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Googleの「競争担当」弁護士

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Googleでsenior “competition counsel(競争担当弁護士)”を務める、Dana Wanger氏を紹介した記事。

Google Makes a Case That It Isn’t So Big
【New York Times: June 28, 2009】

Dana Wagnerについては、こんな紹介もされている。

Google, Halliburton and an ‘oops’ moment
【Reuter: June 10, 2009】

competition counselは、通常anti-trust counsel(反トラスト(独禁法)担当弁護士)といわれる役割。そのcompetition counsel であるWagner氏は、Googleの反トラスト法がらみの訴訟や訴訟リスクを担当する。Wagner氏は司法省反トラスト局勤務を経てGoogleの企業法務弁護士の職に就いたという。

上のNYTの記事タイトルがそのままずばり言っているように、「Googleが世間一般で思われているほど巨大な企業ではない」ということを説得して回ることが、Wagner氏の目下の役割。だから、GoogleのPRマンでもある(以下のBusinessWeekの記事)。

Google's PR Campaign
【BusinessWeek: April 29, 2009】

昨年、買収の危機にさらされた米国Yahoo!との間で計画されていた広告業務に関する提携関係の構築を、ブッシュ政権下の司法省によって阻まれたように、Googleのオンライン広告市場における優位性の更なる確立に対しては、ここのところ目が光るようになっている。

*

オバマ政権になってから、エリック・シュミットとオバマの近しさから、Googleに「優しい」反トラスト政策が採られると思いきや、先日、Book Searchに関する出版業界(出版社や作家)との合意内容に関して当局が介入してきており、Googleが十分巨大である、という通念が浸透しつつある。(ただし、Book Searchに関してはもう少し含みのある動きではないか、と私は思っている。関心のある人はこのエントリーを参照)。

だから、Wagner氏の役割が、「いかにGoogleは相対的に小さく、脆弱な立場にあるか」、「Googleをとりまく市場環境がいかに競争が激しく流動的であるか」を説得して回る、いわば、三日天下といわないまでも百日天下ぐらいの状態にある、というのを説得して回ることにあるとしても、それはなかなか容易なことではない。NYTの記事の中で、「シジフォスのような(Sisyphean)」とあるのも、一見して「労多くして益少なし」と書き手である記者が感じているからだろう(あるいは、そのように受け手である読者が感じるであろうということをこの記者が先回りして読み込んでいる)。

おそらくは、こうした漠然とした空気、印象の流布も踏まえて、単なるanti-trust counselからcompetition counselに呼称も変えたのだと思う。認識の枠組みを「できあがった市場における地位の保持」ではなく「未知の市場に対する飽くなき挑戦の維持」の方に。

反トラスト、というのは、実際、その「悪さ」を当事者が感得するのはそれほど簡単ではない。とりわけ「優越的地位の濫用」などは、ある商品市場の誕生や成長の段階では問題にならないようなことが、ある日、市場が成熟を迎えると途端に問題視されるようになってしまうわけで。

(実際には、反トラストが立証されるケースは、たとえば、国際的な原材料品に関する価格カルテルなど、消費者便益の搾取が明確に判るようなケースに限られる、という話を、留学時に反トラスト局局員の講演で聞いたことがある)。

だから、常に市場が飽和しないように、常に市場が成長段階にあり、新規参入による潜在的な競争に晒されている、ということをアピールする必要が出てくる。インテルの元CEOのアンディ・グローブがいう“Only the paranoid can survive.”のように、偏執的に「競争的状況」を呼びこみ続けることが大切になる。

個人的には、アメリカで、イノベーション、イノベーション、と叫ばれるのは、こうした企業側の意向もあると思う(もうひとつは、経常赤字のファイナンスによるドル高維持、という金融セクター側の理由)。常に、成長を続けていれば、常に市場を拡大していけば、そして、その際、フェアな競争を行えれば、大きくなっても、文句をいわれない。自分たちの行動に制約をつけられることはない、ということで。

裏返すと、それは、過度に、隣接した市場への越境を試みることにもつながる。Googleが広告取引市場一般に進出しようとしたり、デジタルブックという分野でAmazonと張り合ったり、モバイルの領域に進出したり、というように、暴れ牛のごとく、周辺に乗り出していくのは、そちらに乗り出すことで、市場の境界が誰にも判るような形に確定させないことを狙っているからだろう。その意味では、互いに互いのターフに乗り入れようとする、シリコンバレー(とその親戚であるインドや中国)のIT企業群が総体で阿吽の呼吸の中にあるともいえるのだろう。

そして、過度な相互参入であるがゆえに、必ずしもうまくいくとは限らない。常にフライング気味の参入が行われているぐらいにとらえておくぐらいでちょうどいいのだろう。だから、時に、そういうルールとは別ルールで動いている東部や北東部の企業から疎まれることもでてくる。ただ市場の秩序を荒らしていくだけの存在として。

そう思うと、Wagner氏の役割のうち、PR業務が大きな比重を占めるのも納得がいく。Google(やシリコンバレーの企業群)が行っていることは、無茶苦茶なことではなくて、それなりの意図があって行っていることだ、ということ、それは競争を減じて経済活動に支障を来すようなものではないし、自分たちだけが勝とうとしているわけではない、ということ。そして、それは、ちょうど、政府においても、anti-trust policyからcompetition policyと呼称を変えたのと同じように、適切な競争の下で、それぞれが収益を得ることを目指すのが、市場というメカニズムとのうまい付き合い方だ、ということで。

Googleも十分社会的に認知された企業である以上、巨大組織が一般的に抱えるリスクの結果として、時に問題のある行為をすることもあるし、これからもあるだろう。その都度、“Don't Be Evil”という社訓(なのかな?)に対して、唾を吐くような酷い非難も起こることだろう。だが、それと同時に、“Don't Be Evil”の意味するところも鍛錬されて、その都度、新たな意味合いに変わっていくのだろう。

Wagner氏の作業は、competition counselという立場から、“Don't Be Evil”の色合いをつけていくこと。Book SearchやPrivacyなど、単純にcompetitionだけの視点で語れないものも多い。Microsoftの反トラスト訴訟の時には、今上で書いたような、IT市場の潜在的成長性、市場確定の困難さ、などが語られ、その訴訟を通じて、実際、そうした理解がIT市場理解のデフォルトになった。とすると、Wagner氏のGoogleのケースを通じて、より社会的、文化的局面におけるIT事業の本質についての、新たな通念を創り上げていくのかもしれない。

こんなふうに考えると、反トラスト法訴訟の動きも違った見え方が浮き上がってくるように思う。