2026年も8月になり、アメリカもまた夏休み、まっさかり。
政治もビジネスも続々と休暇に入り、アメリカの報道もすっかり夏休みモードになった。これまでなら真っ先に取り上げられていたイラン戦争やAI競争あたりの話もすっかり消えた。議会会期もリセス(休暇)に入り、議員もそれぞれ選挙区に戻り、地元の支援者たちとともに夏を過ごす。下院議員は2年に1回、選挙があるため、夏休みの間は、9月からの選挙戦に向けて英気を養い準備を進めるときとなる。
ということで、8月は本当にニュースがなくなる。大統領選のある年なら、一応、夏季五輪というウルトライベントがあるので、まだなんとか話題が繋げられるが、中間選挙の年はそんな感じにはならない。本当に静かだ。
ただ、2026年の今年は、ちょっと空気が違う。イラン戦争はいつのまにかエジプトまで含むアラビア半島全域から東アフリカまで含む広域戦争になり、その煽りでウクライナ戦争ともつながりつつある。ロシアとイランがカスピ海経由でロジスティックスの連携をしているという話がある一方、サウジアラビアを筆頭にペルシア湾岸の石油立国の国々は、もともとアメリカをイラン戦争に引き込んだイスラエル以上にアメリカとの連携を強めようとしている。
つまり、中東からウクライナまでの広域で、「アメリカ+イスラエル+サウジアラビア+α」と「ロシア+イラン+イラン支援のテロ集団(ハマス、ヒジュボラ、フーシーなど)」との間での対立が明らかになりつつある。その結果、新たな「地政学的現実」がつくられようとしている。
こうした地政学的変動に加えて、変わらずAIまわりの投資やビジネス計画の報道が絶えない。問題はこの世界を巻き込むAIブーム(AIバブル?)に上で触れた中東の産油国群も投資家として加わっていることで、つまり、地政学的リスクとAI投資リスクが同調する可能性が増えている。
このAIブームの中心にあるのは、もちろんシリコンバレーで、フロンティアAIラボ各社(OpenAIやAnthropicなど)やビッグテック(Alphabet、Amazon、Metaなど)が中心になって、AIモデルの開発とそれを支えるデータセンター、さらにはその稼働に必要な電力や水冷装置などの確保(=投資)に躍起になっている。
このように地政学とテクノロジー(主にはAI)の大変動が生じており、その中で、アメリカは11月の中間選挙を迎えるのだが、その結果次第で、こうした近年の大変動を起こした張本人であるトランプ2.0が解体される可能性や、逆に、トランプ2.0のカウンターパートになるはずの民主党が一度内部から作り直される可能性が生じている。
そして、こうした「大変動」の状態を迎えて、いつになく「未来像を描く」ナラティブ、ありていにいって「イデオロギー」と呼ばれる「アイデアの一式」が意味を持つ状況になってきた。もともとアメリカという国は「半虚半実」な世界、片足を空想のヴァーチャルな世界に踏み入れながら現実生活を送る世界、妄想まがいの「スペキュレーション(憶測)」がともすれば優勢となる世界、そんな現実離れした感覚が常に付きまとう世界だったのだが、それがソーシャルメディアやその上で稼働する「予測市場」によってますます強化されることになった。いまや、スペキュレーションが先行し現実を生み出す事態になっている。
要するに今のアメリカは、現実的な状況も、ヴァーチャルな想像世界の状況も、極めて振れ幅の大きい領域に達している。端的に、このあとの近未来でどんなことが起こってもおかしくはない、と思わせるところがある。
振り返れば10年前の2016年にはトランプ1.0とブレグジットが起こり、「ポスト・トゥルース」がオックスフォード辞典の新語に加わり、「オルタナティブ・ファクト」が喧伝された。その後の10年で、この「まさか」と思われていた「逆張りのコントラリアンな世界」が徐々に現実化されていった。
まさに「予言の自己成就」的な状況が続き、2020年代の現実が形作られた。もちろん、コロナ禍なるパンデミックというイレギュラーな事態があったのも確かだが、しかし、それも今では、足下の地政学的現実の達成を促した巨大イベントくらいに位置づけられてしまっている。コロナ禍までにはいかないまでも引き続き感染症の脅威も続いているから。むしろ、この全人類を襲った身体的脅威の結果、バイテク関連の研究開発が進んだという副次効果もあり、20世紀を形作った機械・電子系とは異なる「テクノロジーの可能性」を人びとに印象づけることを促した。今のAIブームは、新薬開発というわかりやすい公共的課題によって倫理的後押しを享受できている。
とまれ、予言の自己成就が「期待できる」時代になったことを踏まえれば、今年2026年の「想像・妄想・憶測・信念」が2030年代の歴史の柱を形成していくと思ってもいいのかもしれない。
何がいいたいかというと、現在進行中の事件が単に今に縛り付けられるだけでなく、10年後の未来を形作る「ターニングポイント的イベント」になる可能性もあるということだ。むしろ、そのように理解したほうがよいと勧める「ナラティブ」が氾濫してきてもおかしくはない。それはつまり、今、各所で語られている「時評」が、今を切り取っているようで、その実、未来を指し示すものにもなりうるということだ。
その意味では、何も報道がない静かな夏に、過去1年ほどに起こった事件がいかに語られたか、いかに評されていたか、と洗い直しておくことは、意味あることになると思える。紙による定期刊行物が減り、時系列で来た道を振り返るのが困難な、フローの情報時代であるからこそ、こうして見直すタイミングを設けることの意味もあると思われる。
とまれ、2020年代半ばになって、ここまで2010年代に語られていたことがそっくりひっくり返される時代になるとは思ってもみなかった。オバマの時代は遠くなりにけり。はたして同じだけの大転換が、つまりは「ちゃぶ台返し」が10年後に起こっているのだろうか?