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先日、『思想地図2.0』の展望(というか個人的希望)について記した。
『思想地図2.0』は村上春樹を経由してBay Area色の強い雑種的“New Yorker”になるのだろうか。
このエントリーでは、
『思想地図2.0』≒“New Yorker”、
という見立てを記したわけだけど、これは突然出てきたものではなくて、このサイトで今年書き散らしてきたことの一つの結実のようなものだと、書き終えてから気付いた。
2009年の最終日ということもあるから、この、『思想地図2.0』≒“New Yorker”という期待に至った道、というイメージで、いくつか今年のエントリーを振り返ってみる。
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まず、最初に、雑誌“New Yorker”に代表されるNYの文芸文化については、ウェブ文化に推され気味になったことへの抵抗、のような振る舞いについて。
Culture Snob New Yorkers の出版文化の憂鬱
このエントリーの最後の方で、NYの出版文化に対するカウンターとして、WIREDのようなBay Areaのウェブ・パブリッシング文化について言及している。
そのWIREDについては、先日邦訳も出た“FREE”の著書でもあるChris Andersonを取り上げた次のエントリーが参考になると思う。
「リバタリアンこそ、ポストモダンの今日、優秀なマーケターになる」 - Chris Andersonからの発想
西海岸の文化では、60年代の対抗文化(カウンターカルチャー)が一種のアイコン的なものになっていて、80年代には「コンピュータ」、今日では「環境」という領域で、既存の社会システムへの「対抗」の形で表出している。
そうした対抗運動の背後にあるものとして、しばしば「リバタリアン的心性」が指摘される。上のエントリーでは、Chris Andersonを通じてそのことについて考えたつもり。
それから、このエントリーの最後の方では、Andersonと東浩紀の類似性についても触れている。それは、
advocate=社会に対して言説を通じて働きかけることで夢想した未来を実現させてしまおうとする人
という点で二人が似ているように見えるということ。
読み返してみると「異種交配」という表現も使っていたりして、このあたりで個人的に考えていたことを、『思想地図』Vol.4で東らが具体的に実践して見せてくれたことが、このあいだの、『思想地図2.0』≒New Yorkerという期待、に直接的に結びついたのだと思う。
(対抗文化については、以下のエントリーでもちょっと触れている。実作に興味がある人には、こちらの方がいいのかもしれない。
「だまし絵」から“graffiti”へ: Escher, Patrick Hughes, Banksy
ついでにこちらも。
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なお、Bay Areaのウェブ・パブリッシング文化の状況については、かなり個別の試みになるが、以下で、そのDIY的な雰囲気を伝えている。
San FranciscoでのNon-profit型Local News Siteの試み
Zagatを追い抜くYelp: Online Publishingの中心地 San Francisco
ちょっと毛色は変わるが、次の動きも西海岸的な雰囲気を伝えている。
音楽をdemocratizeする、電子楽器としてのiPhone
また、こうした西海岸的振る舞いは、hackする文化として、全米にも拡がっている。
Tinkererの再来、“Hackerspace”の誕生: もの作りをhackする新世代innovators
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リバタリアン的心性については、いくつかエントリーは分岐していて、
まず、Cass Sunsteinらの提唱する「リバタリアン・パターナリズム」についてのいくつかのエントリー。
オバマノミクスを支えるSunstein とLibertarian Paternalism?
リバタリアン・パターナリズムは、『思想地図』でいえば「アーキテクチャ派」と言われる人たちとも関わるテーマ。
特に東浩紀の「一般意志2.0」と関わるものとしては:
先日の「事業仕訳」に見られるように、政府活動や政策の多くの部分は「行政サービス」と関わることで、その意思決定については集合知を活用することができるのではないか、というのが、「一般意志2.0」を具体的に実装する段階で出てくる視点ではないかと思っている。
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リバタリアン的心性について、広くBay Areaの経営者(起業家)に見られる心性でもあって、今、最も時の人は、やはり、GoogleのEric Schmidtだと思っている。
Eric Schmidt: Silicon Valley 開発思想の本流継承者
Eric Schmidtインタビュー:「Silicon ValleyではCurrencyの維持が大事」
このSchmidtに続く、いわば「2.0世代」の代表が、Chris Andersonのような若手のウェブ関係者、ということになる。
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そのAndersonの“FREE”の中で提唱されたFreemiumについては、年末になって、Googleとの関係で、リアルな話として浮上している。
MurdochのGoogle外しからFreemiumを再考する
Web全体のFreemium化を加速させる?: Googleの“First Click Free” プログラム
Freemiumについては、それを毛嫌いする人たちが、IT側にも、既存メディア側にもいることはわかるのだが、私は、これをもっと鷹揚に捉えておくのがいいと思っている。その当たりのことは上のエントリーの中で若干ながら触れている。
東海岸と西海岸の発想の違い、という点で次のエントリーも参考になるだろう。
Freeにも対価は必要だ: Nicholas Carrに見る、東海岸的なビジネス・ロジック
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さて、『思想地図2.0』は、広告不況や出版不況という印刷媒体が苦境に立たされている状況や、ウェブ・パブリッシングが立ち上がりつつある状況の中で船出することになるが、その時、もしかしたら、アメリカのジャーナリズムがウェブとどう向き合っているか、ということも参考になるかもしれない。
ワシントン政治を劇場化したPoliticoが開くオンラインジャーナリズムの未来
American Blog Journalismの変遷から考えるBlogosphereの未来形
Webの世界でJournalismの新地平を模索するアメリカ
ウェブは、ジャーナリズムを含めた文芸にとって、新たなプラットフォームになる可能性を秘めてはいる。だが、そのアーキテクチャがパブリッシングの形を決めるかというと、当たり前のことながら、そんなに単純な話でなく、既存のビジネス事業体とどう折り合いをつけるか、というのが控えている。上のエントリーは、このあたりのアメリカの取り組みを記している。
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『思想地図』や“New Yorker”に直接関わりそうなエントリーとしてはこんなところだろうか。
この他にもメディアの変容、ということでは、たとえば、次のようなキーワードでこのサイトを検索すれば、今年の様子はだいぶわかるように思う。
Facebook, Kindle, iPhone, Smartphone, netbook, cloud computing, NBCU, Hulu, Nokia,
また、このサイトとしては、アメリカの政治や、国際的な商品開発、についても触れているので、そのあたりについては、
Obama, Healthcare, Sotomayor, World Product, Good Enough, Fair Enough, Mobile Money
などで検索してもらえればいいと思う。
一つだけあげておくと、
“Good Enough”がWorld Marketの合い言葉に
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最後に。
『思想地図』関係にリアリティを感じるようになったのは、直接的には12月に入って観覧したシンポジウムにインスパイアされたことが大きい。
フランス大使館シンポジウム観覧メモ: 千葉雅也、池田剛介、濱野智史、黒瀬陽平、による「イストワールの現在」
それに、批評という「結構」では、複数シナリオがあり得る未来(≒可能世界)の描写は困難と踏んで、小説という「結構」を選択した東浩紀の実践態度にも同じく学ぶところは大きかった。
夢想知識小説としての『クォンタム・ファミリーズ』: 読書体験のウェブ的転倒とそのエミュレーション
一人の読者として、彼らの活動に今後も注目していきたい。