American Prism XYZ

FERMAT

394

latest update
July 28, 2009
23:41 jst
author
junichi ikeda

print

contact

394

Ben & Barry: メディアビジネスのカテゴリーキラーが挑むコンテントベンチャー

latest update
July 28, 2009 23:41 jst
author
junichi ikeda

print

contact

NBC-Entertainmentのco-chairmanを2007年から務めていた「異端のテレビマン」Ben SilvermanがNBCを辞め、新たなメディア・コンテント・ベンチャーを始める。この新会社には、こちらもまた「異端のテレビマン」であったBarry Dillerが率いるインターネット・コングロマリット、IAC/InterActiveCorp.が出資する。

Silverman Leaves NBC, Joins Diller
【Wall Street Journal: July 27, 2009】

Co-Chief of NBC Entertainment Departs
【New York Times: July 28, 2009】

新会社の名前など詳細はまだ決まっていないが、基本的には、インターネットとテレビをはじめとするマルチプラットフォーム向けの映像コンテントを制作する。この新会社では、映像コンテントの企画開発段階から、スポンサーとなる企業を引き入れながら制作を進める。少し前にbranded entertainment、あるいは、informercialと呼ばれていた、「テレビ番組」と「テレビCM」の混淆形態としての映像コンテントの開発を進める。企画段階からスポンサーと話し合うことで、不自然にならない形でproduct placementも試みる。

Ben SilvermanとBarry Dillerをともに「異端のテレビマン」と呼んだのは、二人が、形は違えど、従来のテレビ業界の固定観念を打破して、新しいテレビビジネスのスキームを考案し実現してきた人物だから。常識を覆すという点で異端だった。

Silvermanは、この業界のキャリアをLAのテレビ番組制作会社からスタートしたが、そこから、ハリウッドのエージェンシーであるWilliam Morrisに移り、そこでアメリカ国外のテレビ局で制作された番組の「フォーマット」の輸入で成功した。具体的には、“Who Wants to be a Millionaire”や“Survivor”のアメリカ版の制作で成功し、テレビ業界の注目を集めた。その後、自ら番組制作会社であるReveilleを2002年に立ち上げた(このとき、Barry Dillerが出資をしている)。ここでもいくつか番組制作で成功し、2007年にNBC-Eに招聘される。

Silvermanは、従来のハリウッド中心の番組作りのルールから逸脱した番組作りを行い、テレビ業界に新しい風を吹き込んだ。海外の番組フォーマットの利用による、開発費の低下、開発期間の短縮化を図ったり、脚本の開発を必要としないリアリティTVを広めるなどした(だから、ERなどの大型テレビドラマが終了したのも、Silverman的テレビが新たなテレビ番組様式として定着したからだった)。NBCに移ってからは、番組の企画段階から大手広告主を引き入れ、番組作りにコミットさせることを試みた。

Silvermanは、自らを“360 executive(全方位エグゼクティブ)”と称し、単に制作(creative)がわかるだけでなく、広告(+マーケティング)、テクノロジー、国際ビジネス、をも理解したテレビマンとして位置づけている。

広告(+マーケティング)というのは、番組の企画の早期に広告主を引き込むことで、番組を広告主にとってより意味のあるものに変えた。従来はハリウッドが制作した番組をネットワークが買い入れ、そのCM枠を広告主に売るというように、番組制作と広告営業の間には一種のファイアーウォールがあったわけだが、それを取り払った。テクノロジーというのは、DVRやインターネットの状況を理解しているということ。だから、「CMスキップ」を考慮したproduct placementを試みることを厭わない。国際ビジネスというのは、番組フォーマット販売のような、一つのアイデアを複数の番組として結実させること。それは同時に番組制作の段階で、様々なローカライズのための条件を理解しなければならず、結果的にアメリカとそれ以外の国との間の文化状況の違いにも敏感になる。

こうした経験が、制作費の調達方法や、コスト構造の変化をもたらし、テレビビジネスの新たなスキームを考案することに役立った。NBCに招聘されたのも、Silvermanの持つ、こうした「斬新なアイデア」を期待されてのことだった。

