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June 27, 2007
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レッシグのIPからの退室

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June 27, 2007 08:57 jst
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インターネット関連の法に関心を持つ人ならば知らない人はいない、ローレンス・レッシグ(スタンフォード・ロー・スクール教授)が、10年間続けてきたIP関連の研究から退き、これからは、「腐敗した(アメリカの)政策過程」について取り組む、と発表した。

本人のブログはここ
CNET Japanの翻訳はここ

僕の理解では、レッシグは、米国憲法の専門家として研究活動を始め、冷戦後の東欧民主化の過程に取り組み、Constitution=国を組み立てる基礎法=憲法が果たす役割を実感し、その経験を経た目で、同じく大衆化しつつあったインターネットの中に、憲法同様、その土台を支えるものとして、コンピュータプログラム=CODEを見いだした。

現代の事件である、東欧民主化とインターネットの興隆に、アメリカ的フロンティア精神、さらには、アメリカ建国の精神をかぶらせたところは、極めてアメリカ人的ではあるけれども、シカゴ学派的な「法の経済学」を経たアメリカ法の研究の中では、ネーション・ステイトは、基盤となる法と共に立ち上がる、というのは、わかりやすい想像力の連続だったのだと思う。

日本では、山形浩生による翻訳書として紹介されたこともあって、トンデモっぽい想像力は含むけどでも真実はそれくらいトンデモなのだ、というイメージも付加されたことで、情報法関連では、随分、影響力を持つ人として定着していた。

僕自身も、アメリカに行く前はなるほどなぁ、と思って読んだ覚えがある。特に、国家は創造されるものである、というのは、89年の東欧諸国の革命というニュースに触れたり、80年代中盤の日本のポストモダン的読み物に触れていたものからすると、妙にリアリティを感じていたように思う。今から振り返ると、当時の自分は、人文的教養に欠けた理系の人間として、素朴にそうした説明に感染していたように思うのだけど。

とまれ、レッシグの「転回」は、オバマ上院議員の書物に触発されたことが大きいようだ。詳しくは、彼自身のブログでの説明を見てほしいが、確かに、もはや歴史的演説となった、2004年7月の民主党党大会でのオバマ候補の演説を、テレビ中継とはいえ、在NYで見聞きした僕としては、なるほどなぁ、と思う。この演説は、とんでもないくらい、現代の「アメリカン・ドリーム」を訴えるものだった。とにかく、人は演説を聞いて涙を流すんだ、ってことに素朴に驚いたのを記憶している。

だから、レッシグも自身の中にあるドリームに再度賭けたい、と思ったのかもしれない。アメリカの判例では、しばしば、フレーマー=憲法起草者、たちの「意図」を巡った議論が記載されるが、そうしたフレーマーたちの考えに最もダイレクトに触れる憲法学者からすると、フレーマーの意図=民主国家の設立、ということに再度取り組もうと思ったのだろう。だからこそ、「政策過程の腐敗」に取り組む、という宣言なのだと思う。

そう考えると、オバマが本命になる可能性大の、8年後の大統領選が楽しみになる。

ところで、レッシグの退室によって、気になるのは、日本のIT業界は次に誰をアメリカの参照先として見いだすのか、ということ。コロンビア・ロー・スクールの授業や講演を聞いた立場からすると、実は、レッシグのような、活動的法学者はアメリカでは当たり前で、彼のような人物はあまた存在するので、いくらでも候補はいるのだが。ただ、インターネット黎明期のようなユーフォリアがもはやない現在、アメリカと文脈を共有する形で、日本のメディア業界が、新たな人物を見いださせるかどうかは、しばらく様子を見たいところだ。