309
309
Atlantic Monthly で、デモクラッツのセネター側の選対委員長である、Chuck Schumer(チャック・シューマー)上院議員(NY州選出)が紹介されていた。
記事によれば、2008年のデモクラッツの一般選挙(大統領選ならびに連邦議会上下院選)における勝利は、ミドルクラスの人々の票を獲得することに心がけて、それに成功したからだという。Schumerは上院の選対だが、下院の選対は、現在オバマのChief of Staff(ホワイトハウス首席補佐官)を務めるRahm Emanuel(ラーム・エマニュエル)が指揮を執り、上下院が強調して選挙にあたったということ。
興味深いのは、Schumerのいうmiddle-classは、アカデミシャンや昔ながらのリベラルがいうものよりも、もう少し階層が上であるということ。裏返すと、アカデミシャンがいうミドルクラスは、現にミドルクラスの人が聞いたら、自分たちよりも下の「貧困層」のことに聞こえる、ということらしい。
このあたり、日本の「中流意識(しかも「中の上」という感覚)」にニュアンスが近くて面白い。
日本の場合、90年代からゼロ年代初頭にかけては、気分としては「中流意識」が残っていて、消費やマーケティングの世界ではまだ80年代的な方法が効いていたのだけど(たとえば、イメージ先行のCMや、広告の仮想ゴールがブランドだったりするもの)、ゼロ年代も半ばを過ぎると、イメージだけでは消費者側(特にマーケティングの新規対象である若年層)の購買力の低下を刺激することはできなくて、マーケティングの4P(Price, Product, Promotion, Place)のいずれにおいても実質的な「利便性」を示すことが必要になってしまった。たとえば、価格が安くても品質はほどほど、とか、安売りだけど店舗はきれい、とか、製品の概観(デザイン)にバリエーションがある、とか、販売時点でポイントがつく、とか、・・・。とにかく、イメージではなく利便性をフックにする方向に、各々の消費財メーカーならびに流通が向かっていった(2005年以降、広告業界の景況感が、実体経済全体の景況感から乖離し始めたことには、こういう社会経済的な事情が働いていると思う)。
こうした状況は、一般的には「成熟社会」といえることだろう。つまり、一通りの生活財のストックは人々の間で所有されて、しかしながら、国の経済自体は今ひとつ伸び悩むようになり(「先進国病」)、小さなバブルは業界単位で確率的には起こっても、大きなバブルはなかなか生じにくい。・・・こんな感じ。
アメリカもそういう状態に入りつつあるのかもしれない。
middle-classの取り込みの重要性は、GOPのストラテジストの間でも主張されてきている。つまり、たとえばポール・クルーグマンが議論しているように、レーガノミクスの時代に国富の分配が上流クラスに偏ってミドルクラスの社会経済的な地盤沈下が始まり、さすがにその地盤沈下を無視しては、選挙で支持を得ることはできない。こうした認識は、デモクラッツ、GOPによらず共有化されているということ。
実際、現在、アメリカでは、例の経済救済策(Bail-out plan)における財政出動規模をめぐって、侃々諤々の議論がなされていたし、その中では、アメリカは、欧州のように「社会(民主)主義」国家になるのではないか、という恐怖感すら漂っている。
このあたりは、今、もっともアメリカが悩んでいるところで、経済状況の改善に当たっては、短期的には、一見すると欧州のような社会主義的な財政出動をするものの、その後には、改めて「イノベーション」志向の、先進国の中では飛び抜けて成長性の高い産業構造を復活させる、「起業者マインド」は葬り去らない、という方向でなんとかしようと考えているようだ。
Schumerもこのように考えていて、長期的な生活安定のインフラ(住宅取得、エネルギー費用の安定、教育、など)を整える一方で、代替エネルギーの開発や研究開発の強化、ということも考えているようだ。
Schumerはこうした戦略に自信を持っており、Center-leftの政策を維持して、「メディアで喧伝される昔ながらのmiddle-class」ではなく「現実のmiddle-class」の状況を適格に捉えていけば、デモクラッツの優位はしばらく続くと考えている。
もちろん、GOPの2010年の中間選挙ではこうした点を衝いてくると思われるが、そのためには、GOP全体をいかにcenterに戻すかが課題になるのだろう。
いずれにしても、2009年は、1980年から続いた政治・政策潮流からの転換が図られた年として、後日、記録される可能性はかなり高そうだ。