一方、Barry Dillerは、ABCの番組プロデューサーからキャリアを始め(実は、その前に、William Morrisのメールマンの時代があるのだが)、ParamountのCEOを務める(このとき、スピルバーグとインディ・ジョーンズを製作している)。ついでCEOとしてFoxの立ち上げを行い、三大ネットワークに挑戦し、今日、四大ネットワークと呼ばれる時代を用意した。Foxの次には、QVC(ケーブルのテレビショッピングチャンネル)の経営を行い、テレビビジネスの新たな収益形態を身につける。ドットコムバブルの時には、単なるメディア企業よりもIT企業と認識される方が株高を利用できると考え、IACを立ち上げ、ExpediaやTicketmasterをもつインターネット・コングロマリットとして育て上げた。

このように、Dillerは常に、テレビビジネスのフロンティア、メディアビジネスのフロンティアに位置し、そのフロンティアが抱え込んだ「新たなビジネスの種」を開花させ、収益の出るビジネスを生み出してきた。

ちなみに、IACは、Frank Gehry設計による新社屋をマンハッタンのChelsea に建てている。Frank Gehryは、スペインはビルバオのグッゲンハイム美術館を設計した建築家。ChelseaのIAC Buildingも、グッゲンハイム美術館同様、流線的な形状によって、見た目にも、建築技術的にも、こった作りになっており、これだけで「メディアバリュー」をもった建築になっている。

こんなところからも、Barry Dillerは「メディアはかぶいてなんぼものもの、目立ってなんぼのもの」という、メディアビジネスの本質をよく理解していることが窺い知れる。同じくマンハッタンのコロンバスサークル前に建ったタイムワーナーセンターが極めて普通のガラス建築型ビルであることを考えると、メディアの価値を絞り出すことに長けた人物とDillerを捉えていいと思う。

*

このように、Ben SilvermanもBarry Dillerも、ともに、テレビビジネスの「エッジ」に位置し、従来のテレビビジネスの常識を疑い、新たなテレビビジネスの可能性を開いてきた。二人とも、テレビ業界の人々が常識として見えなくなってしまった「穴」を電撃的に衝く。その意味で彼らは、テレビ業界、メディア業界の「カテゴリーキラー」といえる。

その二人が、ブロードバンド時代を見越した、メディア・コンテント・ベンチャーに着手するのだから、期待は高まるばかり。

実際問題として、branded entertainmentが時代のテレビ番組の主流になるかどうかはわからないが、しかし、番組と広告の融合、というのは上で書いたように手をつけようにもつけにくい、というのがアメリカの業界の事情だった(日本のことについては最後に触れる)。そこに風穴を開けるという点で、(自分たちでは変えられないほど組織構造が硬直化し官僚化したた巨大メディア企業の人たちも含めて)彼らのベンチャーには意味がある。

加えて、ここのところ、ネット系の企業から期待が高まっていたディスプレイ・アドに変わる広告様式という点でも意義があると思う。

検索広告が徐々に成熟してきたところで、ネット系の企業は、Google、Microsoft、Yahoo!、AOL、の全てが、ディスプレイ・アド、つまり、検索連動型のテキスト広告ではなく、ポップ広告やバナー広告が典型だが、動画や静止画などを用いた表現で利用者の「印象」を良くし「記憶」に残っていくような広告、要するに、従来のマス4媒体が提供してきた広告(予算)を獲得したいと考え、その意向を公のカンファレンスなどで経営トップが表明し、たとえば、伝統的な広告会社への接近を試みている。

しかし、DVR、さらには、先日最高裁の判断でもゴーサインがでたケーブル会社のnet-DVRが、今後普及することで「CMスキップ」への懸念は拭いがたくなる。また、ネットにおいても、たとえば、イギリスの高校生のレポートでもあったとおり、インタラクティブ性のあるメディア(ネットやゲームなど)においては、「選択」という意図が入る分、そうしたメディア接触時に広告が挿入されることに抵抗感を示す若い世代も出始めている。

さらに、アメリカにおいては、最大の予算規模を誇る自動車産業がリストラクチャリングの真っ最中で、広告のあり方そのものの見直しを図ってくる可能性は高い。

そうすると、広告を制作する人(=広告会社)、広告を配信する人(=Googleらネット企業)、というような、単純な役割分担のままでは、ユーザー(=高校接触者)や広告主の希望に必ずしも応えられない事態も生まれてくるだろう。

