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AppleのTabletの公表を目前に控えて、Tabletの登場がメディアビジネスに与える余波についてNYTが伝えている。
With Apple Tablet, Print Media Hope for a Payday
【New York Times: January 25, 2010】
基本的には、iPodが音楽産業にもたらした変化を、出版・雑誌、ジャーナリズム、映像、ゲーム、などの他のメディア産業に同じようにもたらすとしている。
音楽の時と異なるのは:
プリントメディアについては、デジタル(オンライン)ビジネスの収益化が急務となっていること、
無線通信として3GとWi-Fiのデュアル仕様がデフォルトになりつつあること、
(そのため、テレコムとPC/webの両者が鎬を削りそうなこと)
主要ウェブ企業大手がこぞってTabletに参入すること。
つまり、競争の激化は必至で、その中で、流れに乗り遅れまい、という心理が優先して、短期的には複数の企業連合≒プラットフォームが立ち上がり、併存する時期がしばらく続きそうな状況にある。
もっとも、昔のデジタルテレビや衛星放送とは違って、優勝劣敗が即座に決まるというよりも、「混戦模様」が続きそうだ。
というのも、とにかく参入するプレイヤーが多く、唯一無二の囲い込みポイントがあるようにも思われないため。なんといっても、オープンソース的な、ある種の自爆的振る舞いも今日では可能になっているため。つまり、勝ちすぎることは自らの負けを同時に呼び込む可能性すらある。それくらい、今のWebの世界は新陳代謝が激しい。
また、ビジネス言説(ビジネススクールの戦略論など)でも、最近は極端に、Consumer志向が高まっていて、ユーザーの意向に照準する場合、一部競合企業との間で相互に経営資源を融通し合うことも、株主も含めて納得してもらえるような状勢にある。こうした状況は、複雑な網の目のような相互依存体制を産み出すことを排除しない。
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既にiPhoneで見られるのだが、PC/Webとい情報コミュニケーション環境の中で人びとが利用する頻度の高いアプリを優先的に取り出してみたら、受動性の高い、メディア・コンテント・ビューアーであった、というのがTabletの基本イメージになる。
iPhoneの面白いところは、iTunesによってPC本体がiPhoneの制御機構になってしまったところ。PCの種別によらず、データ管理の部分をPCで行うようにして、その結果整理されたメディア・コンテントを実際に享受するビューアーがiPhoneになっている。もちろん、iPhoneに無線通信機能があるから、iPhone本体でも行えるのだが、そこにiTunesによるPCをかませることによって、PCとiPhoneとの間で役割分担が設定されていくところが興味深い。そうやって、PCと(Smart)Phoneとの間の機能のリシャッフルが促進される。
上の記事のポイントは、デジタル・オンライン・コンテントをいかにして課金するか、が大きな課題で、それを担うのがAppleになる、というもの。そして、仮に実際にAppleがそうした課金徴収の中核的存在になったとすると、その時点で、Appleがもたらした、Pod/Phone/Tabletの全てが、ポータブル・マルチメディア・ビューアーとして消費者に認識されるようになり、一つのメディアビジネスの「型」が確立される。そして、そこで確立された「型」が今度は本体としてのPCの方にも環流していく。
iPhoneユーザーの話を聞くと、もともとはWindows PCユーザーであった人が、iPhoneの旗艦マシンとしてMacBookを買ってしまうこともあるという。単純にiPhoneで経験したユーザーインターフェース的なものがWindowsよりも洗練されていて、Mac「も」使ってみたいと思ったから、ということもあるようだ。
また、既に二台目のiPhoneに買い換えた人の場合は、前のiPhoneはWi-Fiマシンとして、主に家で映像を見るためのものとして、つまり、電話の要素を全く排除したマシンとして利用されている。
だから、iPhoneや、これから出てくるTabletのユーザーは、期せずして、ホームネットワークとか、無線と有線の融合、といわれてきた事態を、実際に経験してしまうことになりそうだ。
Appleの戦略は、ウイルスの繁殖に似ている。最初は、既に確立されてしまった「体制」や「存在」に徹底的に寄り添う。Windows PCに寄り添う。3Gで携帯電話にも寄り添う。その上で、ユーザーの利用意向をくみ取ることで、その寄り添った相手の一番のコアの部分を自らの存続に有益な形に書き換えてしまう。
だから、Appleは、PC/Web体制にハッキングをかけているといっていい。
Web/PCに対しては、重要な収益源の一つである課金方法、という部分を自分に有利なように書き換えてしまうし、携帯電話に対しては、トラフィックが最も稼げるようなメディア・コンテントの流通量を自分に有利に制御可能なものに変えてしまう。
もちろん、寄り添った相手の全てを台無しにしてしまうところまでは踏み込まない。大事なことは、寄り添った相手に勝つ=排除する、ことではなくて、寄り添った相手との力関係を逆転させ、Appleなしではその相手が存続できないような「依存体質」へと変貌させることになる。
こう考えるならば、件のメディア企業は、どのような形のApple依存症になるのだろうか。
その答えは、Tabletが登場して一年ぐらい経ったところで明らかになるのだろう。ただ、少なくとも、デジタル・コンテントの「表現様式」において、一定の基盤、つまりスタンダードをAppleは提供していくようになるだろう(AdobeがPDFを普及させたように)。なぜなら、Tabletという存在が、ユーザーインターフェースの枠組みを決めるものになるし、その結果、ユーザーがコンテントから受け取る効果=経験、の多くの部分をAppleが制御することになるであろうから。
まずは、アメリカ時間で今週水曜に行われる、Tabletの発表に注目したい。