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オバマが大統領に選出されてから一年経った2009年のelection dayは、Virginia、New JerseyでともにGOPのGovernor(州知事)が選出された。もっぱらGOPが党勢を取り戻したというトーンで伝えられている。
A Year After Dousing, Republicans’ Hope Rekindled
【New York Times: November 4, 2009】
Democrats Confront Coalition Strains
【Wall Street Journal: November 5, 2009】
White House tries to shrug off Democratic election losses
【Washington Post: November 4, 2009】
オバマの大統領選出を支えた二つの要素である若年層とindependent層の動き方が変わったのが選挙結果を決めたようだ。若年層については、たとえば、Virginiaでは去年の選挙では州全体の投票数の四分の一以上を占めた若年層が、今回は、10%を占めるにとどまった。Independent層については、デモクラット支持からGOP支持に回った人間が増えた。その結果、GOP優勢の選挙結果となった。
結果だけ見ると、デモクラットの支持が下がった、あるいは、オバマの支持が下がった、ともとれなくはない。実際、GOP支持のメディアについてはこうした論評が多いのだが、しかし、アメリカの政党は日本を含む他の先進国と違って、党による求心力が強くはないので、一概にはそうはいえない。
少なくとも、オバマ周辺のスタッフは今回の選挙結果を受けて、来年の中間選挙でデモクラットが勝利したいのであれば、オバマ政権が示す政策に同調し、党としての結束を高め、オバマのポピュラリティを最大限に生かした選挙戦を展開すべきだ、という方向に持って行きたいようだ(いうまでもなく、ヘルスケアや地球温暖化などの政策の実現を目指した法案を混乱なく通すべき、ということだが)。
もっとも、南部のswing states(デモクラットがGOPの支持がほぼ二分されている州)の議員は、オバマらの政策をもっと中道寄りにしないと次の選挙で勝てないと主張しているので、デモクラットの党内の調整は言われるほどには簡単ではないことも確か。
オバマのスタッフたちにとっては、ここでもう一度オバマの求心力を高めることで、彼のポピュラリティを維持して来年以降の選挙戦に備えたいところ。
昨年の大統領選ではオバマが大勝したといっても、それはWinner-takes-all(勝者総取り)式の大統領「選挙人」の結果でしかない。得票数では、もちろん、対抗のマッケインよりも多く票を集めているものの、たとえば、アメリカ人の三分の二がオバマを支持している、という結果ではない。デモクラットとGOPは互いに常に競っている、というのが実情。そのために、若年層の投票率と高め、independentの支持を集めることで「競り勝つ」ことが必要になる。
今、ちょうど、オバマの選挙スタッフだったDavid Plouffeの新刊である“The Audacity to Win”を読んでいるのだが、そこでも、いかにして全体の投票数を増やすか、とりわけ若年層の投票数を増やすかについて、選挙戦初期から腐心していたかが語られている。
いずれにしても、この選挙戦結果を踏まえて、GOPは党の勢いを取り戻そうと躍起になるだろうし、デモクラットは党の結束を再度訴える、という方向に向かうことだろう。
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ところで、11月上旬のアメリカの選挙は、“Election Day”と呼ばれる。毎年、「11月の第一月曜日の翌日の火曜日」がElection Dayとして定められている(従って、実際には、11月2日から8日までの間に行われることになる)。アメリカの選挙は基本的にこの日に行われる。
大きな選挙である、大統領選、一般選挙(general election:大統領選と同じ年にある連邦議員や州知事の選挙)、中間選挙(mid-term election:大統領選の中間年にある、連邦議員選挙)は、いずれもこの日に行われる。大統領の任期が4年、下院議員の任期が2年であるため、全米を巻き込む選挙は二年ごとに行われる。もちろん、大統領選のある年が最も選挙活動が活発化するのだが。
先日のエントリーで「データベース型民主主義」のことに触れたときに、アメリカは「代表性の確保」に厳格で、それが日米の選挙に対する構えを変えている、ということを触れたが、上のElection Dayというのも、アメリカの選挙が活発である理由の一つであるといえると思う。
簡単にいうと、「いつ選挙が行われるか、常に予測可能だ」ということ。
だから、選挙で敗退したその日から次の選挙に向けた活動を開始することができる。当落が確定した当の候補者自身がそうだし、彼/彼女を支える人びとにとってもそういうこと。
裏返すと、アメリカの場合、とても「機械的に」選挙が行われる。そのことが目の前にある政治的現実が常に「期間限定」の「暫定的なもの」であることを、多くの人びとにわからせることができる。
また、議院内閣制ではないアメリカでは、議員が任期を全うせずに選挙に晒されることは基本的にない(スキャンダルでの辞任は別)。つまり、きっかり二年の任期があり、きっかり二年後には再度選挙戦を戦わねばならない。裏返すと、二年間が既に選挙戦となる。
このスケジュールが予め定まっていることは、選挙を「祭り」のように人びとの意識が集中するイベントにすることができるし、同時に、プロによる「選挙ビジネス」を恒常的に回せる土台を与えることになる。
データベース型民主主義で想定されているのは、機械的にできること、測定結果に基づいて自動的に判断できるようなことは、予めその判定基準さえ設定しておけば、わざわざ人を介さなくてもいい、ということだと思う。
その手の「機械的自動性」を求めるのは、民主制といっても最終的な決断は、選出された代表者という人びとによる投票による多数決という「機械的原則」に則っているから。本来、簡単な手続きのはずが、代表性と官僚制の二重構造で、普通の人びとの扱える代物ではなくなってしまう。
その上、それを変更する唯一のチャンスである選挙は、日本の場合、いつ行われるのかわからない。常に政局に左右される。直前においては、選挙がいつになるか、ということが報道の主要なテーマになってしまいさえする。そして、選挙自体が話題になるのは、実質二週間から一ヶ月という短期間に過ぎない。
この「不確定なスケジュール」では、まともな管理はできない、というのが道理だろう。
その点、アメリカの場合は、事前に選挙スケジュールが確定しているので、その選挙に向けて、新たな「選挙争点」を作りたい人びとは事前に勝手に動き出す(今のアメリカであれば、たとえば、gay marriageなどの争点)。選挙、というか、投票、というのは、「認識戦争」でもあるので、事前に強く広く伝わった案件が、主要な争点になる。
もちろん、弊害としては、争点の設定自体に資金が必要になるということ。その点で、必ずしも誰もが平等、というわけではないことは確か。
それでも、事前に機械的にプログラムされた選挙日程に向けて、様々な人びとが様々な思惑の下で動き出すことができる。事前にスケジュールが公開されているので、そのスケジュールに合わせて、たとえば、交渉や取引も行われうる。そうして、Election Day当日に向けて、様々な活動が集約されていく。
この「確定したスケジュール」という機械的プログラムは、基本的に何の権威者もなく、とりあえず代表を皆で暫定的に決めるしかなかったアメリカだから出てきたものだと思う。だから、他国にもそのまま移植するというわけにはなかなかいかないだろう。けれども、たとえば、時間を区切る、という機械的取り決めだけでも、人びとの関わり方は大きく変わるし、この機械的適用の試み自体、それが導入された時期を考えれば、大なり小なり、ルソーの一般意志に代表される18世紀末の政治思想、というか、統治思想、に基づいて「実装されたプログラム」なのだと思う。
そう考えれば、アメリカの動きも少しは参考になると思われる。