いことがアドバンテージとなり得る。アメリカにおいては、法人の他にLLPやLLCがある。あるいは、法人にもfor-profitとnon-profitがあるからだ。しかも、こうした会社組織の形式については、判例法の国であるアメリカは、今後現れる新組織の実例を判例の小宇宙の中で検討することで、具体的に彫啄していくこともできる。
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こう考えるならば、冒頭触れた『朝生』の中で猪子氏が述べた「ソフトウェア=製造業」という認識は単なる出発点に過ぎないことがわかる(だから、早急にこの認識を日本のマスコミは広めるべきだ)。
私たちは既に21世紀を10年生きた。コンピュータやウェブが日常に浸透しその効果を十分体感できる環境の中に生きている。こうした経験的事実を踏み台にしながら、「エネルギーの時代」の「産業構造」に代わる、「情報の時代」の「エコシステム」の下での「もの作り」のあり方を模索してもいいのではないだろか。
そうすることで、democratized innovationの時代、誰もがinnovationを勝ち取る機会を公平に享受できる時代を迎えることができるように思える。
まずは、「もの作り」の概念を更新することから始めなければならない。
「もの」についても。「作る」についても。