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メディア・コングロマリットは時代遅れのビジネス形態なのか?

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Columbia Business School(CBS)でメディアビジネスを担当していた教授陣が新著を発表する。

The Curse of the Mogul: What's Wrong with the World's Leading Media Companies
By Jonathan A. Knee, Bruce C. Greenwald and Ava Seave
Portfolio, 304 pages, $26.95

ちょうどタイミングとして、ComcastによるNBC-UniversalのM&Aの噂が立っているときでもあり、書評や引用を含むエッセイなどがいくつか現れている。

Media Moguls and Creative Destruction
【Wall Street Journal: October 12, 2009】

What Matters in the Media
【Wall Street Journal: October 6, 2009】

The death of the media mogul
【Wall Street Journal: October 7, 2009】

いずれも、インターネットに対してメディア・コングロマリットはうまく対応できていないことを憂えている。また、これは、上の新著でも触れられていることのようだが、メディア・コングロマリット自体は、過去20年余りの売上増は基本的に合併効果によるものでしかなく、新たなビジネスモデルは、事実上、一つも産み出していない、ということ。

実は留学中、上の三人のうちの二人のクラスには様子を探りに何回か見に行ったことがある。参考までにその範囲でわかることを記しておく。

まず、Jonathan A. Kneeは、メディア企業間のM&Aのディールメーキングに直接関わっている実務家。メディア・コミュニケーションズ産業専門の、ブティック的投資銀行であるEvercore Partnersのメンバーの一人。メディア・コミュニケーションズ産業は、80年代以降、ほとんど同業者どうしの買収・売却を繰り返してきた(これは、極めて恣意的に設定されるメディア所有規制の存在のため)。Evercoreはその仲介役を務める。最近であれば、McGraw-HillのBusinessWeek売却の話で、Evercoreが売却先の探索に乗り出している。この他にメディア企業間のM&Aの際に、買収額の妥当性について第三者的に検討するFairness Opinionの作成にも関わったりする。

Jonathan A. Kneeは、こうした作業に直接関わっている。確か、JDとMBAの両方の学位を持っていたように記憶している。だから、徹頭徹尾、彼の考えは、実務家的なもので、メディア・ビジネスといっても、メディアがどうなるか、ということにはあまり関心がなく、どの会社とどの会社を合併させるのが合理的か、その際の法律や規制上のボトルネックは何か、ということが彼のコースの主眼だったように記憶している(ビジネススクールの選択科目だから仕方ないのだけど)。

一方、Bruce C. GreenwaldはCBSのStrategyグループの名物教授。MITでドクターを取得して、基本的には、ゲーム理論的フレームワークで、マイケル・ポーターの戦略フレームを書き換えて、オリジナルのBusiness Strategyを考える、というのが彼の作業だったと思う。

新著に目を通さないでいうのもなんだが、おおよそ、彼らのメディア・コミュニケーションズ・ビジネスに対する見方は想像できる。それは、とても現実的で実務的ということ。ビジネススクールの教授たちだから当たり前といえば当たり前なのだけど、では、新しいメディア・コミュニケーションズ・ビジネスはどのようなものになるか、というような、「想像力」を要する話にはほとんど触れていなかったように記憶している。

簡単に言うと、正しいけどつまらない。

繰り返しになるが、それは、彼らがビジネススクールの教員だから仕方ないのだけど、基本的に、メディア・コミュニケーションズ・ビジネスの「アカウンタビリティ」を供給するのが彼らの仕事で、では、メディア・コミュニケーションズ・ビジネスがどうなるか、は(実質的には)対象外。

このあたり、アメリカの場合、メディア・ビジネスの経営層とクリエイターは、まさに雇用主と労働者という立場で分断されていて、経営層はもっぱら財務と法務の専門家、クリエイターはジャーナリズムスクールやアートスクールの出身者、のように、経歴も分断されがち。

だから、ネットへの対応がうまくできない、というのも、このあたりの分断に起因しているように思える、というのが留学中に感じた実感だった(といっても、証明のしようがないので、以来ずっと、一つの仮説というか見立てとして私の中にあるのだが)。

裏返すと、とりあえず自分たちの手を動かして何かをしてしまうのが企業文化になっている、ITやネット系の企業の方に可能性を見いだしてしまう、というのがもう一つの仮説になっている。

だから、メディア・コングロマリットはだめ(と多分新著では言及しているかなと思うのだけど)、というのも、それはそうだろう、なぜなら、そもそもコングロマリット・ディスカウントは株主の利益にそぐわないというのが80年代このかたM&Aの基本的発想だったはずだから、であらかた説明がついてしまう。

必要なのは、その先にある、では、これからのメディア・コミュニケーションズ・ビジネスはどうなるのか、という問いへのアプローチのはず。この点で、ビジョン・オリエンテッドの西海岸企業の方がNYのコングロマリットよりもおもしろいように思う。問題なのは、とはいえ、コングロマリットは資本家として巨大で、そうした面白い企業をあるタイミングでてなづけてしまいがちだというところ。

なんだか、しまりのないエントリーになってしまったが、実際に新著が手元に届いたら改めて取り上げてみたいと思う。

とはいえ、いささか勇み足的にエントリーで取り上げたのは、単なる経営層視点で「だめだ、だめだ」と連呼されても、メディア・コミュニケーションズ・ビジネスにとっては百害あって一利無しだから。