そのとき、Silvermanのいう“Warner Brothers meets BBDO”、つまり、「映像制作会社(Warner)が広告会社(BBDO)に出会う」ようなビジネスのあり方が、オルタナティブな、もうひとつの方向として意味をもつように思える。

そして、おそらくは、映像経験の変容への対応という点でも意味を持つ。

映像制作技術や映像表示技術の向上により、CGやポスプロに力を入れた、解像度の高い映像コンテントでは、「動画を構成する一つ一つの静止画=絵」はほとんど人工的な加工が施されているものであることも、視聴者の方にわかってしまう。既に、ゲーム(特にオンラインゲーム)を中心に、背景として登場する商品や企業を書き換えることも行われている。そうした「広告とともにある空間への参入」もメディア体験として現実化しつつある(既にリアルの都市空間はそうなっているわけだし)。

Silvermanはbranded entertainmentやreality-tvのような試みをNBCでも行おうとしたのだが、どうやらNBCの古い階層的な経営構造に阻まれてあまりうまくできなかったようだ。そこで、むしろ、NBCの外で、自分が「企画・制作」する側に回って、新たな番組形態の確立の方に専念しようと思ったようだ。そして、その構想を聞かされたDillerも、ブロードバンド普及の一本道という近未来を考えれば、インターネットの側からも、branded entertainmentのような広告的コンテントの必要性を感じていたようだ。そして、この構想事態にNBCも別に否定的であるわけではない(新会社にはNBC Universalが出資する可能性もあるらしい)。

だから、テレビに限らず、映像コンテントを露出することができるプラットフォームであるならどこでも、Ben & Barryの考える新たな広告様式を露出する機会があり、そうした機会をテレビだけに拘泥せずに、最初はニッチかもしれないが、とにかくビジネスとして立ち上げる方に専念することで橋頭堡を築いていく。これが、Ben & Barryのベンチャーの意図なのだろう。

*

とはいえ、実は、日本人は、既にBen & Barryが企図する世界にどっぷり浸かっている。

テレビにおいて、たとえば情報番組と報道番組の境界がわからなくなっているのはもうずいぶん前からだ(情報バラエティの氾濫)。リアリティTVという言葉が出る前から、視聴者参加型の番組は当たり前(「電波少年」や「あいのり」)。product placementといわずとも、テレビドラマにおいて企業が制作に協力することは昔からあった。branded entertainmentも、広告会社発の番組、という形でいくつか試みられている。「広告」と「非広告」の境界の曖昧化は、日本では随分前から進行している。

だから、上のBen & Barryのベンチャーは、そこがアメリカだから大きな意味を持つ、というふうにさしあたっては取っていい。繰り返しになるが、番組制作=ハリウッド、CM販売=ネットワーク、CM購入=広告主(の代理をする広告会社)、という区分けがきっちりあったからこそ、その境界を壊乱させるSilvermanのような人物が重宝がられるわけだが、彼の振る舞いは、日本でいえば、普通の「アドマン」の振る舞いだ。今回の新会社での番組制作は、自己予算(だけ)ではなく、最初から広告主からの予算もアテにしているようなので、フローの予算(他人のお金をアテにして)映像コンテントを作るという点でも、アドの世界に近い。

だから、アメリカのテレビ業界は、ブロードバンドへの対応の中で、番組様式としては、日本のそれに接近していく、というのは一つの見通しとしてありえる。

もっとも、アメリカは(一部)視聴者による番組チェックが厳しい国なので、「広告」と「番組」が渾然一体となるような事態が生じた場合、その旨を明示することを要求してくる可能性は高い。そうした声が高まれば、政府も動かないではいられない。とすれば、ある程度まで進んだところで「広告」と「番組」の境界設定がなされるのかもしれない。

さらにもっと単純に、テレビでの視聴も、ネットでの視聴も同じく初見である場合は、広告付きで、という様式が定着してしまうのかもしれない。その場合は、配信プラットフォームに携わる企業のところで、アメリカの場合、反トラスト法的観点から、一社が独占する形態を社会的に忌避していくだろうが。

このように、今回のBen & Barryのベンチャーの話は、日本とアメリカのテレビ文化(テレビビジネスではない、なぜなら視聴者や政府も含むので)の違いを確認する機会として捉えてみることも有意義だと思われる。