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NYTのテクノロジーブログから。
The Obama Administration’s Silence on Privacy
【New York Times: June 2, 2009】
オバマならびにオバマのスタッフは、かなりシリコンバレーよりで、親ウェブで、pro-innovationなのに、どうしてonline privacy issue についてはあまり語りたがらないのだろう、という、私も素朴に疑問に感じていたことへの一つの回答となるような記事。
Cybersecurityへの積極的関与の表明や、大統領選キャンペーンの頃から支持を表明していたnet neutralityや、インフラ政策・教育政策としてのブロードバンド網の配備計画など、チームオバマは、ウェブやウェブ文化への距離感が、従来の政治家に比べれば、ずいぶん近しい。
ただ、その中で、online privacyに関わる部分については、ほとんど語っていない。
普通に考えると、Cybersecurityの浮上は、よくある「監視社会論」の立論方法から、必然的にprivacyの話につながるはずなのだが、そうしたコメントはきかない。
あるいは、Obamanomicsの鍵と目される、Cass Sunsteinのlibertarian paternalism にしても、その考え方の根底には、今までのように、国民(もしくは市民、つまりある行政機構の枠組みの中にいる人々)を巨大な集団として捉えるのではなく、より一人一人の国民の事情にあわせて、公共的なサービスを提供していこう、という発想があり、つまり、個々人の情報や行動のトラッキングは、政策実施上の大前提になる。この点で、Privacyの話が浮上してきてもおかしくない。
さらには、上の記事でも触れているが、より直接的に、インターネット上でのマーケティング・広告活動である、Behavioral marketing/advertisingについて監督権限を持つFTC(Federal Trade Commission) の動向にもあまり触れない。
で、こういう状況に対して、上の記事で取り上げているPeter Swireがいっているのが、SNS世代、Web 2.0世代は、Privacyの考え方が、それ以前の人々と変わっているからだ、という。自分の情報を人に公開することで、新たに「動的」に情報を作っていくことの方が面白いからだ、といっている。
要するに、Privacyの考え方が若い人になればなるほど、「絶対保護」「死守」というほどのものではなくなっている、ということのようだ。
Electoral Politics(選挙に関わる政治)的にみれば、オバマを支える若い層の有権者を逃したくない、ということだろう。あるいは、チームオバマを、資金的にも政策立案的も支えてくれているシリコンバレー、とりわけ、Google的な会社の可能性を摘みたくない、というのもあるのかもしれない。
とはいえ、やはり、Privacyの捉え方そのものが、難しいのだと思う。そして、現在、Sotomayor最高裁判事候補の上院での承認作業が残っていることも、Privacyについて口をつぐんでしまう理由になっていると思う。
Privacyの保護は、アメリカの憲法の中には直接的な規定がない(憲法といっても、権利章典はAmendment=修正条項のほうになる)。だから、法律家の立場によって、憲法に書かれていないことを権利として認めるかどうかは、解釈が異なることになる。
たとえば、これは保守系(GOP系)の法律家に見られるけれど、originalismといって、憲法に書かれているものだけがアメリカ政府が用意した権利だ、という立場があって、彼らからすると、privacyを最終的に最重要視するかどうかは、privacyに内在した価値としては尊重されないことになる。
とはいえ、急いでつけ加えなければならないが、だからといって、こうした保守派がPrivacyなどいらない、といってるわけではないことに留意して欲しい。あくまでも、何らかの係争が起こったときに、最終的な絶対基準としてprivacyをもちだすことができるかどうか、ということ。Privacy自体は、アメリカでは判例を通じて権利として認められている、というのが一般的な解釈だったと思う。ちょっと記憶が曖昧だが、19世紀後半の、都市化の動きに呼応して、Privacyという考え方が生まれてきたはず。つまり、18世紀末の、アメリカ憲法起草時には想像できなかった社会環境の中から生まれてきた概念のはず。
デモクラット系の法律家には、憲法の記述を字句通りに解釈するのにとどまるのではなく、時代時代の社会環境、社会的文脈に応じて、憲法起草者の基本的な考え方を踏まえながら、憲法解釈を進めていくべきだ、という人がいる。こうした法律家たちからすると、privacyもその意味で他の基本的人権同様尊重されるべき、ということになる。
(もちろん、新たに修正条項としてつけ加えるのが一番確実な方法だが、しかし、これは、議会による立法が必要だから、簡単にすむことではない。abortionやgay-marriageの話と同じような状況にあると思えばいい)。
いずれにしても、今、このPrivacyの話題を出すと、Sotomayorの指名承認とも絡んでくることは大きいのだろう。もちろん、Cybersecurity政策が具体的に発表される段階で、privacy issueはもっと注目を集めることになるだろうが(Cyber Czarの発表は確か今週という話だから、意外と早く、この話もきちんと議論の俎上にあがるのかもしれない)。
その意味では、若者が文化的に変わったから、というのは、あたりさわりのない、当座のかわし方のひとつのようにも思えてくる。