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以前にも開催予定について記していた、FTCによる「ジャーナリズムの未来」に関するシンポジウムが、12月1日、2日にわたり開催された。
FTC to Examine Possible Support of News Organizations
【Wall Street Journal: December 2, 2009】
FTCはFederal Trade Commission(連邦取引委員会)の略で、アメリカの反トラスト法政策当局の一つ。もう一つは司法省(DOJ)反トラスト局。DOJとの役割分担は、漠然とだが、DOJが大型合併などの産業構造に関する案件、FTCが消費者利益の保護に関する案件、で分かれているようだが、明確な規定はない。
今回のシンポジウムの「ジャーナリズムの未来」というのも、もっぱら
公正なジャーナリズムは、消費者の判断力の基盤となる各種情報を提供する上で重要。
公正なジャーナリズムは、広くアメリカのデモクラシー(民主政)を維持する上で重要。
という観点から開催された。
基本的には、様々な立場の人びとの意見交換の場として開催されたので、そこで、何かが決まる、という性格のものではない。
とはいえ、アメリカ政府が関われそうなこととして、FTCのJon Liebowitz委員長が語っていたこととしては:
ニュース取材企業の反トラスト法適用の免除
税制優遇措置
copyright lawの変更
あるいはもっと踏み込んで、
連邦政府からの助成金付与
ということが語られていたようだ。
当のメディア企業からは、反トラスト法の適用免除や税制優遇は歓迎するものの、ニュースビジネスへの政府の介入については警戒する、という意見が出されている。見る人が見れば都合のいいことばかりいって、ということになるのだろうが、そういう態度を取らざるを得ないくらい、せっぱ詰まっている、というのが、メディア企業、新聞企業の実情なのだろう。
シンポジウムにはMurdochも出席していて、ここのところの主張通り、「よいジャーナリズムは金がかかる」、「Google Newsは泥棒(theft)だ」という主張をしていたようだ。
こうしたMurdochの、広い意味でのインターネット批判に対しては、Huffington Post(
HuffPo)を主催するArianna Huffingtonが「伝統的な大手メディアが愚痴をこぼすのはいい加減辞めて欲しい」と切り返したという。
HuffPoは、開始当初はブログの集積地=aggregatorとしてスタートしていたが、今ではニュースサイトへのリンクや、契約したジャーナリスト/ブロガーによる独自の分析記事も掲載した、ニュース・アグリゲーターサイトとして広く認知されている。いわば、人力によるGoogle Newsのようなサイト。
彼女の主張では、Google News同様、HuffPoもリンク先のニュースサイトにトラフィックを誘導することで、ニュースサイトのPV数を増やすのに貢献しているということ。だから、「泥棒などではない」ということなのだろう。
ちょっとだけ補足しておくと、HuffPoはリベラル系=デモクラット支持のニュースサイトとしてアメリカでは認知されていて、Arianna Huffington自身、リベラル知識人としてテレビなどのマスメディアに出演し、リベラル派の論陣を張っている。
一方のMurdochは、いうまでもなく保守派サイド、つまりGOP支持のメディアを運営している。
ということで、最初から、HuffingtonとMurdochとの間で合意が得られるはずもないわけで、むしろ、永遠に平行線をたどる二人と思っていていいと思う。
シンポジウムではこの他、Google News担当者のJosh Cohenが登壇し、「実際のところ、多くのニュースサイトは(Google Newsなどによって)ユーザーから発見されたがっている」として、Google Newsの役割を強調している。つまり、「より多様な言論が認知される状況」をつくりだすことで、ユーザー=消費者の利益に適う状況を生み出している、ということを主張したいのだと思う。
Googleはこのシンポジウムのタイミングで、“First Click Free” プログラムという、Google Newsからのアクセス制御プログラムを公表していて、ニュースサイトの立場に立った施策にも取り組んでいることを示している。
ということで、さしあたっては、シンポジウムを通じて何か新局面が生まれた、ということでもないようだ。
ただ、状況としては、春先に、新聞産業を支援するような法案の提出が連邦議会上院で出されている。あるいは、上のWSJの記事の最後の方にもあるように、1970年に制定されたThe Newspaper Preservation Act(新聞保護(保存)法)では、同一地域内の新聞社のコストシェアを認めるなど、連邦議会の介入事例もある。
アメリカの場合、とりあえず、議論は議論で行っておこう、という風潮があるので(というか、主張したがる人がたくさんいるので)、こういうシンポジウムが開催されたから即何らかのアクションにつながる、というわけではない。だから、今回の議論も、そのまま放り投げっぱなしになる可能性もある。
とはいえ、気にかけておいた方がいいのは、新聞やニュース、もっと広くジャーナリズム一般が、アメリカの民主的手続き=デモクラシーの堅持のためには不可欠なものだ、という意識が、中産階級以上の知的訓練を受けたことのある人びとの間ではかなり共有されていること。彼らにとっては、何か政府が行っていることにもの申すときの基盤として、ジャーナリズムが残っていてくれないと何かと都合が悪くなるだろう、というぐらいの認識はある。
だから、そういう、ジャーナリズムの利用者に対するアピールという点では、こういうシンポジウムが持つ意味は決して小さくないはない。というか、その点こそを評価すべきなのだと思う。