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junichi ikeda

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デモクラシーの位置づけ

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アメリカの政治地図がかわると、前に書いた

南部的なものがアメリカの政治を左右する時代から脱却することで、アメリカの政治力学を決める、複数の利害の均衡関係が、向こう1年間ほどで再定義される時代になるように思う。

こういう時、アメリカがおもしろいのは、最高権力者たる大統領が間接選挙によって選ばれるため、物事の変化が、資本の論理=キャピタリズムだけに依拠しないところ。大枠で言うと、キャピタリズムへの対抗手段として、デモクラシーが位置づけられる。いわば、「金持ちが勝つ」軸と、「頭数が多いところが勝つ」軸とが、併存しており、統治の構造上、後者の方に正統性がある、ということ。

そして、デモクラシーに対抗軸の役割を維持させているのが、大統領選が直接選挙ではなく、州を介した間接選挙であるところだと思う。つまり、アメリカの権力闘争においては、州を足がかりにすることが必要で、その結果、いわば、州の間での競い合い、が生じるから。

今回の選挙を左右したのは、従来のRed States (GOP支持州)のうちBlue(デモクラット支持)に変わったところがいくつかあったことだが、その背景には、州ごとに、有権者の構成が変わったことが大きい。

たとえば:

コロラド、ニューメキシコ、ネバダ、
ヒスパニック人口の増加

バージニア、ノースカロライナ
ワシントンDCやメリーランドからの知的ミドルクラスの移住

人口動態は産業や経済に引き寄せられるのは確かだが、アメリカの場合、そこに、州ごとに、税の加減(種別や料率)や都市計画が異なることも影響を与える。
人口の量を管理しようとするのは、アメリカの場合、連邦制であるため、連邦議会への代表の選出が人口に大きく左右されるため。

あえていえば、「人の動きと量」が権力の源泉になる、ということ。

人口動態の変化が、一番直接に効くのは下院議員。州の総人口が増えれば、単純に下院議員の人数が増える。ここで、数は単純に力になる。
また、大統領選においても、選挙人(delegates)は、基本的にその州からの選出議員と同じ数になるため、人口の増加は、また、大統領選においてもその州の力を増すことになる。州の力が増せば、当然、そこから選出される上院議員の発言力も増す。

つまり、キャピタリズム=資本制の論理、によって、経済的に栄えている地域、人、企業、が力をもつ一方で、人口の多寡は、それらを越えた権力掌握のレベルで大きな力を持つ。

加えて、アメリカの場合、大統領府は猟官制であるため、行政府の高官は、基本的に政権交代とともに総入れ替えになる。そのため、政府は、政治一筋の人だけではなく、ビジネスエリートやアカデミックエリートが、政治任命によって登用される道がある。このことが、政治が社会的成功の頂上として位置づけられる。

南部的なものが力を持ったのは、たとえば、テキサスのような州で、人口増加が顕著になったことが一番のベースにある。テキサスは、今では、カリフォルニアに次ぐdelegatesを持つ州になっている。ニューヨークやイリノイなどは、20世紀前半の栄華の遺産でいまだに栄えてはいるものの、テキサスのような伸長具合はない。これは、都市計画の世界では割と有名なこと(たとえば、レム・コールハースの著作に詳しい)。たとえば、ニューヨーク州は、近代的な稠密都市であるマンハッタン地区(ならびにニューヨーク市)と、自然を豊富に抱えるアップステイトニューヨーク、に大きく二分される。一方、テキサス州は、主要都市はヒューストンだが、広大な土地を背景に平面的に拡張した都市が続いていて、LAとはまた違ったスプロールの様相を呈している。

とまれ、人口増が直接南部の力を高めていったのに加えて、これは、日本ではあまり注目されていないけれど、南部の人々の移行の集約とさらに全米に「南部的なもの」の影響を及ぼしたものとして、宗教(特に福音派)ならびにそのケーブルネットワークを通じた遠隔布教があった、ということ。アメリカで、多チャンネルケーブルが本格化したのは、80年代中盤以降だけれど、そうした、(伝導のための)コミュニケーション・プラットフォームの変容も、政治的動員に一役買っていた、ということ。

そう言う意味では、今回の選挙が、いまだかつてないほどの、インターネット活用選挙であったことは、脱・南部、の潮流を見る上でも、徴候的だと思う。

多少、構図的に書くと、GOPの支持獲得にはケーブルネットワークによる、保守的で情動的なコンテンツが流通可能であったことが大きく貢献した。そのときの切り口は、「信条」のような、文化、価値、による政治的分断線の構築だった。一方、デモクラットが支持を再獲得するには、文化、価値、よりも微細な分断線を作りかつ動員を図ることだったわけだけど、そのためには、インターネットによる、有権者一人一人へのリーチを通じた動員が有効だった、ということ。

これは、あまりに書き割り的に単純化しすぎのきらいはあるものの、おそらく、こうした時代整理は、今後、いくつか書かれてくると思う。アメリカの場合、選挙日は休日ではないので、早期投票(early vote)が行われるが、ネットを通じたコミュニケーションは、支持を決めた人たちには早期投票を促すだけでなく、選挙当日までに、他の有権者に投票行動を促す活動(GOTV=Get Out The Vote)を行ってもらうことをも促した。選挙後になって明らかになったことでは、オバマのキャンペーン・チームから小額の寄付金が有権者のコミットメントを促した、という発言も出始めている。そして、オバマが、政府からのpublic financeを受け取らずに、独自の資金調達で大統領選を戦ったのは、集金力に対する自信だけでなく、ネットを通じた献金というコミュニケーション機会をとだえさせないことで、有権者との「熱い関係」を維持し続けることにも意義をおいていたからだという。

もちろん、最終的な神風は、9月の金融危機だったのだが、それも、有権者に不満の吐露を促すという点で、政治地図の塗り替えに正統性を与えることになった。

いずれにしても、かように、デモクラシーがキャピタリズムの対抗手段として機能しているのが興味深い。